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わたしの世界 44


 霧を透かした朝日が差し込む台所に、コツコツと何かを叩く音が響いた。

 

 満希とフィルは朝食を作っていた手を止め、窓辺に佇んだふっくらした鳥たちを見た。

 フィルは窓を開け、1羽の鳥の足にくくりつけられた手紙を外した。


「お仕事ですか?」

 休暇中には届かないはずの文に目を走らせたフィルは首を振り、彼女を手招いた。


 

「局長が、他の裏人に会っておいでだって」

「……他の……裏人?」

 

 満希は火を切って、彼の手中にある手紙をのぞきこんだ。

 『ミツキちゃんの今後の行先の参考に、港町の裏人さんに会うといいよ』と綺麗な文字で書かれていた。


「しかしなんでまた突然……」フィルは訝しげに眉をひそめた。

 満希は彼の声を遠くに聞きながら、最後に綴られた一文から目を離さず動かなくなった。

 

 

「……『裏人さんと、本日正午に約束をしておきました』……?!」

「今日?!」


 フィルは身を乗り出し、文をもう一度覗き込んだ。

 馬車の移動時間を含めると、時間に猶予はない。

 

「港町って……暑かったですよね? 私、半袖……まだ持っていなかったような」

 

 以前はクロエの半袖ワンピースを着たが、既に返してしまった。

 2人は互いの顔を見合わせた。

 

 

 

 満希はぶかぶかのフィルの半袖シャツに袖を通すと、薬草の匂いが鼻を掠めた。

 

 男物の袖は、彼女の肘を隠してしまう長さだった。

 大きく開いた襟元から、胸元を隠すレースの肌着がさりげなく覗いた。

 ゆったりしたシルエットは、裏側の世界では流行していたこともあり、頓珍漢な姿には見えなかった。

 

 居間で制服姿のフィルと目が合うと、そろって息を止めた。

 何かを言おうとした彼の口が動いたのを横目に、満希は壁の一点に目を留めた。


「フィル……約束の時間、間に合いますか」


 彼は満希の視線の先にある時計を見て、顔を青ざめさせた。


 

 

 

 焼き菓子の甘い香りや、香水のような匂いが風に混じって通り過ぎていく。

 

 首都の喧騒に紛れ、ブーツの足底が石畳の道を叩いた。

 無我夢中にフィルと満希は肩を並べて走り抜けると、人だかりは彼らを避けるように道を開けた。

 息苦しくなると、見慣れた馬車の列を見つけた。


 

「ま、間に合った……」

 

 満希は荒い息を、ハンカチで隠した。

 汗をぬぐいながら広場の時計を見て、ようやく胸を撫でおろした。

 

 左手に違和感を覚え視線を落とすと、転移魔法を使ってからフィルと手をつないだままだった。

 焦って走った所為なのか、自分が無意識に離さなかったのかはっきりと思い出せない。

 

 手の甲まで包まれたぬくもりから抜け出し、外気に触れた指先はスカートの裾を掴んだ。

 

 

「……身体が重い……制服のお腹まわりが苦しい……」


 フィルは乱れた前髪をかきあげて、息を整えた。

 彼のいつもと違う分け目を盗み見して、満希はぎこちなく目を逸らした。


 満希の護衛を務める魔法管理局員として、今日は制服を着ているらしい。


 

「ミツキのごはんが、美味しすぎるせいだ……」

「……私のせいでしたか……」

 

「僕のお腹、太ったと思わない?」

 

 彼の腹に視線を移し、満希は言葉を探した。

 正直、他人のお腹なんて気にしたことがなかった。


「フィルのお腹は……」


 先日、脇腹の印を確認する際に見えてしまったフィルの腹が、満希の脳裏を掠めた。

 想像よりもたくましい腹筋を鮮明に思い出し、言葉を紡げなくなった。

 

「僕のお腹は?」

 不自然に言葉を止めた満希に、フィルは首を傾げた。

 

 

「誰も見ませんので、大丈夫です」

「それはそうだけど」

 

 満希は乱れた前髪を直して、霧の無い晴れた空を見上げて目を細めた。

 

 


 

 繁忙期を過ぎた馬車の中は快適で、前回よりも楽に港町ルミエラへ辿り着いた。

 潮の香りに誘われるように顔を上げ、陽の光を吸い込んだ海を視界に入れると、心が弾むのを感じた。

 

 2人は手紙に入っていた地図を頼りに、強い日差しを背にして歩き出した。

 

 地図を確認するたびに互いの距離が狭まり、彼の制服に染みついた薬草の匂いが濃くなる。

 やがて、いびつな線の地図に記された、海沿いにそびえ立つ青い屋根の家を見つけた。


 

 扉の前、満希は強張った指先で、スカートの皺を伸ばした。

 自分の襟元を締めたフィルと視線が交わると、彼の眼差しがやわらかくなった。

 


「……やっぱり服、ちょっと大きかったね」

 

