星の向こうで、またあした 51
「ミツキさん、摘んだお花ってどこに集めるのかしら?」
霧花の蕾を抱えた女性が、困った表情をして満希に話しかけた。
「フィルの家ですよ。よければ、このまま私がお預かりします」
「あらそう?じゃあお願いするわ」
持っていたパンを鞄の中へ入れてから霧花を受け取ると、甘い香りと葉の青臭い匂いが鼻を掠めた。
店先の灯りが足元をぼんやりと照らし、仕事を終えた人たちの話し声が通りに広がっていた。
「ミツキちゃーん!」
呼び声に顔を上げると、茜色の空の端に、金物屋の2階の窓から手を振っている若い女性を見つけた。
「フィルは次いつ村へ来るーっ?」
「聞いておきますーっ」
道の真ん中で大声を出してしまったことに気づいて、咳払いをした。
ふと、夕餉の匂いがほんのり漂う道の向こう側で、何かを探している男性と目が合った。
「ミツキちゃん!フィル君に薬のこと聞いてくれた?」
「ちょうど届けにいこうと思ってました。はい、お預かりした薬です」
「あー良かった!フィル君の薬はよく効くからさ!またパン屋に行くね」
「娘さん、お大事にしてください」
安堵の表情を浮かべた男性は、薬を大事そうに握りしめて去って行った。
満希は小さくなっていく背中を見つめながら、花を抱えなおした。
最近はフィルのことを聞かれたり、お願いごとを引き受けることが多くなった。
人づてにフィルが褒められることも、彼のおかげで誰かに喜んでもらえることも自分のことのように嬉しかった。
暗くなり始めた山の中で、村の人たちが通り過ぎていく。
花をフィルの家に届けた後なのか、手にすこし土がついていた。
神様の境界線を越えてから人影は無く、精霊たちの光が木々を照らしていた。
この世界に初めて来たときよりも、誰かとすれちがう道も、精霊たちで溢れる道も好きだった。
このままでも、いいかもしれない。
例えば村に正式に住むことになれば、この山を離れることはない。
フィルと付き合わなくても、彼が大切にしたいものを一緒に守れる。
ひどく臆病な自分の考えに、ため息を吐いた。
満希はログハウスに着いて、恐る恐る居間の扉を開いた。
明るい灯りの下で、散乱する書類とにらめっこするフィルと目が合った。
「おかえり、ミツキ」
満希は無意識に安堵の息を吐いて「戻りました」と返事をした。
使っていない部屋に向かい、積まれた花の山に、持っていた蕾を置いた。
途中で迎えに来た綿毛がそれに息を吹きかけた途端、霧花は冷気を帯び、ひやりとした空気が肌を掠めた。
居間に戻り、食卓で仕事をしているフィルの傍に立った。
「金物屋さんが、いつ村に来るか気にされてましたよ」
「あー、予定を局で確認しないとわからないな。わかったら手紙を飛ばすよ」
満希は鞄の中から、買ったパンと羊皮紙を取り出した。
「雑貨屋と木工屋の方が、書類の件で聞きたいことがあるそうです。それから」
「ちょっと待って、日に日に伝言が増えてる!」
フィルは、満希が持っていた羊皮紙をのぞき込み、並んだ文字を見るなりげんなりした顔をした。
「こんな筈じゃなかったな……これじゃミツキが大変じゃないか」
いつ村へ来るかわからないフィルを待っているより、ほぼ毎日パン屋にいる満希を訪ねるのが早いからに違いない。
「私は、フィルの役に立てているような気がして、嬉しいです」
「……僕も、ミツキに頼られたとき嬉しいから、わかるけど……」
フィルは腕を組んで悩んだ後に、頭を振った。
「でもダメだ!ミツキの負担が増えるし、伝言の食い違いが一番怖い。せめて文にまとめてくれれば……」
「そしたらクロエにお願いして、依頼箱を置いてもらうのはどうでしょうか?」
「それがいい!明日木工屋さんに依頼しておこう」
ポストのような真っ赤な箱がパン屋のカウンター横に置かれる光景を想像して、口元をほころばせた。
花の山がある部屋で、霧花を紐でまとめているうちに、いつの間にか外が真っ暗になっていた。
