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第17話


 満希はまどろみの中、熱を探すようにシーツをなぞる。

 足元でやわらかい毛並みを寄せて眠る気配を感じて、目を閉じた。



 

 小鳥が鳴く声も耳に入らず、フィルは部屋の真ん中で腕組みをしていた。

 

 彼女の底深いやさしさと、自分のちっぽけさを思い出し全身が熱くなる。

 あのあとは口をろくに開かず、早々に部屋にとじこもってからは記憶があいまいだ。

 

「(どんな顔して会えばいいんだ……)」

 フィルは悶々と考えていた。


 

 

 考えすぎて結局どうでもよくなったフィルは、いつもどおりに挨拶することとした。

 

 一階へ降りると、部屋中のカーテンが開け放たれ、朝霧を透かして差し込む光が、部屋を淡く照らしている。

 

 やさしい光の中、白銀の毛を熱心に撫でる満希の姿があった。

 いつもより目尻が垂れ下がり、愛しそうに犬を見つめてる。

 

 

「フィル、おはようございます」

「……おはよ」

 

 いつもどおりと思った矢先に、フィルはすぐに顔を逸らしてしまう。

 気づき始めた感情のせいで、胸の奥がぎゅっとつまり、鼓動がうるさく跳ね上がる。

 朝からどうかしてる、とフィルは頭を抱えた。


 

「フィル」

 名を呼ばれ振り返ると、満希は深刻そうに眉を寄せている。

 怪訝に思い、彼女の顔を覗き込んだ。


 

「この子の名前、そろそろ決めようかと」

 満希がやさしく白い犬の頭を撫でると、嬉しそうに犬は尻尾を振った。


「名前……?」

 フィルは眉をひそめた。

 犬はちっともフィルを見やしない。

 

 

「この子は、霧神様の……眷属ですよね?」

「け、けんぞく?」


 フィルは信じられないとばかりに、彼女の顔を凝視した。

 ふざけた様子はなく、真面目な顔をしている。

 

「(ミツキは、まだ気づいていないのか?)」

 

 彼女は霧神様の境界線を見破れる存在だと言うのに、霧神様本人に気付かないのは意外だった。

 



「それで、キリちゃんなんてどうかと」

 

 満希の瞳は本気だった。

 これには犬も、驚き固まっている。


「コロちゃんもいいかと」

 

 犬は動かずに、フィルに助けを求めるように視線を送っていた。

 見たことがない霧神様の顔に「ぶっ」フィルは必死に笑いを堪え、知らん顔をした。


 

 満希がさまざまな名前を次々に呼んでいくと、犬は居心地悪そうに顔を逸らし続けていた。

 

 満希は、陽の光を受けて輝く白銀の毛を見る。

 初めて会った日、しっとりする霧の中に神聖なたたずまいで現れた姿を思い出す。


 

「アサギリは、どう……?」

 

 犬の耳がぴくりと動き、じっと満希を見つめた。

 

 すました顔で尻尾を振っている。

 完全な犬に成り下がった神を、フィルはじと目で見ていた。

 犬が反応を示したことに、満希の唇が小さく弧を描く。

 

 

「アサちゃんも、ギリちゃんもかわいい……」

 ぴたりと尻尾が止まり、犬は離れていった。


 


 

「ミツキ、村に行くんでしょ?」

 朝食を済ませ仕事に向かおうとした満希に、フィルは声をかける。


「途中まで一緒に、行こ」

 気恥ずかしさを浮かべる彼に、満希は頷いた。


 

 朝に降りた霧は薄くなり、あたりは艶やかに湿っていた。

 小鳥やうさぎが時折草陰を移動して、水をはじく。

 満希は、朝だけのじっとりしたまぶしい世界が好きだった。

 


 

「ミツキあのさ」

 フィルは、満希から視線を外しおもむろに言葉を紡いだ。

 何かを伝えようと、照れくさそうに動く彼の唇をぼんやり見た。


 

「……昨日は、ありがとう」


 フィルのまっすぐな言葉に、満希は瞠目した。

 満希がフィルに慰めてもらった時、気恥ずかしくお礼を言えなかったというのに、彼はちゃんと言葉にした。

 

