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第16話


 満希が働きだした日、村がざわついた。

 ――村のパン屋に美しい人が現れた、と。


 

 落ち着いた色合いの制服に身を包んだ満希は、カウンターに立つ。

 

「いらっしゃいませ」

 淡々とした声が店内に静かに響く。

 

 常連は、クロエの声が聞こえない違和感に頭を上げると、帽子の下から覗く涼やかな瞳と目が合う。

 黒い髪はきれいにまとめあげられ、落ち着いた雰囲気の女性だった。


 彼女は客に言われたパンをトレーに取り、丁寧にパンを包んだ。


「またどうぞ」

 しなやかに首を垂れる。

 

 客は、まるで聖堂に来てしまったかと錯覚してしまうほどの神聖なパン屋を見上げた。

 




 人の波が途切れ、クロエと満希は休憩の時間をもらい、店の裏でパンを食べていた。

 やはり人前に出るのは違う神経を使う、と満希は疲れきった顔でパンをぼんやり見ていた。


「ほんと助かるよ~ありがとうね」

「もう、緊張しちゃって……全然だめです」

 満希は重たいため息を吐いて、呟いた。

 

 今日の満希は同じことを言うロボットで、ずっと反省会だらけだった。

 クロエのように元気よく華やかに挨拶ができたら、と何度思ったことか。

 

 

「緊張?!その顔で!?おもしろ!」


 クロエはお腹を抱えて笑い出した。

 それを横目に、満希は肩の力が抜けていく。今の満希は笑い飛ばしてくれる方が楽になった。


 

 クロエは、どこか愛おしそうな目で満希を見た。

 澄ました顔の裏で感情が忙しい満希が、たまらなく可愛いようだ。

 魅力的な彼女に振り回されるフィルを想像しているのか、クロエは笑みを濃くしていく。

 

 

「今日はいっぱい緊張して練習しよ!」


 クロエが笑うと、花が咲くようだった。

 明るくて、綺麗な金髪が揺れるたびに満希は同性なのにドキッとする。

 

(清々しいくらいに……なんて明るい)

 クロエの人懐っこい笑顔に、満希は目を細めた。

 

 その眩しさに、焦がれた。



 

 休憩が終わると、店内は慌ただしくなった。

 満希は冷静を装い、淡々と仕事をこなしていく。


 客に名前を聞かれたり、明日も来るかと聞かれた。

 「この村に来てくれてありがとう」、と花まで差し出され、店内にちいさな花束ができていた。

 不思議な洗礼に満希は花束を見つめる。


「(独特な風習、とか……?)」

 満希は野花を見つめて、眉をしかめて首を傾げる。


 

「またいらしてください」

 同じ言葉を繰り返し、満希はきれいにお辞儀をした。

 

 その言葉どおり何度も来た客が、店に溢れかえっていた。


 


「今日ありがとねー!またお願いー!」

「お疲れ様です。また」

 満希は一礼して、山の方へ歩いていく。

 ぴんとのびた背筋をパン屋の店主とその娘は見ていた。

 

「こりゃまたべっぴんさんで」

「そうなんだよー!フィルも、大変そう~!」

 



 

 時間があっという間だった。

 なんとか初日が終わったことに満希は安堵し、ため息を吐く。


 疲れ切った身体に鞭を打ち、山に続く村の入口まで足を伸ばす。

 そのあたりは、ちいさな人だかりができていた。

 

「ミツキ」

 その横を通り過ぎようとし、聞き覚えのある声に振り返る。

 

 人だかりの中心にいたのはフィルだった。

 足元には白い犬が、どこかつまらなそうな顔で身体を伏せ、一緒に村の入口で待っていた。


「フィル……?」

 満希は驚いた目で、彼を見た。

 滅多に村に降りないと言われた彼が、どうしてここにいるかわからなかった。



「仕事終わった?」

「はい。フィルは?」

 

「僕はちょっと……」

 言いづらそうに言い淀むと、周りの人がフィルに話しかけていく。


 

「あ、これこれフィル! ばあさんの薬の件、頼んだよ!」

「お兄ちゃん、こんど絶対遊んでよー!」

「国家管理局から戻ってきた通知、早く持って来いよな。書類が回らねえんだ」


 口々に寄ってたかる村人たちに、フィルは困ったような優しい目を向けた。

 

「順番に行きますから……」

 乾いた笑いを浮かべて、小さくため息を吐く。

 村の誰もが、候補だなんて嘘のように、フィルを頼りになる守護人として扱っていた。

 

 村に降りただけでこの人だかりに詰め寄られ、すこし気の毒だった。


 

「あ、ミツキさん」

 人だかりの中に、満希は今日来店した客の顔を見つける。

 

「またいらしてください」

 満希は従業員の顔で、きれいにお辞儀した。

 客は嬉しそうに、満希を見ていた。


 

 

