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第19話


 暗がりの中、灯篭の下で針がきらめく。

 満希は森の色をした布に、糸を落としていた。


 アサギリは彼女に尻尾を絡めるが、満希は目を離さない。

 

 「……あと少しだけね」


 そう言いながら、何度も欠伸を噛み殺す。

 アサギリは揺れる象牙色の糸を、興味深そうに目で追っていた。

 


 

 

 最近の満希はもっと変だ。

 

 フィルは、風で泳ぐ彼女の髪を撫でながら、船を漕ぐ彼女を見た。

 いつも張り詰めたように姿勢を正す彼女が、ぼーっとして料理を焦がすし、眠たそうに食事をする。


 

 「ミツキ、終わったよ?」

 

 髪を乾かす風を止めて彼女の肩を叩いたが、反応はない。

 代わりに、膝で寝ていたアサギリが起き上がる。

 

 顔を覗くと、瞼を伏せて気絶するように眠っている。

 無防備な寝顔に、庇護欲と驚きが入り交じりフィルはぎこちなく視線を逸らす。

 

 

 気が付いた時には、満希はすとん、とフィルの胸元に倒れ込んでいた。


 ……前もこんなことがあった。

 石鹸の香りと腕に触れる髪のくすぐったさに、慌てて意識を逸らす。

 力の入っていない彼女の肩を抱き、あの日のようにどうするか悩んだ。


 


 アサギリがのっそり立ち上がり扉の前に立つと、フィルを振り返った。

 お前が連れてこい。そう頭に響きフィルは瞠目する。

 

 

 「え、ちょ霧神様!」


 アサギリはさっさと2階へ向かい、フィルたちは取り残された。

 彼女の細い肩をやさしく掴み、フィルは悩んだ末に腕の中の満希を抱き上げた。


 彼女の体温をダイレクトに感じてしまい、フィルは固まったように動けなくなる。

 何度も心の中で明日の仕事のことを考え、なんとか足を踏み出した。





 

 恐る恐る彼女の部屋を覗き、窓に何もないことを確認し、ほっと胸を撫でおろす。

 部屋は、若い葉をちぎったときのような青い香りがする。

 

 アサギリは部屋の隅で優雅に伏せ、フィルたちを待っていた。

 そのお腹に象牙色の刺繍糸がついていることを、フィルは気づかなかった。


 

「……よっ」

 フィルは満希をベッドに下ろし、顔を覗き込む。

 いつもは凛とした表情の彼女が、今は少女のような顔で眠っている。


 

「(……大丈夫なのか?)」

 

 この家に来たばかりの頃、眠りすぎていた彼女を思い出す。

 精霊過密になるほど、精霊が集まってしまい深く眠った日もあった。

 

 最近は新しい生活が始まり、心身疲れているに違いない。


 

 石鹸の香りがする彼女の髪が、指の間からすり抜けていく。

 柔らかな感触に、ふと我に返る。


 いつも乾かしている彼女の髪を無意識に撫でていることに気が付き、慌てて引っ込めた。

 

 

 アサギリがフィルの脇をすり抜け、我が物顔で満希のベッドに上がった。

 満希は寝ぼけながら慣れた手つきで、温もりに手を伸ばす。


 抱きしめられたアサギリにどや顔で見上げられ、フィルは少しむっとした。

 

 フィルは、微かにいい匂いのする部屋に居た堪れなくなり、部屋を後にした。

 


 

 

 

 ——次の日、宵闇を迎える頃。

 フィルが満希を迎えに行くと、通りの端にある小さな青果店を見つめる彼女の姿を見つけた。

 

 満希は彼の姿を見つけるなり、そっとその店を指さす。

 

「フィル、野菜を買い足しに行ってきていいですか?」

 満希がそう言うと、フィルは「え」と驚いたように固まり、その店先を呆然と見つめた。

 


「……だめでしたか?」

「……いや、うーん」

 

 フィルは腕を組み考え込んでしまった。

 瞼をきつく閉じ、あれこれ考えて眉間に皺が寄っていく。

 

「まあ、大丈夫かな……?」

 結局思考を諦めて曖昧にフィルが笑うのを、満希は不思議そうに見つめた。

 

 


