名前のない祈り 31
「こんな夜更けなのに、まあ皆さんお揃いで」
魔法管理局の局長カイルは、おどけて肩をすくめた。
彼が喋るだけで、空気が軽くなるのを感じる。
ワイン色の深紅の制服に身を包んだカイルを見るなり、オブリビオン侯は眉がひくひくと動いた。
「国家魔法管理局……ですと?何故こんなところに?」
「山神様が案内してくれまして。いやあ、助かった」
アサギリは背中を向け、満希の前に座り込んだ。
上目遣いで後ろを振り返り、褒められるのを待っているアサギリを、いつものように撫でてあげる。
「さて、まずはあなたのお話から聞きましょうか?そちらの派手な服を着ている方」
カイルは長い指先で自身の顎を撫で、鋭い青い瞳で男を射貫いた。
オブリビオン侯は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに余裕綽々とした態度に様変わりした。
「少々、ビジネスの話をしにそちらの候補……いえ、守護人サマに会いに来まして」
「なるほど?」
「生憎、家にはいらっしゃらなかったので、帰るところでした」
「真夜中にビジネスの話とは、斬新ですね」
カイルはにっこり笑いかけると、オブリビオン侯も胡散臭い笑顔を返した。
「ではその袋の中に商品が?」
「ええ。精霊が少し入ってしまったので、山の下で逃がそうと思っていました」
満希は眉をしかめた。平然と嘘まででっち上げた。
先程まで意気揚々と袋の中に精霊を捕えていたくせに。
「もし精霊を持ち帰れば、精霊狩りで捕まってしまいますよ」
「危ないところでしたねぇ。もし入ったとしても、精霊譲渡許可証を申請しますので抜かりありません」
彼らの企みを一瞬で理解したカイルは笑みを濃くした。
カイルは、膝をついたフィルの背中を一瞥する。
「『精霊譲渡許可制度』は最近、登録事業者の再登録が必要になりましたねぇ」
「全く煩わしい」
「おかしな業者の密輸が多くてねぇ。精霊を守るためには仕方ありません」
オブリビオン侯が憤慨しているのに対し、カイルは楽しそうに目を細めた。
だが、瞳の奥は冷え切っている。
「それで、新しい許可証には印章が必要でしたね。押せましたか?」
山に入った理由がバレているオブリビオン侯は、口を真一文字に締めた。
調子を崩した男に、カイルは不敵に笑う。
「おまけに実地監査も追加されて、精霊の声を聞く者が監査するそうですよ。不正なんてできなくなりましたねぇ」
「……精霊の、声?!」
オブリビオン侯爵が驚愕すると、ずっと黙っていたヴァンが「まじかよ」、と呆れた声で呟く。
「その制度改正を担当したのが、こちらのフィル・エルム局員です」
「……局員だと?守護人が?」
オブリビオン侯爵の眉は、痙攣したように動いた。
フィルは、思わず苦笑いするしかない。
「まあ、守護人候補サマの話なんて、なかなか耳に入って来ないですよね」
男は、口を閉ざすしかなかった。
魔法管理局員の家に、わざわざ足を踏み入れたのは誤算だった。
「なので、その袋に精霊だけ入っていたら、連行しないといけませんね」
カイルはにやりと楽しそうに笑う。
袋の中身を知っている口ぶりだった。
「それはいけません。あなたもご存じ、私はオブリビオン侯爵家ですから」
焦った素振りもなく、その男は胸を張った。
その名を振りかざし、今までも悪いことを繰り返したのだと満希は悟った。
しかし、カイルは瞳の奥を冷たくする。
「やはりアルフレイムのお貴族様でしたか。不可侵条約はどうしました?霧抱きの山へは勝手に入れないはずでは」
「あれは業者間には該当しませんよ。言ったでしょう、ビジネスだと」
あくまでも、自分たちを犯罪者だと認めない。
おそらく帰ってから、架空の業者を捏造するに違いない。
思ったよりも、準備がいい下衆をカイルは無表情で見下ろした。
「ではどうして、そちらのお嬢さんと一緒に山を下りていたんです?」
