星の向こうで、またあした 52
「すごい、この前頼んだばかりですよ」
「木箱が有り余ってるから、作っちまったよ」
フィルは木工屋の作業台に置かれた、青い依頼箱をそっと撫でた。
天窓から漏れた光を受けて、箱の表面が鮮やかにかがやいていた。
「お代はいらんよ。こんなの簡単に作れるからな」
「ありがとう。依頼があれば、今度はこれに文を入れてくださいね」
店の中はいつもより木材で溢れ、屋台の看板が壁に沢山立てかけられていた。
フィルは箱を脇に抱えて踵を返し、古びた扉を押した。
「クロエとミツキちゃんがいるパン屋に置くんだったか?」
「そう、ミツキが僕に届けてくれるから」
フィルは店主を振り返り、歯を見せて笑った。
陽の傾きかけた道に、建物の影が先ほどよりも長く伸びていた。
いつもより人の多い通りを過ぎ、パン屋の扉を開くと、甘い香りが鼻を掠めた。
カウンター前に立った図体のでかいテオと目が合い、思わず固まってしまった。
レジを打っていた満希がテオの脇から顔をのぞかせ、フィルを見るなり嬉しそうに小さく手を振った。
フィルは手を上げて応えたあと、カウンター前でテオたちの会話を背に、店主を探して奥をのぞいた。
小麦の焼ける匂いが濃く漂う厨房に、パンを仕込むクロエと店主である彼女の父を見つけた。
「本当に、依頼箱置かせてもらっていい?」
フィルはふたりに青い箱を掲げると、親子そっくりな笑顔を向けられた。
「おうよ。フィルのことを尋ねる客が、パンを買っていくからな」
「ありがとう!」
カウンター前で足を止めて、レジ前に箱を置くと、コトリと軽い音がした。
満希は話すのを止めて、興味津々に青い箱へ目を留めた。
「青もいいですね……すごく可愛いです」
「これって、ミツキちゃんが前に言ってた依頼箱?本当にできたんだ」
「テオも、お父さんに伝えておいてね」
フィルが背中を向けて外に出ようとすると、テオが彼女を振り返った。
「俺もそろそろ行くよ。またねミツキちゃん」
フィルは入口で身体の大きなテオと並んだ。
両手にパンの袋をいっぱい抱えたテオに、扉を開けて先を譲ると、父親とそっくりな太い眉が下がった。
その笑顔に、少年の頃の面影があった。
「フィル」
店を出ようとしたフィルの後ろから、満希の声が聞こえた。
レジから離れた彼女は、店内を一度確かめたあとに、身体を寄せて来た。
「……もうすこしで終わるので、一緒に帰りませんか?」
何故かちいさな声で、初めて誘ってきた。
「そのつもりだよ。またあとでね」
合わせて声を落とし、こたえた。すると、彼女が安堵したように短く息を吐いた。
今更約束しなくてもいい気はしたが、誘われるのは単純に嬉しかった。
彼女は前髪を直して、小さく手を揺らした。
初めて会った頃は村の子たちより感情が読みにくかったのに、今では無邪気に手を振るようになった。
フィルは、ひらりと手を振り返した。
パン屋を出ると、テオが店前に置かれた木箱に手をかけていた。
買ったばかりのパンがぎちぎちに詰まった袋は、箱の上で危なげに揺れた。
「まさか、このパン全部夕飯にするの?」
「違うわ!助っ人で来てくれている人への差し入れ」
まつり前でどこも忙しいようだ。
テオが重たそうな木箱を持ち上げると、箱の上のパンが転がり今にも落ちそうになった。
「倉庫まで運ぼうか?」
フィルはガラス越しにパン屋の時計に目をやり、満希の仕事が終わるまでには戻ってこられるか確認した。
「本当?じゃあパン持ってくれない?」
フィルが頷いて木箱の上のパンへ腕を伸ばすと、テオは取りやすいように腰を屈めてくれた。
テオもユランも背がでかい。
この時期になると、村の空気が変わる。
例年よりも屋台が増えた道を歩きながら、隣を歩いたテオを見上げた。
フィルが魔法学校に通う前は、テオはまだ自分の腰ぐらいの背丈だったのに随分大きくなった。
「テオは、ミツキと普通に話すんだね?」
「するでしょ。悪いことしたわけじゃないんだし」
そのとおりだった。
これまで告白してきた子と話さなくなったフィルにとっては、新鮮だった。
「フィル兄ちゃんも、ミツキちゃん好きでしょ」
突拍子もない話に、眉をわずかに上げた。
フィルはこの手の話が苦手だった。
しかし、幼かった筈の目の前の男が、満希に告白したことが——ずっと面白くない。
「……そうだよ」
幼馴染以外の誰かに初めて自分の恋心をはっきり口にした途端、胸が騒がしくなる。
身構えたフィルに対して、テオは「だよなー!」と明るく言葉を返した。
「ミツキちゃんって、目まっすぐ見て喋るの、めっちゃよくね?」
