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第15話



「おじゃましまーーす!」



 突然、豪快な音と共に玄関の扉が開け放たれ、美人の女性がフィルの家を訪ねてきた。

 見事な金髪をたなびかせた彼女は、朝食を食べていたフィルたちと目が合うと、意味ありげに息を呑む。


 彼女は、すぐに来た道へと振り返った。


 

「お、お邪魔しました~~」

「ま、待ってクロエ!」


 フィルは顔色を変えて、クロエと呼ぶ女性のあとを追った。

 彼の焦燥の面持ちに、満希はただならぬ緊張感を抱き、学生時代に聞いた友達の数々の修羅場が頭を掠めた。

 


「勘違いしないで!そして、そのままおじさんに言うなよ!!」

「え、フィルが遂に奥さん……」

「違うってば!」


 庭先でフィルは必死な顔でクロエと口論していた。

 満希の想像した男女間の修羅場とは違うようで、少しほっとする。

 

 満希はちいさく息を吸い込んだ。

 

 

「常盤満希です」

 クロエに近づき、そっとお辞儀をした。

 猫のような喧嘩をしていた二人は、静かな挨拶に喧嘩の勢いを失い目を合わせた。


「居候の裏人です。フィルには、お世話になっています」

「あ、あ~~そうなんだ。よろしくね。クロエだよ」


 

 彼女は、陽の光を浴びて輝く金の髪を揺らし、人懐っこい笑顔を見せる。

 露わになった額はすっきりとした印象を与え、生き生きとした瞳からは快活さが伝わってくる。

 その明るい元気な声は、満希の友人を思い出させた。

 

 

「な~んだ、そっかぁ」

 クロエは意味ありげに、にやにやとフィルを見上げる。

 フィルはその視線を察して、呆れた顔でそっぽをむいた。

 

「じゃあ、私帰ろうかな~」

 

 振り返ったクロエのお腹がぐー、と静かな森で、盛大に響いた。


 

 

「ごめんね、山登りしたらお腹すいちゃって……」

「私が作ったものでよければ食べて行ってください」


 満希はコンロの使い勝手にも慣れ、台所へ立つ機会が増えていた。

 裏庭のココ鳥が産んだ卵のサンドイッチや温かい野菜スープ、サラダを満希が次々とテーブルに並べると、クロエは目を輝かせた。


「おいしそ~!なにこの料理!」

「サンドイッチです。こっちにはないですか?」

「そんな洒落た名前じゃないけど、野菜だけを挟むパンはあるよ~」

 

 クロエは待ちきれないと手を伸ばし「うんま~~」整った眉を下げて美味しそうに食べた。

 その姿は、休憩時間のたびに菓子パンを頬張る友達にそっくりだった。

 

「こんな美味しい料理食べれるなんてフィル贅沢~~」

「……食べたら帰りなよ」

 

 フィルは頬杖をつき、ぶっきらぼうに呟いた。その顔は、早く帰ってほしいと書いてある。

 それを気にした素振りもなく「言われなくても帰るわ~」クロエは適当に流していた。


 

 クロエは澄んだ空気の居間を見渡す。

 

「すっごい家きれいじゃん。もしかしてミツキのおかげ?」

「そうだよ、ミツキは掃除も料理も上手なんだ」

 

 身内びいきをしたフィルは、しまったと慌てて口を覆った。

 「へ~」クロエはいつもと様子の違うフィルに気づき、にやけが止まらない。


 

 満希は仲睦まじい2人の姿を静かに見ていた。

 遠慮のない物言いは、2人が長い付き合いであることが伺える。

 

 満希は、爪を撫でて違和感を喉に押し込めた。



「じゃあ私もう来なくてよさそうだね」

 

 綺麗な部屋を嬉しそうにクロエは見渡していた。

 荷がおりたように安心するクロエの横顔を、満希は不思議そうに見る。

 満希と目が合ったクロエは形の良い唇を開いて、歯を見せて笑った。


 

「よく掃除しに来てたんだ。あと生存確認」

 

「大げさだよ、僕はよく村に降りてたし」

 

「1か月に1回だけ!その間に死なれたらたまったもんじゃない」

 

 クロエは世話焼きの近所のおばさんのようだった。

 ただ、ブロンドの髪が輝くお人形のように整った顔立ちは、おばさんと呼ぶにはふさわしくない。


 