満希は慌てて台所へ向かい、料理の準備を始めた。
カウンター越しにフィルを見ると、薬草を拭いていた。
先ほどまで広げていた書類は、食卓の端に寄せられている。
夜遅く帰ることはなくなったが、その代わり、局の仕事を持ち帰るようになった。
呼び鈴が鳴り、玄関の扉を叩く音が聞こえた。
フィルは時計を横目に大げさにため息を吐いて、玄関の方へ足を向けた。満希もその後に続いた。
扉を開くと、深紅色の制服姿の男が立っていた。
彼は、以前首都レヴァンデルの転移魔法陣の上でフィルと話をしていた人だ。
「フィルさん!書類やっと完成したんで、確認お願いしまっす!」
「8時過ぎは局の仕事はしないって決めたから、ダメ。おしまい」
「えええ!そんな!そこをなんとか!」
局員は頭を下げ、分厚い冊子をフィルに押し付けた。必死な彼の顔を見て、満希は思わず同情した。
「お預かりするのも、ダメなんですか……?」
冊子を両手で押し返していたフィルは、言葉を詰まらせて眉を寄せた。
「明日チェックでもいいなら、受け取る」
「もちろんっす!よかったーっミツキさんありがとう!」
表情を明るくした局員はフィルに冊子を渡すと、踵を返して霧の中に消えた。
しばらくして、霧の中で転移魔法の光がぼんやりと浮かんだ。
フィルが庭に転移魔法陣を描いてから、局員が家を訪ねることが増えた。
「忙しそうですね」
「一時期より落ち着いたよ。僕しかできないことを分けて、仕事のやり方を変えたらやりやすくなったんだ」
庭の魔法陣も、まつり用の霧花集めも、仕事を効率よく進めるための工夫だったらしい。
それで最近、フィルが早く帰宅するようになったのだと腑に落ち、満希はぽかんと彼を眺めた。
「家でミツキがひとりで待ってるからね」
フィルがはにかんで居間に戻った。
満希は言葉の意味を考えているうちに心臓がうるさくなり、玄関に立ち尽くした。
以前フィルから届いた手紙に綴られた、親のような注意書きを思い出す。
彼は世話焼きなだけだと、自分に言い聞かせた。
期待して手にできなかった辛さは、舞巫女になれなかったときからよく知っていた。
翌日、太陽が真上を通り過ぎたころには、朝から並べていたパンもだいぶ減っていた。
雑巾を持った満希は、客のいないパン屋の床のシミとずっと戦っていた。
「クロエ、ミツキちゃん。手が空いたら倉庫に届いた荷物取りに行ってくれないか」
店主であるクロエの父が、店の奥から顔を出した。
「店番は平気かしら?」
「この時間は客が少ないから俺だけで十分だ」
満希とクロエはエプロンを外して、パン屋を出た。晴れた青空にはちぎったパンのような雲が浮かんでいた。
倉庫へ向かって歩き出すと、いつも帰り際に眺めていた芝生が、陽の下ではひときわ鮮やかに見えた。
道の先には、作りかけの屋台が並び、大量の木材が積まれていた。
村の共同倉庫に着くと、トルドとテオがいた。
ついさっき昼食を買いにパン屋へ来たばかりのテオに手を振ると、驚いたあと笑った。
倉庫の奥に進むにつれて、空気が冷たくなっていった。
高い天井の下には木箱や荷物がぎっしり並び、奥まで見通せない。
「あー、なるほど。まつり用の荷物を取りに来たのか」
「よくわかったわね。どのへんにあるかしら」
テオは木箱の山から、満希たちの前に2つの木箱を置いた。
クロエが蓋を開けると、中には包装用の袋と保存瓶が入っていた。満希は持ち上げようとしたが、瓶が入っているせいか重たかった。
「急いでなければ、あとで届けるよ」
「助かるわ。なら、重たい方をお願いしていいかしら」
テオは、太い眉を下げて笑った。
満希は瓶の入っていない箱を持ち上げ、倉庫の出口へ向かった。
「ミツキちゃん、またね」
テオに後ろから声をかけられ、大きく頷いた。テオの若草色の瞳が、細くなった。
彼はあの日以降も毎日パン屋にやって来て、何事も無かったように振る舞った。
