星の向こうで、またあした 49
店のガラス窓からやわらかい光が差し込み、陳列されたパンの焼き目を照らした。
親子がおやつのパンが入った袋を持って店を出ると、ふっと静かになる。
来客を知らせる呼び鈴が大きく鳴り、洗ったトレーを布で拭いていた満希は頭を上げた。
「いらっしゃいませ」
がっしりとした体つきの中年の男が店に入ると、パンを一瞥せずに、カウンターにまっすぐ向かってきた。
ほぼ毎日店に足を運ぶトルドは、満希を見ると明るく笑った。
「フィルから手紙の返事は来たか?」
「……落ち着いたら、必ず話をしに行くと……」
「変わらねえか」
トルドは太い眉を下げ、苦虫を噛み潰したような顔をした。
あれからフィルは忙しくなり、満希は2週間ほどまともに顔を合わせていない。
トルドから手紙を受け取るたびにフィルへ送っているが、返事の内容はいつも同じだった。
「参ったな、今年の星まつりの花はどうしたものか」
「……星まつり、ですか?」
持っていたトレーをカウンターへ置いた満希が首を傾げると、トルドは目を見開いた。
村のことを尋ねると、こうして意外そうな顔をされることがあった。
「村で年に1回開かれる祭りのことでな。昔は、遠方に行った人の無事を祈る祭りだった」
「あ~もうそんな頃なんですね」
新しく焼けたパンを並べていたクロエが、空になったトレーを手にしてカウンターの内側へ戻ってきた。
「旅立つ家族や恋人の無事を願って、霧花を村中に飾っていたのよ」
「今は形を変えて、霧神様への感謝を伝える祭りになった。最近は首都からも人が来てお祭り騒ぎなんだ」
「大きなお祭りなんですね」
「好きな人と結ばれる星まつり、って有名なの」
含み笑いをしたクロエにのぞき込まれ、満希は持っていた布巾を握りしめた。
「まあ、ただの村おこしの一環よ。若い人に興味を持って村に来てほしいとか、首都に行った人の帰省のきっかけづくりとかね」
「で、毎年フィルが祭りに使うための霧花を集めていてな。そのことでフィルに相談したくてな」
毎朝水をやっていた霧花が祭りに使われているとは知らず、満希は驚きを隠せなかった。
「霧花は、村のまわりには咲かないんですか?」
「あの山にしか咲かねぇ」
「朝霧の中でしか咲かないから、『また次の朝に会いましょう』っていう意味があるのよ」
「え」
霧花の意味を初めて知った満希が目を丸くすると、クロエははっとして口元を手で覆った。
まるで秘密を喋ってしまったような仕草だった。
「霧花は最近では、恋人の花って言われてな。首都ではよく売れる」
「こっ」
満希は動かなくなった。
ついこの間、霧花を刺繍したハンカチをフィルに渡してしまったばかりだった。
「ま、とりあえずまた来るわ」
トルドはそう言い残して、店を出て行った。
満希は、店の隅に逃げようとしたクロエの服の裾をそっと掴んだ。
「……霧花の意味、教えてくれても良かったじゃないですかっ」
「あ、あはは~。面白半分、伝え忘れてたのが半分……」
満希はこみあげてくる恥ずかしさを胸の奥にしまいこみ、深呼吸をした。
乾いたトレーを入り口前に置くと、こつこつ、とガラス窓を叩く音が店内に大きく響いた。
窓の向こうでは、見慣れたふくよかな真っ白い鳥たちが交互にガラスを叩いている。
満希が水色の扉を押して外へ出ると、鳥たちは一斉に彼女の頭や肩へ留まった。
一羽の鳥から手紙を受け取り、代わりにポケットから木の実を取り出した。
白い鳥たちは身体を寄せ合い、満希の手のひらの上で奪い合った。
鳥たちは、毎日こうして手紙を届けに来てくれた。
裏にフィルの名前が記された手紙の封を切って、店内に戻る。
満希が指先で文字をなぞりながらゆっくり読むと、今日は昨日より帰りが遅くなると書かれていた。
「フィルは何て?」
「床で寝ちゃダメだと」
トルドの件については、いつもと同じ返事が記されていた。
その代わり、戸締まりのことや早く寝るようにとの注意がびっしり並んでいた。
「ミツキ、このままフィルと会えなくなったりして」
「……怖いこと言わないでください」
満希は手紙をしまうため、店の奥へ向かった。
仕事を終えて店を出るころには、西の空が夕焼けに染まっていた。