 彼の正直で誠実なところは本当に尊敬できると感心した。


 

「これ、返すよ。あと、新しいのもね」

 彼女の手のひらに、貸したおまもりと大きいくるみが転がった。


 満希は、ぱっと目を輝かせた。

 使うたびに名残惜しかったのに、たからものがもう1つ増えた。


 フィルは、今朝のように目尻を下げた満希を見た。

 自分の作ったものを大事そうに撫でる姿を見て、胸がぎゅっと締め付けられた。



 


 

「今日は忙しくないわね~」

 クロエは、閑古鳥が鳴く店内を見渡した。

 昨日の忙しさは嘘のように、あたりは静まり返っていた。

 

「みんなミツキの顔見に来てたからなあ……」

 クロエは、カウンターで頬杖をついて昨日のことを思い出す。

 噂を聞きつけ、好奇に彼女を見に来る人ばかり押し寄せた。

 この村は小さく、噂がすぐに回る。

 

「まさか。みんなクロエに会いにきてましたよ」

 満希は、彼女のアーモンドの形をした瞳と目を合わせた。

 昨日はクロエに挨拶がてら立ち寄る常連を、何度も見た。

 

 

「クロエは元気いっぱいで魅力的ですから」

 屈託ない性格で、愛される眩しい存在。

 端正な顔立ちで人懐っこく笑いかけられたら、満希も店に通ってしまうだろう。



「フィルやユランに聞かせてやりたいね!」

 満希が恥ずかしげもなく言うので、クロエは照れ臭そうに笑った。

 

 クロエの口から出たリリンの父・ユランの名前に、満希は目を瞬かせる。


「……3人は、昔から仲良かったんですか?」

「そうだよ、幼馴染だもん。ん?言ってなかった?」


 

 満希は頷いて、ひどく納得した。

 フィルがクロエに見せるぶっきらぼうな姿は、彼女というよりは幼馴染に見せる顔だった。


 

「わたしとフィル。どんな関係かと思った?」

 クロエが悪戯に笑うのを横目に、満希は初めて会った日のことを思い出す。

 真っ赤な顔でクロエを追いかけたフィル達を見て、修羅場だと感じたことを。


「……彼女、かと」

「あははは!無理!無理!」


 クロエは大きな声で笑う。端正な形の唇が大きく開くと、友達のあの子を思い出す。

 満希は、つられて笑いそうになる。

 

「ボーイフレンドいるし、フィルは無理!」

 フィルへの想いは微塵もないことを、全身で伝えてくる。


 

「私は、ずーっと片思い!」

 クロエはにんまりと満希に笑った。

 明るい笑顔に似合わない言葉。満希はまた目を瞬かせた。





 

「お、フィルじゃねーか。今日も降りてきたのか?」

「うん、急いでるからまた」


 フィルは頼まれた薬や書類を届け、目的地へと足を急がせていた。

 珍しい人物を見たように、村人はフィルに軽く声をかけていく。


 過ぎ去っていくフィルを見て、囁き声があちこちから耳に届く。

 

「なぁ聞いたか?フィルの話」

「女の子と帰った話でしょ~?」

「めっちゃ怖い顔してたらしいよ」

 

 

 フィルがこの村の唯一嫌いなところは、噂話がすぐ回ることだ。

 浮き足だった噂話に恥ずかしい気持ちを抑えながら、足を動かしていた。


 ちくちく刺さる視線は痛いが、フィルの顔を見るなり気まずそうにする人もいる。

 守護人とその相手の満希に下手なことをする輩は、いないだろう。

 

 あれこれ言われるが、その点だけは自分がこの山の守護人候補でよかったと、初めて思った。

 



 辺りが夕焼け色に染まり、哀愁漂う帰り道を満希は歩いていた。

 クロエの元気な明るい声を何度も思い出しながら。

 

 遠くから、自分の方へ走ってくる人を見つけて満希は瞠目する。

 