 フィルと店内に入ると、青々しい野菜の匂いと土の匂いが混ざっていた。

 店内に並べられた色とりどりの野菜は、瑞々しくハリ艶がいい。

 

 クロエにおすすめの青果店を聞いてよかった。

 ふと、店主の中年女性が自身を上から下まで見ていることに気がつき、満希は身をすくめた。

 

 

「あなたがフィルのお嫁さんのミツキちゃん?」

「……えっ」

「やだなあティヴェリーおばさん、お嫁さんじゃないですってば」

 

 

 フィルは慌てて満希を背に隠した。

 満希は山の匂いがする彼の背中を見つめ、この店に入りづらそうにしていた理由を察した。


 しかし、これは山の守護人の信用問題に関わる。

 実直な満希は、彼の背中から顔を出す。

 


「あの、私は」

「いっぱい食べな!いい赤ちゃん産まれないからね!」


「「あ、赤ちゃん……?!」」


 

 フィルと満希の声がぴったり重なる。

 2人は顔を真っ赤にして、荷を詰め始めたティヴェリーをぽかんと見ていた。


「今日はサービスしてあげる。だから、またおいで」

「いや、だから違っ」

「はいはい、わかったから」


 フィルはティヴェリーに反論したが取り合ってもらえない。

 その様子を横目に、満希は気配を消して逃げ出すように店内を出た。


 

 満希は店から離れたところで立ち尽くしていた。

 心臓がバクバクとうるさく、恥ずかしい。

 だが何が恥ずかしいのか、自分でもよくわからなかった。


 満希は落ち着こうと瞼をきつく閉じたが、鼓動は勢いを増すばかりだった。

 

 

 店から出たフィルは彼女の背中を見つけて、髪をかきむしった。

 

「ごめんね。ティヴェリーおばさんは噂好きで……」

 

 満希は、フィルの声を聞くなり何もないところで突然つまずいた。

 フィルは彼女のそばに寄り、その腕を引いて立ち上がらせると——満希は、耳まで真っ赤にしていた。

 

 

「え」

 フィルは思わず彼女の腕から手を離すと、満希はへたり込んでしまった。


「……だ、大丈夫?」

 フィルはすぐに我に返り、座り込んだ彼女と目線を合わせた。

 彼女からは、すこしだけパンの香ばしい匂いがした。


「……はい」

 満希は慌てて顔に手を当てた。

 

 

「は、初めて言われたものですから……」


 顔を隠す満希の手は動揺で震え、彼女は落ち着きのない様子で下を向いた。

 満希は、キャパを超えてしまったようだ。


 

 フィルは困っている彼女を見つめた。

 耳まで真っ赤に染めてうろたえる姿は、いつもの満希からは想像もつかない。

 フィルは庇護欲を掻き立てられたが、頭を振る。

 


「……フィルは、私との噂……困る人はいないんですか?」

 フィルは彼女の言葉に、本気で言っているのかと咎めるように眉をひそめた。


「……まさかミツキ、僕に彼女がいると思ってるの?」

 

 四六時中仕事ばかりするフィルを思い出し、失言だったと気が付く。

 「僕の何を見てたの?」と、フィルの不満げな視線に、満希は身をすくめる。

 

「で、でも一応……」

 言葉を濁す満希に、フィルは小さく息を吐いた。

 


「噂もそのうちおさまるよ。悪いけど適当に流しておいてくれるかな」

 

 

 満希は、目を閉じて深呼吸をする。

 この村からいつかは離れる時がくれば、こんな噂はすぐに消えるだろう。


「……はい」

 

 満希は手をつよく握った。






 辺りが静まった、深い夜。

 いつも通り満希の髪を乾かした後、フィルは居間のソファで本を読んでいた。

 灯篭のオレンジ色の光を頼りに、びっしりと並んだ細かい文字を見つめていたフィルはため息を吐く。

 

 霧神にまつわる文献をいくら探しても、満希の妙な魔力のことはひとつもわからない。


 ただ、この前見た彼女の首の痣は、見覚えがあった。

 

 

 山神に選ばれた、守護人が記される印。


 フィルは生まれつき刻まれた、脇腹の印に触れた。

 今は鮮明に刻まれているが、幼い頃は掠れて色が薄く、満希の痣とよく似ていたものだった。

 