言われてみれば、会ったときから彼女は目を見て喋る子だった。
しかし最近は逸らされることが多く、彼女の夜の森の色をした瞳をしっかり見ていない。
「美人だけど、よく見ると可愛い顔してるしさあ」
「よく見なくても可愛い」
「細いくせに出てるところ出て、体つきは女っぽいし」
「……テオがふられて本当によかった」
だから、こういう話が嫌なんだ。
フィルが小声で本音を呟くと、テオはあからさまに口をへの字に曲げた。
「なんだよ!ミツキちゃんは俺のもんって言いたいの?」
「ミツキは、ものじゃない」
思ったよりも低い声が出て、我に返った。
テオが、らしくない態度を取った自分をじっと見つめていた。フィルはその視線に耐え兼ねて、思わず前を向いた。
年下相手に、何を言っているんだ僕は。
広場で遊ぶ子供たちの声が遠くなり、自分たちの足音が大きく聞こえた。
道なりに進んで角を数回曲がれば、村の共同倉庫に辿り着く筈だが、ずいぶん遠く感じた。
「フィル兄ちゃんは、告白しねーの?」
「言わないよ。僕は魔法管理局員として、ミツキの行先を決めるまで見届ける義務がある」
そして守護人として、あの山を生涯守っていく。そんな自分が、彼女を引き留めてはいけない。
テオが木箱を持ち直すと、中から重たい音がした。
「めんどくせー。そんなことしてるうちに、ミツキちゃんが他の男見つけちゃうだろ」
ぐうの音も出なかった。
満希が歳の近い男と親しくなる機会なんて、ごまんとある。
知らないうちに、彼女が家庭を持つ未来を想像して、口を引き結んだ。
「早く告白した方がお互いのためになるし、時間の無駄じゃない?」
この村で結婚相手を探す若者らしい考え方だった。
フィルは表情を緩めて、若すぎるテオに愛想笑いを浮かべた。
「別に僕は結婚しなくても、仕事があるからね」
「うげぇ~薄々思ってたけど、やっぱり仕事人間かよ~フィル兄ちゃん……」
フィルは家に帰ってから、ひんやりとした霧花の山の前に座り込んでいた。
甘い匂いで満ちた薄暗い部屋の中、ランタンの光が花を持つ手元を頼りなく照らした。
冷えた指先で茎を押さえ、紐で霧花をまとめた。
その花束を箱詰めしている最中に、階段を降りる音が聞こえてくる。
廊下の方に顔を向けると、くすんだピンクのエプロンを着た満希と目が合った。
フィルは見たことのないエプロンを前に、持っていた紐をはらりと落とした。
「どうしたの、そのエプロン」
「リリンちゃんがくれたんです。大事に仕舞っておいたんですが、やっぱり使わないとよくない気がして」
「……そうだね、勿体ないよ」
フィルは落とした紐を拾い、茎へ必要以上に巻きつけた。
料理をするために束ねた長い髪の下で、エプロンがひらひらして可愛らしかった。そう、エプロンが。
部屋へ入ってきた満希は、地べたに座るフィルの前に腰を下ろした。
フィルは女性らしいエプロンから、わずかに視線を外した。
真正面から見ても、やっぱり似合っていた。
「着ないつもりでしたが、リリンちゃんがお小遣い貯めて買ってくれた誕生日プレゼントだったので……着てみました」
「は?誕生日?!いつ?!」
「……3週間くらい前?」
忙しくて、なかなか帰れなかった頃だった。
フィルは開いた口が塞がらないまま、こめかみに手を当てて俯いた。こんな筈では。
「……僕も買う」
「えっ誕生日はもう終わったので、いりませんよ?」
「いやだね、絶対に買う」
持っていた紐をいじり、むっとしたまま呟いた。
満希が黙りこんだあと、抑えた笑い声が漏れた。
「では、お言葉に甘えて」
「ミツキは、欲しい物とかないの?」
彼女は悩んだ末、ちらりとこちらを窺った。その顔を見るかぎり、どうやらあるらしい。
フィルが首をすこしだけ捻って促すと、満希はゆっくり口を開いた。
「甘いものが、食べたいです」
「買ってくるよ。どんなものが食べたい?」
明日局へ報告書を提出しに行ったあと、首都のケーキ屋へ行こうと考えた。
悩んでいた満希が、視線をどんどん落としていく。
「……わたしも、選びたいです」
やけに声が小さく、暗がりで俯く彼女はどんな表情をしているかわからなかった。
彼女のお願いはいつも控えめだったが、今日は一段と慎ましく感じた。
「うん、一緒に行こう」
恥ずかしげな彼女に、笑みがこぼれた。
声につられて頭を上げた満希が、ランタンの光でほんのり赤く見えた。
「あしたパン屋は定休日だよね?あさ一緒に首都へ行く?」
「午前中はまつりの手伝いをする予定なので、午後からだと嬉しいですが……転移魔法は私ひとりで使えますか?」
首都までの転移魔法は一方通行であるため、満希が迷子になることはない。