 満希は居間を見渡して、妙に納得した。

 この家は招かれた日から綺麗だった。彼の部屋を除いて、だが。

 クロエがいなかったら、家中きのこだらけになっていたかもしれない。満希はぞっとした。



「ミツキは、いまここに住んでるんだよね?いつも何してるの?」

「……その、掃除とか、……料理とか」


 恥ずかしげに言う満希に、フィルはもっと恥ずかしくなった。まるで専業主婦だ。

 

 

 

「じゃあ、パン屋手伝ってよ!」


 満希の手をクロエは華奢な手で包み、輝いた瞳でお願いした。

 クロエの勢いに気圧されながら「ぱ、……パン?」満希は小さく呟いた。


 

 

 フィルは、ガタッと椅子を蹴るように立ち上がる。


「だ、だめに決まってる!ミツキはこの前まで体調が悪かったんだ!」

 

 フィルがクロエに食ってかかると、クロエもフィルの顔を不満そうに見上げ、立ち上がった。


「でも良くなったんでしょ?いいじゃん、ちょっとだけだから」

「だめだ!それに村に行くまでに魔物にでも会ったらどうするんだ」


「ここ数日魔物の被害はないよ。なんか隠れてるみたいにね」


 

 フィルの顔色が変わり、口を閉ざした。

 

 ——魔物が隠れるなんて、おかしい。

 この山付近を見守り続けて、そんなことは今までなかった。

 

 根拠は無いが心当たりがありそうな、白い犬を睨む。

 犬は部屋の隅で知らん顔をしていた。

 


 

「ね、ミツキはどう?パン、一緒に売らない?」

 クロエの細い手にぎゅっと包まれる。

 

 彼女のお願いは、やはりあの子を思い出させた。

「最後だから!」と言いながら、いつまでも引き下がらなかった友人を。

 

 

「……私でよければ」

 満希はあの子にそうしたように、すぐに答えた。


 クロエは大げさに喜び、対照的にフィルは盛大にため息を吐いた。


 

「じゃあさっそく、うちのオヤジに話に行こうよ!」


 クロエは満希の手を引き、今すぐに村へ向かおうとする。

 その手をフィルが払い落とした。


「おじさんとの話はそっちで片づけて。それから勤務時間や条件、給料の明細を手紙で明日までにうちに届けるように」

「ひゃ~硬いこと」


 仕事モードのフィルが厄介なことを知っているクロエは、逃げるように玄関に向かう。

 蜂蜜を溶かしたような艶やかなブロンドが、左右に揺れていた。


 

「ミツキ、またねー!」


 玄関の扉がパタンと閉まり、あたりは嘘みたいに静まり返った。

 フィルは盛大にため息を吐き、部屋の隅にいた犬は満希のそばへと戻ってきた。


 

「……疲れた」


 フィルはうんざりするようにテーブルへ突っ伏した。

 満希は嵐のような彼女に笑みを浮かべ、なつかしい気持ちで、口元は緩みっぱなしだった。


 

「クロエが急にごめんね。断りたかったらいつでも言って」

「いえ、……私もそろそろ……何かしないと、と思ってたので」


 

 満希は、不甲斐ない自分の足元に視線を落とした。

 

 この世界で自分の足で立てるようにならないといけない。

 いつまでもフィルの後ろに隠れているのは、嫌だった。


 

「(ちゃんと働けるかな……私)」

 

 不安げに満希の顔が少し曇ったその時、

 ——犬がべろりと満希の頬をなめ上げた。

 

 

「なっ……!」

 フィルは思わず声をあげ、満希に駆け寄って濡れた頬を袖で拭いあげた。

 犬と化した神をジト目で見ると、犬は面白くなさそうにフィルと睨み合う。


 

「……ふふっ、……ふふふ」

 

 満希は舐められた痕が残る頬に手を当て、堪えきれずに笑い出した。

 彼女の脳裏には、昔飼っていた無邪気な犬が重なっていた。

 

 笑い出した満希を、フィルと犬は安堵した様子で見ていた。

 

 

 フィルは、彼女が声を上げて笑う姿を初めて見たことに気が付いた。

 クロエが来てから、彼女はずっと笑みを浮かべている。

 

 彼女は少しずつ前を向き始め、仕事を始めて自立しようとしている。

 

 

 複雑な感情を胸にフィルは目を逸らし、喉から出かかった言葉に眉をしかめる。


 

 (……言えるわけがない)


 彼女を引き止める理由も、権利も、今の自分にはないのだから。


 胸の奥が今まで味わったことのない感情で、渦巻いていた。

 




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