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やさしい熱にふれて 12


「よい、……っしょ」


 フィルは散々悩みあげ、眠った満希をひとまず部屋へ運ぶことにした。

 初めて抱き上げた女の子の身体は、重みと体温があるひとりの人間だった。

 小さく震える身体は、痛いほど熱い。


「(……やわらかい)」

 

 フィルは慌てて頭を振った。

 

 これは荷物だ。ちょっと熱を持ったいい匂いのする荷物だ。

 フィルは必死に自分にそう言い聞かせ、腕の中の感覚から意識を逸らそうとした。


 

 

 フィルは満希を抱えたまま、彼女の部屋の扉を開けた。

 ふと窓際に干した洗濯物を目にし――満希を落としそうになった。


「……あ、っぶな……」

 間一髪で彼女を床へしゃがみこむようにして抱きとめ、大きなため息を吐く。


 

「(見てはいけないものを、見てしまった……っ)」

 初めて見る女性物の下着に、フィルまで熱が出たように身体が熱くなっていく。


 そういえば最近、朝方に庭から戻ってくる彼女の姿を見かけた気がする。

 すやすや眠る満希を腕の中に抱いて、余計に身体が熱くなる。

 

 結局中に入ることができず、背中で部屋の扉を閉めた。



 

「…………仕方ない」


 フィルはそのまま自室に戻り、ベッドに彼女を横たわらせた。

 自分の布団をかぶせても、彼女の顔色は良くならない。

 

 夜の山は冷える。あたたかい服に着替えた方がよさそうだ。

 彼女の大事そうに撫でるお気に入りの星屑のスカートが皺になってしまうことや、窮屈そうなブラウスも気になる。


 

「(でも、僕が着替えさせるわけにはいかない……)」

 

 女性の服を触るなんて、想像しただけでフィルの頭がどうにかなりそうだった。

 また新たな苦悩にフィルは頭を抱える。

 

 

 

 悩んだ挙句、フィルはクローゼットから、一番大きな部屋着を引っ張り出してくる。

 これは仕方のないことなんだ、と自分に言い聞かせ、満希の服の上から羽織らせた。


 満希がフィルの服に埋もれてしまう。

 借り物の服に包まれた彼女を見るたび、落ち着かない。

 

 フィルの服に残っていたフィルの匂いに包まれて、満希の強張っていた表情が、ふっと少しだけ緩む。

 

「僕、今日どこで寝ればいいんだ……?」

 別の意味で眠れない夜を迎えることになる。



 

 夜が更けるにつれ、満希が苦しげに眉を寄せて呼吸を荒くしている。

 フィルはベッドの端に腰掛け、彼女の額に触れて熱を確かめる。

 辛そうな彼女を見るだけで、フィルまで悲しい気持ちになっていく。


「(今日は、あんなに楽しそうだったのに)」

 彼女のわずかに変わる表情ばかり思い出していた。

 

 満希の横顔を眺めていると、その目尻から、一筋の涙が静かに溢れ落ちた。

 

 フィルは思わずぎょっとする。


 

 

「……言えば、……よかった……」


 蚊の鳴くような、掠れた声だった。

 いつもは感情を綺麗に隠しているはずの唇が、今は子供のように小さく震えている。


 彼女のきつく閉じた瞼の端から、一筋の雫が溢れた。

 それは精霊の淡い光を浴びてきらめき、白い頬を伝っていく。


 

 息を止めた。

 

 飲み込んだ言葉は消えない。

 行き場を失った想いだけが、涙になって溢れていた。

 

 

(……ここに来てから、ひっそり泣いていたのかもしれない)

 

 魔法やリリン、精霊に心が動くことはあっても、彼女の奥底には解決できない後悔がこびりついていた。

 フィルは吸い寄せられるように、大きな身体をゆっくりと起こした。


 

 彼女の熱い涙を、指先で静かに掬い上げた。

 濡れた指先は、シーツに水分を取られていく。


 女の子の涙なんて、相変わらずどうしたらいいかわからないのに。

 

 彼女の堪えていた涙を初めて袖で拭った、あの日とはちがう。

 今どうしようもないほど彼女の肌に、その涙に深く触れたいと願う。

 

 誰かに深く寄り添いたいと思ったのは、初めての感情だった。


 もどかしい指先を、握りしめるしかなかった。





 

 満希は眩しさを覚えて、目を開けた。

 目を開けるなり明るい精霊にのぞき込まれ、息を呑む。

 

 あの日から精霊が満希の部屋に入ってくる事はなかったのに、囲まれている。

 精霊は満希が起きるなり、部屋を出て行った。心配してくれているような気がした。


 

 清涼感のある薬草の香りに包まれていることに気が付き真っ暗な部屋を見まわした。

 そこは見慣れ始めた自分の部屋ではなく、暗いフィルの部屋だった。

 カーテンの隙間から覗く光は淡い。満希が目を覚ますいつもの早い朝の時間。


 ずいぶん身体がぽかぽかしているのは彼の上着のおかげだ。大きすぎる上着は肩からずるりと落ちていく。

 

 

 ベッドの所有者であるフィルはというと、ベッドの端に突っ伏して寝ている。

 あどけない少年のような彼を見て、なんとも言えない気持ちになった。

 

 満希は借りた上着をフィルの肩にかける。


 