カイルの瞳がぎらりと光った。
思わぬ掘り出し物の言い訳を考えていなかったことに、男は内心冷や汗を流した。
「……山で迷っていたのを見つけまして。それで保護しました」
男の言い分に、満希は眉間の皺を深くした。
迷子じゃない。それにこんな乱暴な保護があるものか。
「村まで送り届ける予定でしたが、迎えが来て本当によかった」
肩をすくめて、白々しく言った。
オブリビオン侯の悪びれもしない姿に、満希は怒りを通り越して呆気にとられていた。
「とのことですが?そちらのお嬢さん」
カイルの目尻を下げた青い瞳と目が合う。
「……いいえ、私を売るつもりだったそうです」
満希は喉の奥の怒りをこらえて、淡々と事実を述べた。
彼女の言葉を聞いたオブリビオン侯は、大げさに頭を抱えるフリをした。
「なんと……彼女は混乱しているようですね。せっかく助けて差し上げたのに……」
彼女の反応は想定内だったようで、男は取り乱さなかった。
「ここで話しても仕方ありません。これは後日裁判で」
「待つ必要はないさ、オブリビオン侯。 あなたを今ここで拘束する」
暗闇に紛れていた他の局員が、男たちを地面に叩きつけた。
侯爵は、衝撃に目を瞠る。
「裏人誘拐犯の、重罪人としてね」
カイルは冷えた目で、オブリビオン侯爵を見下ろした。
「裏人、だと?!」
侯爵は、驚いた様子で満希をまじまじと見た。
先ほどまでの態度は一変し、顔色が一気に悪くなる。
「そうだとも。裏人の証言はあなた方より重く、覆すことはできない」
「そんなバカなものがあるか!」
オブリビオン侯の大きな声が、山の中に響く。
その怒声をものともせず、カイルは口元を綻ばせた。
「ありますとも。彼らは、偉大な客人なのですから」
カイルの笑っていない目が、重罪人の目を射貫く。
男はわなわな震え始め、愕然としていた。
「最も重い罪を犯すなんて、オブリビオン侯爵家も落ちたものだ。お父様はとても素晴らしかったなあ」
「ま、待て、知らなかったんだ。裏人だと思っていなかった」
「だから許せと?……無理でしょうね」
ふと、満希は月明かりを遮る大きな影に包まれていることに気づいた。
影の主である獣を見上げ、息を呑んだ。
「山神様は、とっても怒っているようですし」
アサギリは建物のように大きな姿へと様変わりしていた。
満希が夢の中で見た姿と一緒だ。
アサギリは身をかがめ、大きな2つの満月色の瞳でオブリビオン侯爵をぎょろりと射貫く。
2つの満月に睨まれた男は、神の威圧に成すすべもなく、地面に伏したまま意識を失った。
カイルは大きくため息をついて、往生際の悪いオブリビオン侯を呆れるように見た。
侯爵と、ヴァン。ログハウス前に霧神様が捕縛した男の後片付けを、局員に指示した。
局員が行き交う合間に座り込んだ2人の前にカイルはしゃがみこんだ。
「フィル、ご招待どうもね」
「……はい……、助かり……ました」
フィルは胸を撫でおろし、満希の肩を抱いていた力を緩めた。
ぐったりしたフィルを、満希は慌てて支えた。
その瞼はきつく閉じられ、荒く息を繰り返している。
「フィル?!」
「あら。一旦戻ろうか」
そう言うなりカイルは、軽々とフィルを肩にかついだ。
満希は、力持ちのカイルを見上げ目を瞬く。
カイルの凛々しい横顔は、お菓子ばかりたべていた最初の印象とはまるで違った。
「ミツキちゃん、歩けるかい?」
「は、はい」
答えたものの、満希は尻餅をついたまま立ち上がることができなかった。
今更になって腰が抜け、手が震え始めた。
動けなくなった満希を励ますように、精霊が集まってきた。
優雅に舞う姿に、胸を撫でおろした。
ぽふ、とアサギリのふさふさの白い尻尾が、満希の頬を撫でた。
見慣れた大きさに戻った犬は、背中を向け満希を振り返った。
満希が背中を撫でてやると、どうやら意図が違ったらしくその手を避けた。
アサギリは、器用に満希を背中に乗せた。
