わたしの世界 48
フィルは駆け足で庭へ戻ったが、そこに満希の姿はなかった。
魔法陣のあった場所に目を留めると、精霊と踊る彼女の姿が脳裏をよぎる。
霧の晴れたまぶしい青空を見上げて、ひんやりとした空気を吸い込んだ。
「ただいま」
フィルが玄関で靴を脱ぐと、満希の喋り声が奥から聞こえた。
不思議に思いながら、居間へつづく扉を開いた。
「いや~コメうまっ!魚と一緒に食べると、何杯でもいける!」
「おかわりあるので、カイルさんいっぱい食べ……あ、フィル。おかえりなさい」
人の家で堂々と朝食を食べる局長カイルを見つけて、頭が痛くなった。
先ほどまで舞っていた満希はというと、赤い目をしたまま客人を朝食でもてなしていた。
健気な姿に、ため息を吐いた。
「……局長、今日はどういったご用件で」
「ミツキちゃんの料理が、急に食べたくなってね」
眉をしかめたフィルは、こめかみを押さえたまま椅子を引いた。
確実に嘘だとわかったが、無下に追い返すわけにはいかず、口を結んだ。
満希がフィルと自分の分の朝食を食卓に並べると、香ばしい魚の匂いが漂いフィルの腹が鳴った。
「というのは半分冗談で。突然国のあちこちに精霊が増えて、魔法管理局は大変なことになってるのさ」
「……その大変な局を、放ってきたわけですね」
返事もせずに朝食を平らげていくカイルを、フィルは呆れた目で一瞥した。
3人分の食器のぶつかる音が、部屋に響く。
自分の家で局長と食卓を囲む状況に、フィルは毎度ながら落ち着かなくなる。
「山にあった精霊の核は、ほとんど無くなってました」
「やっぱりなあ」
カイルはフィルの報告に驚きもせず、食事を続けた。
満希の料理目当てと言いながら、原因調査でここへやってきたに違いない。やはりつかみどころのない男だ。
「精霊が増えると、なぜ局が大変になるんですか……?」
満希は食事の手を止めて、硬い表情でカイルとフィルを見た。
「精霊は少ないから、国や街ごとに数を正確に管理しているんだ。だから増減の理由を把握する必要があるのさ」
「場所によっては魔力が濃いせいで魔法が使いやすくなってしまう。事故の懸念もあるから対策をしないといけない」
「今は管理している各地から、連絡が絶えない状況でね」
「それって、大変なことなんじゃ……?」
フィルとカイルの話を聞いた満希の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
何故か彼女が責任を感じているのだと気づいて、口を開きかけた。
「ワフッ!!」
大きな鳴き声が、部屋に響いた。
犬は軽い身のこなしで彼女の膝上に乗りあげ、上を向いた。
鼻先を寄せられた満希は目を丸くし、膝上の主にやさしく笑いかけた。
「……霧神様?!小さくなってる……!?」
フィルは彼女の膝上におさまる小型犬を見て、フォークを落としかけた。
満希を見上げる満月色の瞳は、紛れもなく霧神様のものだった。
幼い頃からこの山を一緒に駆けてきた馴染みのある気配は、前と同じだった。
しかし、身体に残っている神の魔力は少なく、そのせいで小さくなってしまったようだった。
「……ミツキは、何をしたの?」
満希の肩がこわばった。
彼女の反応から察するに、精霊の件は偶然ではない気がした。
姿を変えた霧神様と目の赤い彼女を見比べて、眉をひそめた。
「私は、精霊の核へ祈りました。でも、まさか本当に帰れると思わなくて……」
満希はぎこちなく視線を逸らして、自分の指先を擦り合わせた。まるで悪いことをした後のようだった。
フィルは自分の声が深刻さを帯びていたことに気づき、咳払いをした。
「精霊の核が帰れるなんて、大変すごいことなんだよミツキ」
冷静に事実を告げたつもりの声が、上ずった。
思わず口元を隠して上司に目をやると、局長の目もいつになく輝いているように見えた。
安堵の息をついた満希に、霧神様は肯定するように舌先を彼女の頬へ伸ばした。
満希の顔がべたべたになってしまう前に、フィルは慌てて犬の顎を押さえた。
「すごいのは私じゃありません、アサギリの力です」
満希が霧神様の鼻先を手のひらで包むと、顎を押さえていたフィルの手も巻き込んでしまった。
重なった手を、慌てて互いに離した。
フィルは満希の魔力を探って、息を呑んだ。
「ミツキの中にあった霧神様の魔力が、減ってる……?」
「やっぱり、そうですよね」
どこか寂しそうな顔をした彼女は、膝上の小さくなった犬の頭を撫でた。
「山と一緒になったような不思議な感覚が、遠くにいってしまいました」
「……首の痣は?」
満希は座ったままフィルに背を向けて、髪を横へ流した。
露わになったうなじの上にある痣は、薄くなったが完全には消えてはいなかった。
「舞は古くから誰かへの祈りであり、神様の声を届けるものです。だから霧神様の魔力が、精霊の核に届いたのかもしれません」
「つまり裏人のミツキちゃんと山神様のおかげってことだね」
フィルもようやく腑に落ちた。
満希が舞で道をつなげたことにより、本来どおり神の力が届いて精霊の核を循環に戻したんだ。
「ってことは……霧神様は、最初から精霊の核を帰すつもりで?!」
フィルは息を詰めて、満月色の瞳を凝視した。
出会ってすぐ満希に懐き、執着していたことも。
