ぬくもりの行方 23
荷馬車を下りた二人は、やっとの思いで地に足をつけると、ぐったりと表情を変えた。
人の波にもまれ、容赦なく跳ねる馬車旅は、全身筋肉痛になりそうなほど過酷だった。
さらに満希は、フィルに体重を乗せすぎないように、全神経をすり減らしていた。
満希は潮の香りに誘われるように顔を上げると、澄んだ色の海に息を呑む。
陽の光を浴びた海の水は、浅瀬の砂まで見えるほど透き通っている。
波がおとずれるたびに、心地いいさざめきが耳に届く。
山の葉のささやきとは違う、やさしい音に満希は耳をすませていた、が。
「あ、暑い……」
陽の光が、山とはくらべものにならないほど強く、湿気も多い。
満希はたまらなくローブを脱ぐと、ローブの中から綿毛が飛び出した。
なぜ、クロエが半袖ワンピースを貸してくれたのかよくわかった。
暑そうに髪をかきあげた彼女の白いうなじが見えると、フィルはあわてて視線をそらす。
きつく瞼を閉じれば、たった今見えた満希を瞼の裏に思い浮かべてしまう。
うなじのすぐ下あたりに、透け感のあるレースがあしらわれ、肌が品よく覗いていた。
ワンピースの裾から覗く腕や足も、細く真っ白でまぶしかった。
「ミ、ミツキ。その、背中……」
「え、な、なんですか?」
満希は慌てて、アサギリに止めてもらったボタンをひとつずつなぞり、外れていないか確認する。
フィルは彼女を見ようとしない。
「満希は、……その、そういう感じの服、よく着てたの?」
「(……どういう感じ?)」
裏側の世界の服が気になるのだろうか。
背ボタンの服は着なかったが、肩や裾にレースをあしらう服は、夏場に着ていた。
「……わりと?」
あっけらかんと答えた満希に、フィルは頭が痛くなる。
「(満希はいつも、首までしっかり閉めるのに……)」
いつも隠れた肌がちらつくたびに、余計に目立って見えた。
「……ちょっと、中で涼もうか」
食堂らしき建物をフィルが指差すと、満希は大きく頷いた。
店内はひんやりと涼しく、がやがやと人の声が絶え間なく響いていた。
果実や魚の匂いが鼻を掠めると、途端にお腹が鳴りそうになる。
人のよさそうな店員に案内された席からは、海が見えた。
満希は座るなり、窓から覗く波を、夢中になって目で追っていた。
澄んだ海は、波が寄せるたびに色合いを変えていく。
白い砂浜をすべる浅瀬まで視線を移すと、色を変えた透明な海をじっと見つめる。
あの透けた綺麗な緑は、どこかで見たことがある——。
満希は、フィルの翠玉色の瞳と目が合う。
フィルは脱いだローブを落としてしまい、見とれていた自分に反省してすぐに拾った。
満希は思わず、窓へ視線を戻した。
(……フィルの瞳と、同じ色)
綺麗な色の波に、満希は少しだけ笑いかけた。
「海すっごく綺麗ね!」
「やっぱり、裏人のおかげなのかな?」
聞こえてきた『裏人』の言葉に、満希は反射的に辺りを見渡す。
すぐに窓の外を眺める男女を見つけ、耳をそばだてた。
「もう長く住んでるんでしょ?綺麗になるのも納得」
納得している二人をよそに、満希は理解できず首を傾げた。
そういえば、魔法管理局の局長であるカイルが、前の裏人は海に行ったと言っていたことを思い出す。
不思議そうにしている満希に、フィルは口を開く。
「裏人に精霊が集まるの、覚えてる?」
満希は頷いた。
フィルに初めて会ったときも言われたのを覚えているし、あの山で実感することが多かった。
「裏人が住む場所は、何年もかけて精霊が増える。だから僕たち魔法管理局は、裏人を保護するし、縛らない」
満希は思わず目を瞠った。
裏人が自由である理由は、思いもしなかったものだった。
「あの海も、数十年前は濁って暗かったんだ。すごいよね、裏人って」
フィルは、窓の海に視線を移す。
つられるように満希は、海をまぶしく見つめた。
その話を聞いても、彼女は自分が同じ裏人だとちっとも思わなかった。
自由な裏人という言葉は、行き先の決まらない満希の胸をしめつけた。
「はーい、お待たせしました」
香ばしい匂いと共に料理が運ばれてくると、満希とフィルは目を輝かせた。
こんがりと焼けた色とりどりの海産物の焼き物は、見た目も大きさも迫力があった。
心弾ませてフォークを刺し、ひとくち、ふたくちと味わうと、口の中で燃えるような痛みが走る。