 骨ばったフィルの指先が、彼女の浮いた襟をなぞった。

 満希は息を呑み、襟を引いて自分の首元を隠した。



 

 呼び鈴を鳴らそうとしたフィルは、紐に括りつけられた小さな張り紙を見つけた。

『起きてしまうので、ノックしてください』


 フィルは首をかしげながら、張り紙通り青色の扉をノックした。

 

「魔法管理局のフィル・エルムです」

 

 しばらく待っていると、扉の向こうから足音が近づいてきた。

 

 

「いらっしゃい!」


 扉を勢いよく開いたのは、明るい笑顔の女性だった。

 健康的な小麦肌からのぞく白い歯が、やけにまぶしい。


「来て早々に悪いんだけど、ちょっと居間で待っててくれる?着替えてくるから」

 

 短い黒髪のえりあしは濡れ、雫が首元のタオルに沁み込んでいた。

 服までびしょ濡れの渚は、床に水たまりを作りながら奥へと消えていった。

 

 満希とフィルは顔を見合わせ、渚が指を差した居間の中をのぞいた。


 

 視界を埋め尽くす群青色に、目を奪われた。

 

 青色の壁紙は上に向かって色が薄くなり、まるで海底から空を見上げているようだった。

 整然とした部屋だったが、カラフルな玩具が隅の方に散乱していた。

 

 部屋の奥に吊るされた貝殻のモビールが、ゆらゆらと揺れているのを見つけた。

 その下に置かれたベッドを覗き込むと、赤ん坊が寝息を立てていた。


 

「……フィルっ」

 声をひそめ、たからものを見つけたように彼の名を呼んだ。

 赤ん坊の口元が動くと、ほっぺが微かに揺れた。満希はふっくらしたほっぺに、釘付けになった。

 

「……わー、ちいさっ」

 フィルは弾んだ声を出し、身を乗り出した。

 こっそり彼の顔を見ると、リリンを見つめるときと同じように、ふにゃふにゃに表情が緩んでいた。


 

 

「お待たせー!今日は急に呼んだのに来てくれてありがとうね」

 

 ラフな格好に着替えた女性は、人数分の茶を用意して現れた。

 満希は背筋を伸ばしてお辞儀をした。すると女性は「いいからそういうの!」と、大げさに手を振った。


「フィルさん、暑いから上着脱いだら?」

「あはは……じゃあお言葉に甘えて」


 満希とフィルは、彼女の気さくな態度に、緊張した肩の力を抜いた。


 

「渚だよ。カイルさんから話を聞いて、ずっと会いたいと思ってたんだ」

「嬉しいです……満希と申します」



 渚は満希たちの傍へ寄り、ベッドの中を覗いた。

 赤ん坊のおだやかな寝顔を確認すると、渚の口元が緩んだ。

 

「かわいいでしょ。いま4ヶ月なんだ。やっと大人しく寝るようになったから、ゆっくり話ができそうだと思ってさ」

 渚の顔色は明るいが、目元には隈がうっすら浮かんでいた。


 

「名前はまだ決めてないの。日本と違ってすぐ決めなくていいからね」

「……裏側の世界は、すぐ決めないといけないんですか?」

 フィルの問いに渚は大きく頷いた。


「今は漢字の名前を考えているところ」

 満希は口元を隠して「素敵……」と小声で呟いた。


 

 渚に促され、満希とフィルはテーブルを囲むように腰を下ろした。

 開け放たれた窓から、さざ波の音が聞こえてきた。


 

「ミツキちゃんの名前はさ、満月って書くの?」


 満希は目を丸くして、首を振った。

 どこからか取り出してきた羊皮紙と羽ペンを渚から差し出され、満希は久しぶりに自分の名前の漢字を綴った。

 辿られていく文字を、夜の海色をした渚の瞳が追いかけた。


「いい名前じゃん!」

「妹と祖母の名前には、月がついてるんですけど……」

 

 羊皮紙のはじっこに『結月』と『葉月』を書いて、ぽつりと溢した。

 幼い頃は、自分の名前を見るたびに寂しくなった。

 

 

 渚は羊皮紙に書かれた漢字を、それぞれ見比べた。

 綴られた文字の上に平仮名で振り仮名を振ると、歯を見せて笑った。

 

 

「3つのおつきさまじゃん」


 満希は並んだ『つき』の文字に、息を呑んだ。

 

 言葉を失う満希に気づかないまま、フィルは並んだ漢字を指さして渚を見上げた。

 

「彼女の名前のカンジは、元々どういう意味の言葉ですか?」

「『満たす』と『希望』に使われる漢字だよ」

「へー!……満ちた希望」


 満希は視線を感じ頭を上げると、フィルの嬉しそうな翠玉色の瞳とぶつかった。

 

 

「うん、ぴったりだ」

 

 満希は、一拍遅れて羊皮紙に視線を戻した。

 

 並んだお月さまを見つめ、苦い香りが染みついた襟をいじった。

 頬が熱くなるたびに、コップに口をつけた。するとあっという間に茶は無くなってしまった。

 

 

 

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