 ピキ、と空気が一瞬で凍りついた。


 さっきまで村人たちに良い顔を向けていたフィルの目の奥が冷たくなる。

 満希に馴れ馴れしく話しかけたその男の顔を、ただ静かに見下ろした。

 それは守護人としての顔ですらない。

 

 

 フィルは満希の手を引き、隠すように自身の傍へ寄せた。

 満希はフィルを見上げると、彼の翠玉色の瞳から目が離せなかった。


「ミツキ帰ろう。()()()の家に」

「……はい。ではまた」


 満希は人だかりにお辞儀をするのに対し、フィルは無表情でその男を一瞥し、山へ向かう。

 その2人の後ろを白い犬がついて行った。


 取り残された村人は見たことのない守護人の姿に、呆気に取られていた。



 

 


 満希は繋がれた手を見つめていた。

 あたたかな温度に、満希は仕事の疲れも忘れてしまった。


 

 神様の領域の境界線をくぐっても、フィルは何もしゃべらなかった。

 辺りは静かになっていき、精霊が優雅に泳ぐように舞っている。

 澄んだ空気は肺を静かにし、やさしく包み込む。

 

 この幻想的な風景の先にはログハウスだけで、2人きりだ。



「フィル、……怒ってますか?」

「え」


 フィルは、複雑な表情で振り返った。

 恩人を怒らせた事実に、満希は後悔するように目を伏せた。

 彼女を悲しませたいわけじゃないのに、黒い感情がフィルの中で渦巻いていく。


 

「……怒ってるよ」

 

 低い声でぶっきらぼうに言うと、フィルは満希の手を強く引いた。

 満希は足がもつれそうになりながら、彼のうしろを必死について行き、白い犬も不機嫌そうにその後ろにつづいた。


 


 ログハウスまで黙々と歩き続け、辿りついた頃にはフィルは頭が冷えていた。

 

 フィルの歩幅が大きく、満希は半ば走るしかなかったようで、息を荒くしている。

 苦しそうな彼女をみて、フィルは自身の唇を噛んだ。



「ごめん。僕、……どうかしたみたいだ」

 

 フィルは自分の靴を見た。

 まるで自分じゃないみたいだった。

 ところかまわず怒りをぶつけ、満希を困らせている。

 

 あの日みたいに彼女に喜んでもらいたいのに。

 

「……ままならない」

 フィルは、項垂れて瞼を閉じた。


 

 

「フィル、こっちへ」

 

 繋がった手をやさしく引かれ、彼はソファに座った。

 フィルがあんなに乱暴に引っ張ったのに、彼女は振り解こうとしなかった。

 犬は、満希の足元で丸くなっていた。

 

 満希はポケットから何かを出し、彼の手のひらに置く。

 それは、いつの日かフィルが渡したくるみの練香だった。


 

「私のおまもり、貸してあげます」

 蓋をあけると詰められた香りは、もうわずかしかない。

 かすかにやさしい薬草の匂いが掠める。


 

「どうかしちゃう日も、ありますね」

 

 フィルの栗色の髪を優しく撫でた。

 満希は、毎朝いろんな方向に飛んでしまう自由な髪の毛をいつか触ってみたいと密かに思っていた。


 フィルは硬直した。

 大人になった自分が、慰められているのだから。

 


「フィルが言ってくれました。つらいときは、つらいと言っていいと」


 いつも頼れるフィルが落ち込むと、不謹慎だがなんだか可愛らしいと思ってしまった。

 満希はたからものを触る手つきで、光が差すと琥珀色にかがやく髪をやさしく撫でつづける。


 彼の手のひらのくるみを見つめた。

 祖母や妹に言えなかった言葉は今も胸に残っている。

 それでも、自分は今日ここにいる。


 

「たまには、ままならなくてもいいと思います」

 

 やさしい手つきに、やさしい声。

 彼女の袖口からは、小麦の焼けた香ばしい匂いがしてくる。

 フィルは抵抗できず、やさしい手を受け入れていた。


 

「…………幻滅した?」

 

 フィルは小さく呟き、彼女の腕にそっと触れた。


 

 その手にすがれば、自分は弱くなっていく気がした。

 いい人で頼れる仮面もはがれたら、孤独に怯える自分に気付かれてしまう。

 

 ——そして、山の中ひとりになる。

 フィルの喉が震えた。

 

 

「まさか」

 満希は一層やさしく彼の髪を撫で上げた。


「新しいフィルがいてよかったです」

 昔飼っていた愛犬をあやすときのような、優しい手つきで撫でていた。


 

 フィルは鼻の奥がつんとした。


 彼女のことになると、途端にカッコ悪くなる。

 それなのに、満希はそれでいいというから。


 

 フィルは顔を真っ赤にした。

 

 胸の奥が熱くて苦しい。

 その理由を、もう見ないふりはできなかった。

 



 

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