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星の向こうで、またあした 50


「ミツキおはよ」


 アサギリと外に出た満希は、庭でしゃがみこむフィルを見つけた。

 夜遅く帰宅するフィルに、朝会えると思っていなかった満希は、目を見開いた。

 

 

「おはようございます。何をしてるんですか?」

「転移魔法陣を書いてるんだ」

 

 フィルの足元に描かれた魔法陣が、ちかちかと明滅した。

 

「僕だけ使ってたから家の中にあったけど、他の人も来るからね」

 突然やってくる局長を思い浮かべ、苦笑いをした。


 

「今は調整してるところ」

 光る魔法陣を静かに見つめるフィルは、手を広げてひねった。

 

 満希はフィルの横顔を久しぶりにまともに見て、胸の奥がこそばゆくなる。

 しかし、昨晩は居間にいたはずなのに、自室で目を覚ましたことを思い出して、眉をしかめた。

 恐らく、またフィルに自室まで運ばれてしまった。


 

 足元にいたアサギリがくぅーんと鳴いて、催促するように満希の足を叩いた。

 彼女は困ったようにフィルと庭を見比べ、なだめるようにアサギリの背を撫でた。


「まだかかりますか……?」

「もう少しかな。どうかした?」


「最近はこの時間に、舞をしていて……」

 

 満希にとって、結月と祖母に会える舞の時間は、大切なものになっていた。

 できればフィルが早く終わらないか、とちらりと様子を窺った。

 

 

「僕のことは、気にしなくていいよ」

 

 無茶な話だった。

 悩んでいる間に、アサギリの瞳が爛々と輝き、しきりに満希の足をとんとん、と叩いていた。

 

 

 渋々といつもの定位置に立ち深呼吸をすると、鼓動が速いことに気づいた。

 気づかないふりをしたまま足を差し出すと、アサギリがその周りをぐるりと回った。

 まるで一緒に遊び始めた無邪気な犬のようで、満希の口元がほころぶ。

 

 いつものように精霊が集まりはじめ、満希の腕のうごきに合わせて揺れていた。

 山のみんなと、お喋りしているみたいだった。

 

 

 振り返ると、フィルと目が合う。

 

 その拍子に、足がもつれてしまいバランスを崩した。

 神様の風のクッションに包まれ、満希は地面に身体をぶつけずに済んだ。


 

「ミツキ、大丈夫?!」

 

 慌てて近づいてきたフィルと顔を合わせられずに、満希はうつむいたまま頷いた。

 いつもの舞でこけるなんて、おかしい。


 フィルと、目が合っただけなのに。


 

「今日は、もうやめておきます」

 

 熱くなっていく満希の頬に、ふわふわの尻尾が触れた。心配したアサギリの頭を撫でた。



 

 久しぶりにふたりで朝食を済ませたあと、外出の支度を整え玄関に向かった。

 

 満希が靴のつま先で床を軽く叩き、靴の中で足を馴染ませた。

 見送りにきたと思っていたフィルが、腰を下ろして靴に足を入れた。

 

「今日は僕も村に降りるよ」

 最近制服姿が多かった彼は、今日は山の色をした動きやすい格好をしていた。


 

「魔法管理局は、行かなくていいんですか?」

「今日の分は僕がいなくても回るから平気。それに、そろそろトルドさんが押しかけてきそうだしね」


 トルドから受け取ったたくさんの手紙を思い出し、満希は苦笑いをした。

 

 

 澄んだ冷たい空気を吸うと、新鮮な森のにおいがした。

 霧の晴れた山道を並んで歩きながら、淡い影を追いかけた。

 

 

「星まつり用の霧花は、すぐに集まるんですか?」

「どうだろう。前はすぐに集まったけど、今は結構な量がいるからな」

 

「私が手伝っても間に合いませんか?」

「うーん、そうかも。飾りつけのほかに人へ配る分も用意するからな……花自体の数は足りるけど、収穫が大変かも」

 

 

 ふたり分の足音が、森の中に混じっていく。

 

 満希はフィルと話をしながら、道の先を見つめていた。

 歩いているだけなのに、なぜか緊張する。いつもフィルとどうやって歩いていたか、忘れてしまった。


 昨晩のことを話題にすれば、2階へ運ばれたことを蒸し返すことになるし、霧花の話を続ければ、昨日初めて知った呼び名を思い出してしまう。

 満希は何も言えずに、口を閉ざした。


 

「僕がいない間、変わったことはなかった?」

「はい。トルドさん以外の伝言はないですよ」


 

「……ミツキは僕がいなくて、大変だった?」


 満希の足が、止まりかけた。

 この2週間のあいだも、なんなら今もずっとたいへんだった。

 


