第18話
「なんか、変な気がするんだよね」
フィルと幼馴染であるユランは、昔のように肩を並べコーヒーを飲んでいた。
仕立て屋の2階は、炒った豆の香ばしい匂いで満ちていた。
「何が?」
「ミツキだよ」
最近の彼女は、帰り道や家にいても心あらずで何かを考え込んでいる。
声をかけても、2度呼んでやっと振り返る。
「で、やっぱりミツキさんと付き合ってるのか?」
「……もう否定するのも疲れたよ」
フィルは大げさにため息を吐いた。
村を歩けば何度聞かれたことか。噂好きの小さな村は本当にいやだ。
「そりゃあ、あの守護人サマが毎日迎えに来たらなァ」
「……」
何も言えずに視線を逸らしたフィルに、ユランは笑みを濃くした。
フィルの顔や態度は、満希への感情で溢れていた。
フィルは背もたれに身を預けて、思考を切り替える。
「……で、魔物は?」
「ほんとさっぱり消えた。これはどういうことですか、守護人サマ」
「こっちが聞きたいよ……」
フィルは眉をしかめ、思考をめぐらす。
クロエが『隠れてるみたい』と言ったとおりだった。
この村の猟師のユランが言うならば、魔物は本当に見当たらないようだ。
「俺は獲物が捕まえやすくていいけどな」
「僕も、国に報告することが減ったけど……」
こうしてユランとティータイムを楽しむほど、村は落ち着いていた。
フィルがこの仕事を始めて、初めてのことだった。
昼寝をしていたリリンが寝返りを打ち、布のこすれる音がした。
その姿をユランがやさしい瞳で見つめる。
のどかな光景を横目にフィルは濃いコーヒーをすすると、口内に苦みが広がる。
魔物がいない。これがいいことなのか、誰にもわからなかった。
フィルはリリンとユランと一緒に、満希が働くパン屋へ向かっていた。
リリンは久しぶりに満希に会えることが嬉しくて、足取りが弾む。
水色の看板のパン屋を見つけ、リリンは足音を立ててパン屋の扉を押した。
「ミツキおねーちゃん」
香ばしい匂いで包まれた店内に、リリンはひょっこり顔を出した。
彼女の顔を見るなり、満希の瞳がかがやく。
目線を合わせてしゃがむと、リリンは満希の元へ軽快に走り寄る。
「この前はお手紙ありがとう」
「おねーちゃんもお返事ありがとう」
2人は手を取り合って、再会を喜び合った。
遠巻きにフィルは、制服姿の彼女をみるなり店に入るのをやめた。
今まで目にしてきたクロエの姿と一緒のはずなのに、なぜか違うように映る。
「あれ、仕事場来るの初めて?」
「……うるさい」
彼女を直視できないフィルを見て、ユランは噴き出した。
「だからユランと来たくなかったんだ!」
顔を赤くして怒ったフィルは、図体の大きいユランの背中に隠れた。
ユランは嬉しくて仕方がなかった。
毎日山の事ばかり考えていたあのフィルが、女性に一喜一憂している日が来るなんて思いもしなかった。
今日も騒がしい2人を満希が遠目に眺めていると、リリンは顔を覗き込む。
「ミツキお姉ちゃんは、今日リリンのおうちでごはんだよ」
満希はぱっと顔を明るくして、すぐに着替えに行った。
その後ろで、ユランはクロエを誘っていたが、断られていた。
コーヒーの香りが微かに残る仕立て屋で満希はリリンの宝物を、ぼんやり見ていた。
「おねーちゃん、悩み事?」
満希は彼女の声で我に返り、リリンの顔とたからものを交互に見てため息を吐いた。
やってしまった。せっかく久しぶりに会ったというのに違うことを考えていた。
「ママとおんなじお顔してる」
「ごめんね、リリンちゃんもっかい……」
すみれ色の瞳のリリンは、満希をまっすぐにのぞき込んだ。
たっぷりの日光を浴びた陽だまりの匂いが、満希の鼻を掠める。
その大きくて綺麗なすみれ色の瞳に、満希は息を小さく呑んだ。
「リリンに、話してみて!」
リリンは誇らしげな顔で、自分の胸を小さな手でとん、と叩いた。
満希は思いもよらない提案に、目を瞬かせた。
まだ誰にも口にしていない言葉は、窮屈そうに満希の喉元につかえている。
「……話していい?」
満希はおそるおそる聞くと、「いいよ」すみれ色の瞳は自信に満ち溢れて揺らがない。
「……内緒にしてくれる?」
人差し指をたててこっそり囁くと、リリンは『内緒』の言葉に目を輝かせて、大きく頷いた。
「うん、内緒!」
部屋の隅のほうで、ユランと話すフィルを横目で確認し、リリンに少し近づき囁いた。
「フィルに、プレゼントをしようと思ってね」
「プレゼント……!?」
リリンの上ずった囁き声は、小さな手の中でくぐもった。
満希は、先日一週間分の給料をパン屋の店主から受け取った。
封筒に入った給料は想定したよりも多く、フィルがクロエと調整してくれたものだった。
この世界に来てからお世話になった彼へ、何かお礼がしたいと考えていた。
「でも、全然思いつかないんだ……」
「そうなんだぁ……」
満希は自身の人差し指を撫で、途方に暮れる。
想定した金額よりは多かったが、だからといって高価なものを買えるわけではない。
なかなかいいものが見つからず、頭を悩ませていた。
「リリンちゃんは、今までどんなプレゼント貰ったの?」
「リリンはね、これママから」
先ほど並べた宝物の1つを指さした。