満希の魔力が神のものと混ざり合ったことも、舞を求めていた理由もすべてつながる。
満希はきょとんとしたあとに、膝上の神と見つめ合った。
「たしかに。……してやられちゃいましたね」
満希は気の抜けたような笑顔を、目を細めた霧神様へ向けた。
彼女の顔は、怒っているどころかどこか嬉しそうだった。
「ミツキは、舞いたくないって言ってたけど、よかったの?」
もしも霧神様が彼女に強要していたのであれば、フィルは今すぐ引き離すつもりだった。
「はい、私が舞うって決めたんです!」
以前は舞えないと言ったことが嘘のように、満希は満面の笑みを浮かべた。
フィルは彼女の笑顔に面食らいながら、安堵の息を吐いた。
風で霧が払われたせいか、窓から明るい光が食卓に落ちていた。
光を受けた米はかがやき、野菜も鮮やかに照らされていた。
「まあ、ミツキちゃんたちが原因であるのは間違いなさそうだね。また別の日に詳しい話を教えてくれるかい?」
「わかりました……その、お咎めがあったりしますか?」
「まさか!正式にミツキちゃんたちのおかげだとわかれば、今回の件は国家魔法功労章に推薦するよ」
満希は呆然としたまま、目を瞬いた。
年に1回、名誉ある功績をあげた者が国家魔法功労章を授与される。そんなものを満希が知る由もない。
「もし選ばれたらお金も出るよ。あ、普段もらえる精霊環境調和給付金とはもちろん別さ」
「ま、待ってください。呪文ですか……?」
満希は見たことがないくらい額に皺を寄せて、難しい表情をしていた。
「……ん?裏人には必ず国から給付金が出るって話、したよね?」
「初めて聞きました」
「いや、フィルは局員じゃないか」
「僕は精霊管理部で、財務部とは縁がないので……」
フィルが裏人を保護したあとは違う部署に引き継ぐため、裏人に関することを全て知っているわけではない。
そもそも、最初にこの世界の生活に関することを本人へ説明するのは——。
「ん? 俺、話してなかったかい?」
局長であることが多い。
満希とフィルは視線を彷徨わせて、口を閉ざした。
「裏人の住む土地は年月をかけて豊かになる。国は裏人を縛らないけど、できれば長く住んで欲しいから給付金を渡してるのさ」
「あくまでも裏人さんの自由を尊重してるんですね」
「そう。ミツキちゃんも正式にどこに住むか決まったら、支給されるよ」
満希は驚いたまま何も言わなかった。
正式にどこかに住む。その言葉に、フィルの胸がちくりと痛くなった。
カイルは食べ終えると「ゴチソウサマデシタ」と手を合わせた。
満希は意外そうな顔をしたあとに、嬉しそうに「お粗末様です」と同じようにぱちんと手を合わせた。
「さて~、そろそろ局に戻るかなあ」
局長は深紅の上着を羽織り、椅子から立ち上がった。
「僕も出勤します。もう魔力は戻りました」
「おっ助かるよ。猫の手も借りたいぐらいさ」
布の擦れる音が、暗いフィルの部屋に響く。
フィルは制服に身を包むと、相変わらず腹回りが苦しかった。
しあわせな自分の腹に手を伸ばし、撫でた。
階段を下りて居間に戻ると、満希の姿だけがあった。
「あれ、局長は?」
「先に向かわれましたよ」
相変わらず帰りは早い局長に、フィルは苦笑いをした。
フィルは転移魔法陣の前に立ち、魔力を通す。
見送る満希の表情がやけに暗いことに気づき、流した魔力を自分に戻した。
「急にこんな慌ただしく出勤することになるなんて……」
「最近は元気だし、そろそろ仕事に戻ろうと思ってたから、ちょうど良かったよ」
フィルはそのまま満希を黙って見つめると、彼女は怪訝そうに首を傾げた。
泣きはらした目は、見ていて痛々しい。
「ミツキがやりたかったことは、精霊の核のことだったの?」
渚に会いに行った帰りの馬車で、満希は既に精霊の核を帰そうと考えていたのだろうか。
満希は言葉を探しているのか、細い指先を擦り合わせて黙り込んでいた。
「そうとも、言えます。そのうちの、ひとつ……といいますか」
満希は俯いて、髪を指先でいじった。やりたいことを教えてくれるつもりはなさそうだった。
短い間に彼女は不安を乗り越えて、できることが増えていく。
慎ましくも強かな姿に、一瞬たりとも目が離せない。
「世界が変わる。霧神様だけじゃなくて、ミツキのおかげだよ」
全ての精霊不足が、解決されるわけではない。
それでも胸の高鳴りを抑えきれずに口元が緩むと、不安そうにしていた満希の瞳が、かがやいた。
局長の前で派手にはしゃぐことはできなかったせいで、自分の喜びがいまいち伝わっていない。
「君は本当にすごいことをしたんだよ。もっと胸を張って」
「……はい」
満希の泣きはらした目が、おだやかになった。
フィルは庭先で触れていた彼女の頬に、触れたくなる気持ちを押し込めて手をつよく握った。
「でも、管理局の方に少し悪い気がして」
「精霊が増えたことはいいことなんだ。精霊と人が共存できるように、管理局が調整するだけだよ」
「フィルらしいですね。まっ……」
満希は不自然に言葉を止めて、視線を宙へ泳がせた。
「……応援してます、ここで」
満希がここで待っていると言ってくれたようで、フィルははにかんだ。
無意識に彼女の頭を撫でると、満希は乱れた髪のまま、嬉しそうにわらった。