「……いただいた食材が、腐ってしまいそうでした」


 素直に言えない満希は、前を向いたまま淡々と言った。

 その代わりにスカートを、握った。



 


 バターの甘い香りが、目の前のパンから漂ってきた。


 満希は店のカウンターで、クロエと並んでパンの袋詰めを行っていた。

 人の途切れた昼下がりは、作業をしながらゆっくり話をすることが多かった。


 

「星まつりで男女が一緒に踊ると結ばれるっていうジンクスも、村おこしの一環よ」

 

 クロエは慣れた手つきで冷めたパンを紙袋に包んでいく。


「ただのダンスよ。踊る人も増えれば、そりゃ中には付き合う人も増えるでしょうね」

「身も蓋もないですね……」


「まあ、試す価値はあるけどね?」

 

 クロエが包んだパンを、ひもできつく結ぶ。途端に、パンの表面が割れてしまった。

 にんまりと笑うクロエを、満希は口を引き結んで軽く睨んだ。


 

「ミツキは、フィルと星まつりに行くのかしら?」

 

 割れたパンの表面をぼんやりと眺め、満希は今朝のことを思い出した。

 目が合うたびにこけて、むりかもしれない。


「クロエは、ボーイフレンドさんと行きますか?」

「行くわけないわよ~ボーイフレンドだもん」


 祭りを彼氏と行くつもりがないのか、言葉どおりの男友達という意味なのか、満希にはわからなかった。



 水色の扉が開くと、顔なじみの若い男が店に入ってきた。

 背の高い客は満希を見つけて、父親と同じように太い眉尻を下げて笑った。


「今日はきっと、トルドさんの手紙はありませんね」

「やっとフィル兄ちゃんがうちに来て、親父もほっとしてたよ」


 

 トルドの息子であるテオは、フィル宛ての手紙を持ってパン屋へよくおつかいにきた。

 明るい茶髪からのぞく、テオの若草色の瞳は、印象的だった。


 

「ミツキちゃんは、今日も夕方まで仕事?」

 

「そうです。テオ君も今日は村の倉庫の片づけですか?」

「そー、祭りに向けて物が多く入ってきてさぁ。てんやわんやだ」


 テオは村の共同倉庫の管理人である父親の仕事を手伝っているため、体つきもトルドと似てがっしりとしていた。

 若草色の目を見た満希が無意識に微笑むと、テオがはにかんだ。



 

 

 クロエに手を振って、明かりが消えた店を出た。

 

 夕焼け色に染まる西の空の下、店前で待っていたフィルを見つけて、持っていたパンを落としかけた。

 彼が夕方まで村にいるとは考えていなかった満希が目を丸くすると、フィルが笑いをこぼした。


「ミツキ、一緒に帰ろうか?」


 久しぶりに聞いた言葉に、しっかりと頷いた。

 パンの入った袋を広げ、ひとつを差し出そうとした時だった。

 

 

「ミツキちゃん」

 

 呼ばれて満希が振り返ると、昼ごろ店に来たテオが立っていた。

 店外で声をかけられたことはなかったため、満希は不思議そうに「どうかしました?」と背の高い彼を見上げた。

 

 

「よかったら、俺と付き合わない?」

「は」

 

「はあ?!」

 

 フィルの大きな声が辺りに響き渡った。

 突然のことに満希はすぐに言葉が出てこなかった。真剣な表情のテオを見据えて、背筋を伸ばす。


 

「ごめんなさい。嬉しいですが、その気持ちには応えられません」

「やっぱりそうだよなー、ありがと答えてくれて」


 眉尻を下げたテオは、いつものように手を振って去っていった。

 小さくなっていく背中を呆然と眺めていると、人の声が遠くで聞こえてきた。

 

 

「ごめん。僕が大きな声出したから、人が集まってきちゃった」

 

 遠巻きに視線を感じて、満希はフィルに引っ張られるまま足を動かした。

 しだいに人の声が聞こえなくなった。


 

 まっすぐな若草色の瞳が脳裏を掠めて、胸が跳ねた。

 似ている緑色を見れば、やっぱりちがうと深く考える前に断っていた。

 

 自分がふられたとき、テオ君と同じように手を振れるだろうか。

 それにふられたら、もうフィルの隣にはいられない。

 

 


「あー、ミツキ。僕この先の霧花の様子を見に行くんだけど……先に帰ってる?」


 満希ははっとして周りを見渡すと、既に神様の境界線を超えた山の中にいた。

 いつの間にか、霧神様の精霊である綿毛が彼女の首元にすり寄っていた。


 