告白を断っても続く関係があるのだな、と不思議な気持ちだった。
「ミツキ、テオ君に告白されてたでしょ」
荷物を抱えたままクロエに肩を小突かれ、転びかけた。
パン屋の前で告白されたから、クロエが知っていても不思議ではなかった。
「悩んでいるのは、そのせい?」
言葉を詰まらせた。
頻繁に顔を合わせているからか、それともクロエがよく周りを見ているからなのか、すぐ気づかれてしまう。
ここ最近の弱気な自分に嫌気が差し、満希は深く考えずに口を開いていた。
「…………私、フラれるのが怖いんです」
木箱を持ち直すと、中から音がした。
テオの告白を思い出すたびに、ふられた自分を想像してしまう。
「怖くてあたりまえよ。というか、告白する自分を想像できるようになったのね」
満希は目を瞬いた。
この恋心をどうしたらいいかわからないと、クロエに言ったのは随分前のように感じた。
屋台を組み立てる槌の音が、何度も通りに響いた。
長い木材を運ぶ人たちが近づき、満希はクロエと道の端へ避けた。
「そもそも、何故ふられるのが前提なの?」
「……私のことが好きなフィルを、想像できなくて」
クロエは何か言いたそうだったが、眉をしかめて言葉を飲み込んだ。
「なら、好きになってもらえばいいじゃない」
当然のように言い切ったクロエに、満希は持っていた荷物を落としそうになった。
今まで、誰かに好きになってもらおうなんて一度も思いつかなかった。
「フィルに好きになってもらえたら、嬉しいでしょ?」
のぞき込むクロエは、いたずらに微笑んだ。
おだやかな声と、まっすぐ見つめる翠玉色の瞳を思い浮かべて、足が止まった。
満希は逃れようのない胸のうずきに、観念したようにちいさく頷いた。
「じゃあ、フィルをその気にさせましょ。かしこい乙女は、テオ君みたいにわざわざ玉砕する必要はないのよ」
「でも……好きになって、もらえなかったら?」
「そのとき悩みましょ。恋愛はもっと楽しくないと」
クロエの華奢な指が、満希の頬をつついた。
満希はごくりと喉を鳴らし、にんまりするクロエをのぞき込んだ。
「具体的に何をしたら……?」
「そばにいれば、自ずとわかるわ」
自分の心臓がうるさかった。
期待するのはこわい。なのに、見たことの無い未来を知りたいのだと、わかってしまった。
寝る準備を整えた満希は、暗い自室で右往左往していた。
好きになってもらうなんて、おこがましい。
クロエとの会話を頭で反芻し、手に持っていた本を見つめた。
でも、何かわかるなら試してみたい。
明るい居間をのぞき、昨晩渡された冊子に目を通すフィルを見つけた。
リリンに借りた本をもう一度つよく握り、部屋に入った。
「フィル。私もここで、本を読んでいいですか?」
「うん?どうぞ」
いつも座る向かい側の椅子を引こうとして、手を止めた。
このまま座っても、変わらない。
迷った後に、初めてフィルの隣の椅子を引くと、目が合った。
満希が素知らぬ顔をして無言で見つめ返すと、彼は何も言わずに冊子へ視線を戻した。
満希は本を広げて、フィルの横顔を盗み見たあと、口を引き結んだ。
真剣な表情で仕事をする姿はあまり見たことがないせいか、かっこよかった。
傍に来たけど、何もわからない。
満希は今更になって、仕事を邪魔してないか不安になってきた。
「読めない文字があるの?」
「え?」
「さっきからページが進んでいないから」
開いたままの本を見て、体中が熱くなっていく。
黙ったまま、並んだ文字から適当な場所を指さした。
「手紙でいっぱい書いた挨拶だね」
「ど、ど忘れしたんです」
墓穴を掘りにきただけだった。
満希はぎこちなく視線を逸らして、長い自分の髪で顔を隠した。
「それじゃあ仕方ないね」
おだやかな声につられて毛先を持ったまま振り返ると、フィルが笑っていた。
やさしい眼差しを向けられれば、なんでもよくなってしまった。
いつの間にか、満希の口がほころんでいた。