「フィル」

 満希は囁くように呼んだ。

 彼女の声が届いたフィルは寝ぼけた顔で彼女をみるなり、目を丸くする。

 

「え、うわミツキ」

 フィルは起きるなり自室に満希がいる状況に慌てふためくが、少しずつ脳が覚醒し、自室に連れてきたのは自分だったことを思い出す。


「ありがとうございました。もう少し寝てください」

 満希はベッドを本人に返すつもりで、ぺらりと布団をめくった。

 

 フィルは思わず息を呑む。

 だが、シーツの奥の素肌は暗がりに隠れて見えない。フィルは心の底から安堵した。

 


「体調はどう?」

「昨日よりはだいぶ」


 身体は重いが、動けないほどではない。

 床の本を慎重に避けながら部屋を出ようとした満希に、フィルは返された自身の上着を彼女にかけなおす。


「僕はもう少し寝るね。満希も今日はゆっくり休んで」

 寝ぼけた顔に戻った彼は、器用に本の山を避けて部屋の奥へと消えた。

 干した薬草の香りに包まれた部屋を後にし、満希は自室へと向かう。


「(……なんで私、フィルの部屋で寝ていたんだろう)」

 

 その疑問は、自室を開いてすぐにわかることとなる。






 

「魔力酔いは、魔力に慣れていない赤ちゃんや裏人がよくなる症状だよ」

 

 遅い朝。

 満希はフィルの上着を肩にかけたまま、静かに耳を傾けていた。


「精霊が多い山から精霊の少ないレヴァンデルに行ったり、転移魔法や僕と一緒に魔法も使ったから、身体がびっくりしちゃったみたいだ」

 

「治るんですか?」


「赤ちゃんも、少しずつご両親の魔力に慣れていくんだ。少しずつ魔力が馴染めば身体が慣れていくよ」


 満希はほっと息を吐いた。

 季節病のようなものだと考えれば、少し気が楽になる。


「でも、魔力が途切れちゃうと危ないから大人しくしてね」

 スープを飲みかけた満希は、思わずむせそうになった。

 そばにいた綿毛を無意識に指で触れる。


 

 フィルは視線をそらし、言いにくそうに続けた。

 

「寝ている時間が、いちばん魔力が馴染むんだ。記憶と同じでね」

 昨日の満希の様子を思い出したのか、彼の耳がわずかに赤くなる。

 

「その時間に、魔力を持つ人がそばにいるのが、一番いい」


 つまり――。

 

「一緒に眠れば、はやく治るってことですか?」

「……そういうこと」

 フィルは、満希と目を合わせられなかった。


 

 満希は少し考えて、先ほどのフィルの無防備な寝顔を思い出す。

 少年のようなあどけない顔を。


「……わかりました」

「そうだね、やっぱり……え、え?!わかったの?」


 満希は頷いた。

 フィルは知らない男ではないし、寝首をかくことや変なことをするとも思っていない。


 

「フィルと寝るってことですね」

 

「そ、その言い方はダメだ……」

 フィルは顔を真っ赤にした。



 その後、どんな顔をして夕方を過ごしたのかお互いに覚えていない。

 夜、霧が深くかかりはじめた頃。

 居間に布団を敷き、微妙な空気の沈黙が降りていた。

 お互い深く考えないようにして、早々に布団に潜り込み目を閉じた。


 

 外の虫の囁き声、肌にまとわりつく湿気、ログハウスの木の匂いと、隣から布が擦れる音。

 目を閉じると、いつもよりずっと鮮明に、身体の奥へ染み込んでくるようだった。


「……なんか、ちょっと、眠れないですね」

 満希は居間の高い天井を見つめた。

 

「……うん」

 フィルの鼓動が、寝てはいけないと主張するように自身の耳に響く。


 

「……フィルはずっとこの家に住んでるんですか?」

「卒業後、局員になってからだよ。もう4、5年くらいかな」


 ログハウスの木の匂いが鼻をくすぐる。やさしい、懐かしくなる匂いだ。


「前の守護人さんは、僕が小さい時に亡くなったんだ。家族みんなでここに暮らしてた」


 食器棚に並ぶ色鮮やかな皿は、にぎやかな家庭だったのだろうと満希は想像した。

 

 

「そのあとカイル局長が来て、局で一緒に働かないかって言われたんだ。それで僕は学校へ行くことになったんだ」

「守護人さんって、みんな局員になるわけじゃないんですね」

「僕が初めてなんじゃないかな」


 

 フィルは山を歩き、国へ報告を続けてきた。

 まだ候補の身でありながら、責務を果たしているのだと満希は思う。

 

 彼女は無意識に布団を握りしめた。


 

「フィルは……神様を嫌いになったこと、ありますか?」

 

 暗がりに、少しだけ震える声が響く。

 

 

「……あるよ。いっぱいある」

 フィルは昔を思い出すように瞼を閉じた。

 

「本当にうるさい神様なんだ。わがままで、意地悪で」

 フィルは小さい頃から寄り添ってきた霧神様の薄い瞳の色を思い描く。


「でも、僕この山が好きだから。霧神様が嫌いになった日でも頑張ろうって思うんだ」


 

(僕はこの山をひとりで、守っていくんだ)

 フィルはやさしい山の音に耳を立てた。


 

「……フィルの頑張りは、霧神様にも届きますね」


 2人は言葉を交わさず、そのまま眠りに落ちた。

 

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