「フィル?」

 滅多に村に降りてこないと言われた彼と、今日もばったりと村の中で会った。

 ——そんなわけない。世話焼きの彼が迎えにきたのだと察した。


 

「仕事は、大丈夫ですか?」

「うん、終わったところ」

 フィルは少し息を弾ませ、身体を伸ばした。

 

 満希はなんとも言えない気持ちになって、俯いた。

 仕事終わりに、誰かが迎えにきてくれた経験なんてない。

 落ち着かない気持ちで、爪の輪郭を撫でた。


 

 フィルは軽く乱れた呼吸を整えながら、横目で村の入口で近づいてきた子供をあしらう白い犬を見た。

 

「(……今は霧神様と一緒の方が不安だ)」

 

 白い犬は満希の姿を見つけるなり、耳がピンと立ち上がり尻尾を振り始める。

 あんな機嫌の良さそうな霧神様なんて滅多に見ることはない。

 勘違いであって欲しいと、思考を振り払うようにフィルは息を吐いた。



「帰ろうミツキ」

 満面の笑みを浮かべるフィルを見た。


 昨日怒っていたのが嘘みたいだ。

 その笑顔に向かって満希は、「はい」頷いた。


 


 


 満希が風呂から上がると、フィルは居間のソファで本を読みふけっていた。

 じっと真剣な瞳の奥は、灯篭のオレンジ色の光が小さく揺れている。


 部屋の中には、古い紙の匂いと、夜のログハウス特有のひんやりとした木の匂いに満ちていた。

 邪魔しないように、そっと2階に上がろうとすると後ろから声をかけられる。


「ミツキ、髪乾かさないの?」

 フィルが本を閉じ、彼女を見た。

 満希は真っ直ぐな瞳に遠慮して「毎日悪いですから」階段を上ろうとする。


 

「いいから、おいで」

 

 フィルが、自分の足元の絨毯をぽんぽんと叩いて手招きしている。

 人の親切を無下にするわけにはいかない。

 大人しく満希は、フィルに背を向けて座った。


 

 ドライヤーが壊れた日から、フィルは一日も欠かさず満希の髪を乾かしていた。


 ぱちん、と指を鳴らすと杖の先から、ぬるくて心地いい風が流れてくる。

 深い山の静寂の中、空気を撫でる風の音と髪の擦れる音が響く。

  風に煽られた髪から、石鹸の甘い匂いがふわりとフィルの鼻腔をくすぐった。

 

 フィルは相変わらずその髪を熱心に見つめていたが、ずいぶん慣れてきた。


 満希はというと、彼が髪を触るたびに寝てしまいそうになる。

 大きな手のひらが、髪にずいぶんとやさしく触れるものだから、安心してしまう。


 

「……ん?」

 フィルは違和感に気が付き、撫でていた手を止めた。

 ぬるい風にさらされて、あちこちへ泳ぐ黒髪の隙間から、白いうなじが見える。

 そこに、何かぶつけたような痕があった。

 

 フィルは反射的にそれを触れた。

 

「ミツキ、これ」

「ひあ」


 油断した満希の口から気の抜けた声が出て、慌てて口をふさぐ。

 フィルのあったかい大きな手が、するりと首を撫でるものだから。

 「(変な声……出ちゃった)」


 風の音がぴたりと止まり、部屋の中が急に静かになる。

 満希の顔が耳まで真っ赤になると、つられるようにフィルも顔が赤くなった。


 

「ち、ちがうんだ、……その」

 また、やってしまった。

 フィルは軽いパニックになりながら、触らないように満希の首元を指さす。

 

「ここ、痣どうしたの?」

「……痣?」


 フィルに指さされた場所なんて満希は見えるはずもなく、「なんだろう……」と白い首を触った。

 気まずい沈黙が降り、満希の手で隠された痣にフィルは思考をめぐらす。

 

 

 何かの文様みたいな、うすい色の痣。

 ずっと昔、小さなころにみたことがあるそれをじっと見ていた。

 

 フィルは、彼女の白いうなじにドキドキしながら、胸騒ぎがした。

 



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