「「……か、辛い!!」」
思わず声がそろってしまう。
周りからは同情の目を向けられていることに気が付き、2人は小さくなる。
涙を浮かべた2人はまた視線が合うと、困ったように目尻を下げた。
「さて、お腹もいっぱいになったし、みんなのおつかいに行こうか」
お腹を満たした2人は、潮の匂いに包まれた町を見渡した。
広い町に、満希は不安と期待が入り混じった気持ちになった。
綿毛には、スカートの裾に上手に隠れてもらい、日照りの強い港町のルミエラに繰り出した。
フィルは、露店や町の片隅にある小さな店へ顔を出して、メモにまとめた食材や薬草を買っていた。
満希はフィルの影を踏みながら、町の風景を楽しんでいた。
貝殻が詰まった壁や、海の桟橋がにぎやわう町並みは、港町らしい風情があった。
桟橋の方は人がにぎわい、焼き物の匂いに満ちている。
天高い空と広い海が接する広大な景色に、満希の足取りは軽くなる。
木陰を踏めば、満希の長い髪を潮風がさらう。
普段は長袖に隠れている、フィルの広い背中を追う。
(……なんか、心地いいな)
満希は潮の匂いがする海風を吸い込み、ほっと息を吐いた。
店の主と会話に花を咲かせるフィルから離れ、満希はぼんやり透明な海を静かに見ていた。
「こんにちは、お嬢さん」
突然、後ろから声をかけられ、満希は驚いて振り返った。
見知らぬ観光客の3人組の男たちに囲まれ、彼女は困惑の表情を浮かべる。
「海は初めてですか?」
「案内しますよ」
満希は突然のことに後ろへ下がると、その男の一人とぶつかる。
大丈夫ですか、と声をかけられても、満希の眉は下がった。
服の裾に隠れていた綿毛が、庇うように満希の胸元へ舞った時だった。
「お兄さんたち、彼女に何か用ですか?」
フィルが、貼り付けた笑顔でその男たちに話しかけた。
異様な雰囲気のフィルに、男たちはぎょっとするように身をすくめた。
「僕、国家魔法管理局員ですが」
「げ……魔法使いかよ……」
「この辺は詳しいので、どうぞお引き取りください」
フィルが努めてにこやかに笑うと、3人は顔を見合わせて、逃げるようにその場を立ち去った。
彼は満希に振り返ると、今度は彼女が身をすくめた。
「ミツキ、大丈夫?呼んでくれてよかったのに」
フィルは満希を気遣うやさしい声だった。
だが、彼女は口を真一文字に締め、眉をしかめた。
「……道を聞かれただけです」
視線を外して困ったように彼女は、胸元にいた綿毛を落ち着きのない様子で撫でる。
いつもと様子の違う彼女を、心配するようにフィルはのぞき込んだ。
「……そうじゃなくて」
フィルが少しだけ困ったように、眉を下げて満希を見た。
「君が困ってるように見えたから……」
フィルの言葉に、満希は息を止めた。
のぞき込んだ彼の瞳を見ると、困った顔の自分が映っている。
「……私、そんな顔してましたか」
信じられないというような顔の満希に、フィルは頷いた。
自分の頬に触れながら、先ほどのことを思い返した、その時。
額に雨粒が落ちてきた。
空を見上げると、真っ黒な雲が積みあがり、辺りは雨の匂いに満ちていた。
雨が本格的に降り始め、フィルは満希の背を押す。
「ミツキ、ひとまずあそこへ」
軒先の下をくぐると、2人はびしょぬれになっていた。
バケツをひっくり返したような雨が降って、空を見上げようにも叶わない。
「……どうしようかな」
フィルは困ったように呟くと、雷がごろごろとなりはじめ、風も荒々しく吹いてきた。
すっかり表情を変えた海を満希は呆然と見ていた。
ふと、雨宿りした建物から家主らしき人物が顔を出した。
「2人とも、ひどくなるから入っておいで」
雨宿りをした建物を見上げると、そこは宿屋の看板が吊る下がっていた。
2人がびしょぬれのまま中へ入ると、やさしい花の香りがふわりと漂っていた。
満希は玄関先の飾られた一輪の花を見ていると、先ほどの人物がタオルを持ってきてくれた。
フィルはお礼を言って、その厚意に甘えることにした。
満希は、手で抱えていたびしょ濡れの綿毛をやさしく拭いてあげた。
「この時期は嵐がすごいから。最後の一部屋空いているけど、泊っていく?」
2人はびしょ濡れのまま、目を合わせた。