だが、まだ魔力に慣れていない彼女が、転移魔法をひとりで扱うにはまだ不安が残る。
「ワフッ」
満希の後ろにいた霧神様が、小さく鳴いた。たしかに霧神様の魔力であれば、心配はない。
意図をくみとった彼女は、愛おしそうに霧神様の頭を撫でた。
「じゃあ、レヴァンデルの魔法管理局の前で待ち合わせしようか」
頷いた満希は、甘いものを想像しているのか笑みを濃くした。
立ち上がって台所の方へ向かう彼女の後ろ姿を眺めて、評判の良いケーキ屋を思い出そうとした。
冷えた部屋の中で、フィルはくしゃみをした。
鼻をすすりながら、火の弱くなった暖炉に向けて指を鳴らした。
すぐに火が勢いを増して、食卓の上に置かれていた薬草が見えやすくなった。
森の声が外でささやく中、やさしい眠気がすぐそばまで来ていた。
ぱちぱちと爆ぜる橙色の火をぼんやり眺めると、自分の名を呼ぶちいさな声が聞こえた。
廊下へ目を向けると、寝る支度を終えた満希が、居間の入口から顔をのぞかせていた。
「今日も、ご一緒しても?」
「もちろん」
無意識に口元をゆるませ、隣の椅子を引いた。
連日彼女は隣に並び、本を持ってきたり、リリンにあげる鶴と呼ばれる鳥を紙で折ったりした。
食卓に広げた薬草を奥へ追いやって作業できるスペースをつくると、そこに彼女が羊皮紙とインクを置いた。
止めていた手を動かして、薬草を仕分けていた筈だった。
紙を擦る筆音につられて羊皮紙に視線を移すと、不思議な文字がつづられていた。
「もしかして、裏側の世界の文字?」
「そうです。渚さんへお返事を書いてます」
数日前に届いた手紙を、満希が熱心に読んでいたことを思い出す。
フィルはしばらくその字を眺めたが、だんだん虫のように見えてきた。
以前ひとりで文字の勉強をした筈なのに、すっかり忘れてしまっていた。
「まるでわからない。ミツキの名前も、すごく難しかったよね」
「ふふ、漢字はたしかに難しいですね」
書き損じ用の別の羊皮紙の上に、渚の家で見た満希の名前がつづられた。
この世界の文字は画数が少ないのに、不思議な文字を書くために羽ペンが十数回も複雑に紙をなぞった。
「フィルは、こう書きます」
漢字のすぐ横に、隙間の空いた文字が書かれた。
本で何回か見たことのある字が並び、息を吐いた。こっちなら書けそうだ。
「平仮名と、こっちがカタカナです」
「え、3つもあるの?なんで?」
「なぜでしょう」
フィルは満希の羽ペンを借りて、試しに平仮名を描いた。だがすぐにペン先がくるくると回っていく。
華奢な彼女の指が食卓を大きくなぞり、フィルはその動きに合わせて、ペンを動かした。
指の動きが止まるたびにペン先も止まり、インクが濃く溜まった。
「そこは跳ねます」
フィルは言われたとおりに、ペンを持ち上げた。
ぽかんとペンを見上げた彼女が、口元を手で覆い笑いを噛み殺した。
「そうではなくて、払うんです。強くひねると先端が折れちゃうので、ひっかくような感じで……」
熱心に説明をしていた満希が、フィルの書いた字をのぞき込む。その拍子に、ふたりの肩が触れた。
思わず息を止めて、彼女の横顔を盗み見た。
だが満希は気づいていないのか、ペン先をじっと見守っていた。
体温が肩ごしに伝わり、いつの間にか寒くなくなっていた。
彼女の長い髪が腕にさらさら落ちて、くすぐったい。
なんとか言われた通りに、手を動かした。
「上手いです!」
彼女が頭を上げて振り返った途端、フィルの腕に鼻をぶつけた。
ぴたりと止まったあとに、近づいてきた分だけ身を引いた。
「……すみません」
ちいさく囁いた満希が、当たった鼻ごと髪で隠した。
この前文字をど忘れしたときも、満希が鶴の折り方をフィルに教えていた途中で、ふたりの指先が触れたときも同じ反応をした。
恥ずかしそうなのに、翌日には遠慮がちにまた隣に座って来る満希のいじらしさに、口を引き結んだ。
どうして、毎日隣に座るのか。
目が合うと顔を伏せるのに、偶然会えば嬉しそうにする理由も、全部知りたい。
だがそんなことを聞けば、彼女は明日ここへ来なくなってしまうかもしれない。
悠長だとテオに笑われるかもしれないが、この時間を無駄だなんて一度も思ったことがないし、永遠に続いてほしい。
あわよくば、もっとこっちを見てほしい。
わがままな気持ちを口にしない代わりに、机上に置かれたままの彼女の袖を、すこし引いた。
「……文字、教えてよ。読んでみたい裏人の本があるんだ」
満希は目を瞬いたあとに、肩の力を抜いて笑った。
すぐそばで目が合うと顔が赤くなったように見えて、フィルは尋ねたい気持ちをまたこらえた。