「素敵なリボン!」
ピンクのリボンは、先の方に向かって白いグラデーションになり女の子らしい可愛い色合いだった。
「つけていい?」
「いいよ」
満希はリリンの栗色の髪を撫で、ひとつに結い上げリボンを巻いた。
まるで花が咲いたような可憐さに、満希は頬をほころばせる。
「こっちはパパで、こっちはサリーおばあちゃんが作ってくれたの」
かわいい絵本と小さなブローチを指さした。
ブローチには、繊細な花柄が花畑のように彩られ、仕立て屋店主の見事な手腕だった。
「リリンの大事な日につけるの」
ブローチを胸元にかざして、にっこり笑った。
その刺繍のブローチを見て、満希は息を呑んだ。
「私も、作ってみたい……!」
彼女の手を引いて、満希は仕立て屋の1階へと向かう。
作業している店主のサリーに事情を説明すると、彼女はやさしい笑顔で、生地を取り出してきた。
「色は、この辺かしらね」
カウンターには、『誰に』と告げていないのに、山や空の色をした生地が並べられる。
その中から、朝の森の色をした布を指先で撫でた。
奥へ向かって、深い森の色へと変化する上品な生地だった。
彼らしくありきたりな気もしたが、その色を選ぶことにした。
「それと、白い花の刺繍もしたくて」
「じゃあこの辺りが、綺麗に色が出るわよ」
サリーは真っ白の糸ではなく、象牙のような落ち着きのある柔らかな色を指さした。
リリンが糸を布に重ねるとやさしく馴染み合い、店主のセンスは流石だった。
初給料で布と糸を買い込み、満希はほっと胸をなでおろした。
「喜んでくれるといいわね」
「……はい」
やさしいサリーの笑顔に満希は頷いた。
晩餐には、ローストした肉とヤギのミルクのシチューが並んだ。
最近は大猟らしく、豪華な食事が続いているらしい。
満希は香ばしいお肉を鼻歌まじりに食べたいほど機嫌がよかった。
帰るころには、あたりは真っ暗になり霧が出始めていた。
霧がかった白い山を眺めると、後ろからリリンに声をかけられる。
「おねーちゃん、頑張ってね」
リリンは小さな手でこっそり耳打ちすると、満希の頬に小さくキスを落とした。
彼女の眠る前の儀式を、満希は頬に受ける。
あまりにもかわいい秘密のエールに、満希はたまらなく抱きしめた。
「いいかフィル、鉄は熱いうちに打つんだぞ」
「もーしつこいな!余計なお世話だ」
一方フィルは一日中ユランにからかわれていた。
「少し遅くなっちゃったな。急ごうか」
満希は、暗い山の奥へと進むフィルの後ろを追った。
夜の山は姿を変えたように、真っ暗だった。
動物の気配はなく、静寂に満ちて耳が痛い。
霧が深くかかり辺りは白く埋め尽くされて、フィルの姿が朧気だ。
フィルは杖先に光を灯し、迷わないように歩いていた。
「……フィル」
彼女の震えた声に気が付き、フィルは振り返った。
「どうしたの?」
満希の視線はあちらこちらと泳いで、下を向いた。
「いえ…………あの」
両手でローブの胸元を握り、伏せた睫毛はかすかに揺れていた。
いつもの満希なら、なんでもないと姿勢をのばすところだが、身をすくめて何かに怯えているように見える。
「……もしかして怖い?」
満希の顔を伺うと、すぐに首を何度も振った。
「ぜんぜん怖くありません」
彼女の瞳の奥は揺れていた。
否定する姿は、まるで嘘をついている子供のようだった。
いつも澄ました顔をしているわりに、今日は妙にわかりやすい。
フィルは辺りを見渡すが、白く埋め尽くされ何も音がしない。
「魔物もいないし大丈夫だよ」
フィルの言葉を聞いても、彼女は顔色悪く頷くだけだった。
フィルは怖がる彼女のためにも、足を止めるわけにはいかなかった。
手をつなげたら。
フィルは居心地悪そうに手を握りしめた。
この感情を認めてしまった以上、気軽に触れることはできなかった。
意識してしまうほど、余計に。
フィルは黙々と歩くと、微かに後ろを引っ張られる感覚に気が付いた。
振り向くと、満希がすこしだけフィルのローブを引っ張ってる。
その手は何かに縋りたい気持ちのまま、無意識に伸びてしまったものだった。
フィルは彼女の心を置いてけぼりにしている事に気が付き、自分に呆れて声が出ない。
いつだって、満希の前では本当にカッコ悪い。
「……ミツキ」
「は、はい?」
突然聞こえた声に、彼女は肩をびくりと揺らした。
「……歩きづらいからさ」
フィルは何かを考えて自分の腕を見て、顔を逸らす。
「…………腕、掴みなよ」
フィルのぶっきらぼうな声に、満希は目を瞬かせた。
彼の声は、村人と話す守護人のやさしいものじゃない。
仕事中の真剣な硬い声でもない。
たまに見せる、同年代の男の子みたいな声。
満希はわずかに作られた彼の腕の隙間を見た。
暗い霧の中、彼の顔は見えない。
そっと彼の腕をつかみ、満希は息を吸った。
「……ありがとうございます」
布越しに感じるあたたかさは、胸をじんわりとさせる。
神様の領域を過ぎたら、2人だけ。
この真っ白な世界で、フィルの存在をなぞり深く呼吸をした。
満希は、熱い息を吐いた。
前みたいに、手を引いてほしい。
差し出された腕はすぐ傍にあるが、足元へと視線を移す。
そんなこと、満希には到底言えなかった。