「え、え?! お、重いでしょ、アサギリ」
満希は犬に跨る格好で、話しかけた。
心配をよそに、犬はしっかりとした足取りでカイルの背中を追う。
神様の背中に乗ってしまった満希は、複雑な心境だ。
恐る恐る白い毛に触れる。
いつものアサギリの温度に包まれ、ようやく肩の力を抜いた。
「魔力が無くなったようだね」
ログハウスに戻り、カイルはフィルをベッドに横たえた。
フィルのいつもより低くて少し苦しそうな呼吸が、聞こえてくる。
「そんなに魔法使ってたのかい?」
「いえ……ナイフが当たってから様子が変わって……」
カイルがフィルの両腕を見ると、傷口は痛々しく青紫色に腫れていた。
「魔力を奪う毒だね。普段売ってないはずだけど……密輸もやってたわけ?」
罪を数える方が大変だとばかりに、カイルは指を折っていく。
「フィルは、大丈夫ですか……?」
「しっかり休めば大丈夫さ」
満希は安堵の息を吐いた。
カイルは部屋にあった救急箱を取り出し、フィルの怪我を慣れた様子で治療をする。
ふと、彼女の腕が目入ると、腕や頬に細かい傷がいくつもあった。
「怪我してるじゃないか。見せてごらん、袖を捲ってもらえるかい?」
「は、はい」
満希はすぐに腰を下ろして、袖を折っていく。
腰を下ろした満希の膝の上へ、アサギリが顎を載せる。
犬らしい山神の姿に、カイルは苦笑いした。
「あの……どうして、カイルさんはここに来られたんですか?」
「フィルから応援要請が届いたのさ」
カイルは、フィルの肩で眠っている白いリスを指さした。
満希はその小さな可愛い動物に、言葉を失う。
「この家は転移魔法でつながってるからね。そのあとは霧神様が道案内してくれたのさ」
「霧神様が……」
膝の上にもたれたアサギリは、甘えるように満希を見上げた。
カイルに腕を取られ、ぺたりと冷たい傷薬を塗られる。
その様子をぼんやり見た満希は、連行されていった犯人を思い出していた。
「あの人たちは……どうなりますか?」
「さあ、どうなっちゃうだろうね」
カイルが不敵な笑みで、はぐらかした。
満希は色んなことを聞きたかった。条約のことも、精霊狩りのことも。
「……裏人誘拐は、重罪なんですか……?」
その中でも一番気になっていたことを口にすると、カイルは頷いた。
「裏人さんは、ゆっくり土地を癒す力を持っているからね」
満希は、港町の海を思い出した。
濁った海があそこまで綺麗になるのであれば、国をあげて保護するのも納得だ。
「俺たちの仕事は、君みたいな裏人さんが生活しやすくすること。今日は、その仕事をしに来たんだ」
何故フィルが応援要請をし、夜更けにカイルが飛んできてくれたのかやっと理解できた。
「犯人の後片付けがまだあるから、一旦戻るね。また来る」
「遅い時間に……ありがとうございました」
リビングのカーペットをめくり、カイルは転移魔法を使って帰って行った。
居間は静寂に満ち、何も音がしない。
空が白み始め、居間を微かに照らし始め、夜明けがいつの間にか来ていた。
長い夜を終えて、満希はへたりとその場にしゃがみ込んだ。
力の抜けた背は疲れ切って、丸まっていた。
白い毛が満希の頬を撫で、満月色の瞳と目が合う。
その毛むくじゃらにしがみついた。
「……カイルさんを連れてきてくれて……助けにきてくれて、ありがとう」
満希は震えた腕でアサギリを抱いた。
アサギリはふさふさの尻尾で、床をリズムよく叩いた。
フィルの部屋に戻り、苦痛の表情を浮かべる彼を見つめた。
普段目にすることのない表情に、胸が引き裂かれそうになる。
早くその瞼を開けて、翠玉色の瞳を細めて欲しい。
助けてくれたお礼が、早く言いたいのに。
「……本当に、大丈夫なの……?」
満希はフィルの横顔を、不安そうに見つめていた。
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