「……フィル」

「うわっ」


 自室に戻ったはずの満希が居間に現れたため、考えに耽っていたフィルは本を落とした。

 

「ミ、ミツキ?眠れないの?」

「フィル……その」


 満希は重々しく口を開いたが、その顔は強張っている。

 ただならぬ空気に、怪訝に思ったフィルは彼女へと近づく。

 

 フィルの脳裏を、ある決意がよぎったその時。



「いつも……ありがとうございます」

 

 満希は恥ずかしそうに、ハンカチをフィルに差し出した。

 フィルは突然のことに、声が出なかった。


 

「よかったら、もらってください」

 満希はそっとフィルの手のひらの上に置いた。

 爽やかな朝の森の色をした質のいい生地を、フィルはぽかんと見た。

 

「……僕に?」

「そうです」

 

 

 ハンカチは端正な仕上がりで、仕立て屋店主の技だと確信した。


「ありがとう!」

 フィルが嬉しそうに笑うと、満希は胸をなでおろした。

 ふと、フィルは手元のハンカチに、白い八重の花を見つける。


 

「これは……霧花かな?」

「霧花?」


 ハンカチの隅に咲いた刺繍の花を、指先で触れる。

 刺繍の糸がなめらかに並び、とてもきれいな刺繍の縫い目だ。


 

「裏庭の……朝だけ咲く花にしたんですけど」

「あ、うちの裏庭にも咲いてるよね」

「そう!あの花は霧花っていうんですね。よかった分かって貰えて……」


 満希の緊張していた肩の力が、ふっと抜けた。

 

「(……ん?)」

 満希がほっとしている様子に、フィルは違和感を抱く。

 

 手元のハンカチから、満希の魔力と霧神様の魔力が微かに伝わってくる。

 花の刺繍糸が、細かくきらめいた。


 

「……え、まさかミツキ、……作ったの?」

「はい。久しぶりに縫物をしました」


 フィルは改めてそのハンカチを見た。

 一糸乱れぬ綺麗な縫い目や丁寧な糸の扱いは、プロ顔負けの技だ。

 

 フィルは、満希が眠たそうにしていた理由がようやくわかった。

 日中はパン屋で働き、夜中にせっせと縫いあげる健気な姿が目に浮かぶ。

 

 

「(ミツキが……僕に?)」

 

 フィルは信じられないとそのハンカチを見つめた。

 この世界では、刺繍には特別な意味がある。その理由を裏人の満希が知っているはずがない。

 

 

「……フィル?」


 黙り込んだフィルを不思議そうに満希は見上げ、視線が絡む。

 フィルは満希の暗い森の瞳を、熱を帯びて見つめた。


 

 健気で努力を惜しまない、やさしいひと。

 丁寧に、すべてに寄り添うその心は、儚く美しい。

 

 ハンカチを握る手に、じわりと力がこもる。

 自分のために費やしてくれた彼女の時間も、眠気を堪えた夜も、全部ここに込められている。


 いとおしい。

 抱きしめたいと思った衝動に気付いたフィルは、慌てて背中を向けた。

 

 

「も、もしかして手作りって、苦手でしたか?」

「……い、いや」


 

 

 歯切れ悪く呟くフィルの背中は丸まっている。

 顔は見えないが、彼の耳は見たことがないくらいに真っ赤になっている。


 満希はゆでだこみたいに赤い耳をじっと見ていた。



「…………大事にする」

 

 なんとか口にしたフィルの声は、そっけなく掠れていた。

 満希は胸が小さく跳ねるのを感じた。


 恥ずかしそうなのに言いづらい言葉を紡げる彼が、素敵だと思った。



「そ、それじゃあおやすみ」

「……おやすみなさい」


 フィルがそそくさと自室に戻って行くのを、満希は静かに見ていた。

 

 


 満希はベッドへ横になり、先ほどの彼を瞼の裏に描いた。

 大きな身体を丸めて、顔を隠す彼。

 村では、あんなに頼れる山の守護人なのに。

 

 

「……ふふ」

 

 満希はたまらず笑った。

 




 

お読みいただきありがとうございました。

次回更新は月曜日を予定しています。




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