山道を登るにつれて、木々の隙間から差す橙色の光が少しずつ薄くなっていく。
森の奥から霧神様の精霊である綿毛が現れ、満希のそばまでやって来ると、頬ずりするようにふわふわの身体を頬へ寄せてきた。
フィルやアサギリの代わりに、迎えに来てくれているみたいだった。
密集した木々の合間に建つ、緑の屋根のログハウスに辿り着くと、大きな息を吐いた。
真っ暗な居間に入ると、綿毛が魔法で灯りをつけてくれた。
出迎えてくれるフィルの姿は、やはりなかった。
ひとりで夕食を済ませるころには窓の外もすっかり暗くなり、暖炉の火だけが広い居間をぼんやりと照らしていた。
居間で洗濯物を畳んでいると、ベランダへ出る窓からアサギリが帰ってきた。
アサギリは窓辺に置かれたタオルの上に座り、光を帯びた尻尾で床を叩いた。
泥だらけだった身体が、魔法であっという間に綺麗になった。
満希が足の裏を確認すると、肉球も洗った後のように綺麗になっていた。
アサギリは掴まれた足をひっこめて、満希の手を踏んだ。足を触られるのは嫌らしい。
アサギリが洗濯物の山のそばに身体を伏せると、満希もその隣に腰を下ろし、再び洗濯物を畳み始めた。
布を重ねる小さな音まで、やけに大きく聞こえる。
前まで胸の奥に感じていたアサギリの気配はなくなってしまい、まるで心にぽっかり穴があいたようだった。
人影のない広い部屋を見渡し、満希は俯いた。
寂しくない。
もともといた世界では、これが当たり前の日常だった。
時計を何度確かめても、居間の床にある魔法陣は静かなままだった。
あとすこしだけ。
畳み終えた洗濯物の端を何度も撫でていると、アサギリが膝の上に乗ってきた。
満希は小さくなったその身体を抱きしめ、ため息を吐いた。
フィルがいないだけで、まるで違う世界に来たようだった。
腕の中の体温が心地よく、いつの間にか目を閉じていた。
◇
「またここで寝てる」
転移魔法陣の上で、フィルは独り言をこぼした。
ここ最近、帰宅すると居間でうたた寝している満希を見つけることが多くなった。
時計を見ると日付はとうに変わり、部屋は冷え込んでいた。
すっかり火の消えた暖炉に向けて指を鳴らすと、部屋が橙色に染まった。
積まれた洗濯物に囲まれた満希は、体を縮こませて瞼を閉じていた。
「上で寝た方がいいよ」
満希の肩を叩いたが、今日は反応が無かった。
いつもなら飛び起きて、うれしそうに笑うのに。
ふと彼女の腕の中へ目をやると、小さな霧神様が苦しそうな顔でじたばたと暴れていた。
「ミツキ、霧神様死んじゃいそうだよ」
彼女の腕をそっと引いて隙間をつくると、霧神様は腕の中から抜け出し、彼女の背中側で丸くなった。
いつも背筋を伸ばす彼女が丸くなって眠っていると、やけに幼く、無防備に見えた。
「……ここで寝ちゃダメって言ったのに」
「はい」
「えっ、ミツキ起きてるの?」
「はい」
はっきりと返事をするのに、彼女の瞼は開いていなかった。
もう一度肩を叩くと、眉をかすかに寄せた彼女が身じろいだ。
その拍子に彼女のスカートの裾がふくらはぎまで捲れ上がり、慌てて目を逸らした。
フィルはどうしたものかと、その場で腕を組んだ。
「アサギリ」
満希のはっきりとした声に、霧神様がぴんと耳を立てた。
彼女の手は、その姿を探すように宙を彷徨った。
「……フィルは、ごはん食べてるかな?」
起こそうと伸ばしかけたフィルの手が、ぴたりと止まった。
宙を彷徨っていた満希の指が、その手の甲に触れる。
「このまま、あえなくなったら……わたし」
満希の言葉は、そこで途切れた。
瞼はやはり閉じたまま、やがて静かな寝息だけが聞こえてきた。
フィルは満希のおだやかな寝顔から、目を離せなかった。
「……そんなこと、ある訳ない」
君がいるから、どんなに遅くなっても帰ってきてるのに。
自分の手を握る彼女の指をほどき、力の抜けた華奢な指をそっと撫でた。
フィルは彼女の言葉のつづきを想像したが、都合のいいことしか思いつかなかった。
心の中を覗けたらいいのに。
僕と会えなくなったら、満希はどんな気持ちなのか。
「……知りたいよ」
フィルの声が、居間に響いた。
返事の代わりに、暖炉の薪が爆ぜた。