「一緒に行きます」

 

 引っ張られた手を離されていたことにすら、気づかなかった。

 なかなか動かないフィルに気づいて、満希は顔を上げた。


 

「まだ、顔赤いね」


 フィルにのぞき込まれて、ぎょっとして顎を引いた。

 顔を見られていたことが恥ずかしくて、前髪を直すふりをして隠した。


 

 いつもの帰り道を横にそれると、木々に覆われた薄暗い道がつづいていた。

 そこは、フィルの友達に会いにいった獣道より、ずいぶん歩きやすかった。


 満希たちが奥へ進むにつれて、道の傍らにぽつぽつとあった霧花は数を増やしていく。

 やがて、木立の切れ間に、白い蕾の花畑が一面に広がっていた。


 

「……すごい、こんなに」

「去年植えておいたけど、ちゃんと育ってるね」


 ほんのり夕焼け色に染まった花畑は、すこしさびしく見える。

 フィルは霧花を指先でつまむと、角度を変えて花の状態を確認した。


 

「今日トルドさんと、花は村の皆で集めるのがいいんじゃないかって話をしたんだ」

「すごくいい案だと思います」

「でも早めに摘むと枯れてしまってね。当日に集めたら、間に合わないし……」


 まだ眠ったままの蕾を、じっと見つめた。

 傍らにいた綿毛が一緒にそれをのぞき込み、つんつんと小突いて揺らした。


 

「食材みたいに、冷凍できればいいんですけどね」

 

 以前港町に行った帰り、綿毛に魔法で魚介を冷やしてもらったことをぼんやり思い出した。

 フィルは息を呑み、掴んでいた花をじっくりと眺めた。

 

「たしかに、冷やして花の劣化を遅くできれば、長期保存が可能になる……」

 フィルは真剣な表情で、腕を組んだ。

 

 

「試す価値はある!ミツキの発想はすごいな!」

「いえ、すごいのはフィルですよ」

 

 嬉しそうに笑うフィルにつられて、満希は表情をやわらげた。

 

 

「ためしに家で実験してみるかな。少し持って帰ろう」


 フィルが花を摘みはじめたのを横目に、満希も茎を曲げた。

 茎から液体が漏れ、指先を濡らしていく。霧花のにおいなのか、甘いかおりがした。

 

 視界いっぱいに広がるたくさんの蕾を眺めて、朝ここへ来れば壮観なんだろうと想像した。

 茎の折れる音がはっきりと聞こえ、やけに静かだった。

 

 

「ミツキは、どうしてさっき断ったの?」

 

 満希は、霧花から目を離さないフィルへ視線を移した。

 この手の話が苦手だと言っていた彼に、告白のことを聞かれるとは思わなかった。

 

 断った理由を改めて考えながら、霧花を摘んだ。


 

「テオ君と初めて喋ってから1週間で、よく知らないですし」

「1週間か……それはたしかに、わからない」

 

「それに20歳になったばかりみたいで、歳もだいぶ離れていて……」

「そういえばこの前まで、子供だったような気がするな」


 それに、今は好きな人がいるし。

 満希は口を引き結び、言葉を隠した。

 

 フィルは持っていた花を、指先で転がしてくるくると回し始めた。

 


「つまり、ミツキは歳が近くて、よく知っている人がいいってこと?」

 

 まっすぐに翠玉色の瞳でとらえられ、体が動かなかった。

 何も言えないまま顔が熱くなっていき、肯定しているようなものだった。


 

「……フィルは、どうなんですか」

「えっ、僕?!」


 フィルは花を回したまま、黙りこんでしまった。

 花を見つめていた彼の耳が、どんどん夕焼け色に染まっていく。

 


「………………可愛くて、一生懸命な子」

 

 

 真っ赤な顔をしたフィルが、ぶっきらぼうにつぶやいた。

 以前彼女の話をしたときは言葉を濁していたのに、はっきりと口にしたことに驚いた。


 

「一生懸命な子って、可愛いですよね」

 フィルは火照った顔のまま口をきつく結び、返事をしなかった。


 

 夢中になって摘んでいると、ごち、とフィルの頭とぶつかった。

 額に手をあてたままお互いに身を離して、笑った。

 

「こんなもんでいいか。そろそろ日も落ちるし帰ろう」


 霧が辺りを覆い、足元に纏い始めていた。

 満希は、すこし前を歩くフィルと肩を並べずに、後ろを歩いた。

 

 

 明日には、またフィルに会えなくなってしまう。

 

 満希はずいぶんゆっくり歩く自分のつま先を、眺めていた。



 

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