第10話
転移した魔法陣のそばに、白い石造りの大きな建物が立っていた。
「ここが僕の職場」
大きなガラス窓は日光を受けて淡く光り、入口へ続く小道は緑に包まれ新緑の匂いが鼻を掠める。
庭の噴水が静かにきらめいていた。
「こっちだよ」
重い扉を押すと、落ち着いた広間が広がる。
高い天井には鉱石を散りばめた灯りが下がり、やわらかな光を落としていた。
深紅の制服を着た人々が、満希の横をすり抜けるように受付へ向かっていく。
局員の話し声は、高い天井まで届かず落ち着いた空間だった。
きちんと整えられた空間は職場というよりは、高級ホテルみたいだった。
フィルは、他の局員と同様に受付へと足を向ける。
入館手続きのようで、先頭に並ぶ局員は何かを見せて続々と奥へと進んでいく。
前の局員の背中を眺めていると、すぐに順番がやってきた。
フィルは受付職員に、手のひらを見せた。その手には、新緑の色の小さな魔法陣が描かれている。
職員は慣れた様子で、その魔法陣をなぞるようにゆっくりと払った。
すると新緑色の魔法陣が一瞬だけ光り、すぐに消える。
「通ってどうぞ」
事務作業をする感情のない声だった。
満希は他の局員たちを見ると、かざす魔法陣は様々な色をしていた。
「(生体認証みたいな……?)」
フィルにローブを引かれ、満希は彼のあとを追った。
ロビーを過ぎると、静かな廊下が続いていた。
局員の足音は絨毯に吸われ、すぐに遠ざかっていく。
奥へ進むほど空気は澄み、職場の気配がひそやかに満ちていく。
窓から差し込む光が、絨毯の色を淡く浮かび上がらせていた。
角を数回曲がり、2人は大きな扉の前に立った。
「フィル・エルムです」
ノックをすると暫くしてから声が返ってきた。
扉を開けると、部屋の中央に大きな机があり、その上には資料の山が築かれていた。
山の隙間から、男――カイル・エルドレッドが顔をのぞかせる。
ようやく来たかと言いたげな瞳は、鋭く青い。
夜の海のような長い髪は、片側へ三つ編みに結われ、先の方でほどけて絡まっている。
着崩した制服に、肩へ無造作に掛けた上着。整っているのに、どこかだらしない。
そんなアンバランスさが、彼の独特な雰囲気を形づくっていた。
「ご無沙汰しています」
硬い声で挨拶するフィルは、局員らしさがあった。
「真面目だね~フィル。職場なんだから緩くいこう」
対照的にカイルの声は気が抜けていた。
「(……職場だから、ゆるく?)」
カイルの言葉は、満希にとって不可解だった。
フィルとの挨拶もそこそこに、カイルは「裏人さんは?」と首を伸ばしてフィルの背後を探す。
「常盤満希です」
満希は一歩前に出て、頭を下げた。
フィルの上司。ここに呼び出した張本人を前に、満希は少し緊張していた。
彼女の顔を見るなり、カイルは椅子の背もたれに深く沈み、長い三つ編みの先を弄び始めた。
「ミツキちゃん、怖がらせちゃってるじゃないか」
大きなため息を吐いて、片手でクッキーをつまみ食べた。
「一緒に茶でも飲もうか」
パン、と手のひらを叩くと扉の近くにあったベルが勝手に鳴った。
フィルは、杖をどこからか出して八の字を描くと、テーブルとソファが現れる。
映画のワンシーンのような光景に、満希の目は輝く。
「うちは国家魔法管理局なんて物騒な名前だけど、実態は『迷子の世話焼き係』みたいなもんだから」
カイルに手をそっと掬われ、ソファにやさしく導かれた。
初めてのエスコートに満希が呆けているうちに、いつの間にか現れた局員が、お菓子とお茶が入ったティーセットを並べていく。運ばれたお菓子は、種類も数も豊富だ。
甘い匂いにつつまれて、満希には何がなんだかわからなかった。
フィルは、隣に座っていた。
カイルは棚の引き出しから模様の入った箱を取り出し、満希に差し出す。
「裏人さんからもらったお菓子、ミツキちゃんもどう?」
箱の中には金平糖が、ぎっしり入っている。
やさしい色の星は、祖母がいつもくれた見慣れたお菓子。
恐る恐る口に含むとなつかしい味。鼻の奥がつんとした。
「君みたいな『裏人』さんは、こっちの世界に体が慣れるまでが大変なんだ。だから住む場所や身分。いろんなことを国がサポートする管轄を作ったのさ」
カイルはどかりとソファに座り、金平糖をガリガリ音を立てて食べていた。
満希が考えていたよりも、ここは裏側の世界の住人に親切なようだ。
フィルと初めて会ったとき「都会に家を用意できる」といった理由がようやく理解できた。
「まあ君は、いきなり山神様に愛されちゃったみたいだけど」
カイルは、小さくぼやいた。
フィルはため息を吐いて、満希の服の裾に隠れた綿毛を見ていた。
満希は、カイルの言葉を振り返る。
『国家魔法管理局』『国が、サポートする』
高級感のある建物に、厳格な制服。
満希はフィルを見た。
「……フィル、国の偉い方だったんですね」
「偉くないよ……」
「国家魔法管理局、……ですよね?」
彼から国家組織の話を聞いてない満希は、静かにフィルを見ていた。
その様子を面白そうにカイルは眺め、対照的にフィルは苦虫をつぶしたような顔をしていた。
「この世界は精霊の力を借りて魔法を使えるんだ」
カイルは指先についた砂糖を舐め、茶を片手に話し出した。
「最近は魔法を使いすぎるバカが多い。力尽きた精霊たちは、山神様がいるあの山に逃げ込んでる」
満希は溢れかえった山の精霊を思い出す。
山に比べればこの街で、精霊を見かけていない気もした。
「国としても、山神様の機嫌を損ねないように、守護人を国の局員として雇うことにしたんだ」
満希はお茶を手にし、口に含むとオレンジの香りが漂う。
やっと腑に落ちた。
フィルが激務なことや、兼務のこと。彼の立場やこの世界が少し見えてきた。
あの山は過ごしやすくて特別だと思っていたが、この世界にとっても特別で神聖な場所であった事を知る。
小さな頃から山の守護人候補であったことも、魔法管理局員であることも嘘ではなかった。
満希は国家魔法管理局員のフィルと目が合うと、すこし困った顔をしていた。
「国に、僕を含めて管理されているだけだよ。精霊不足だからたまたま国家魔法管理局員になれただけ」
フィルは国の局員だと伝えなかったことを、少し反省しているようだった。
満希になんと言おうと考えているうちに言い損ねていた。
「国に所属しているだけで山の守護人としての仕事がメインだからね」
やる事は変わらない。そういっているようだった。
彼の仕事は立派で、なんて誇らしいのだろう。
もう帰ることのない、小さな自分の居場所を思い出し、胸に重たい石がのった気持ちだった。
「で、フィルは国家魔法管理局員になるため、魔法学校に行ったんだ」
「……僕の話まだ続きますか?」
フィルはうんざりするように、カイルに言った。
カイルはそれもそうだ、と仕切り直すようにお菓子に手を伸ばした。
「今日呼んだのは、手続きの話なんかじゃなくて」
カイルはケーキを大きな口で食べていく。
「満希ちゃん、どうだい? フィルはちゃんと君を守れてる? 」
「え……?!」
思いもよらない話の流れで満希は目を丸くした。
三者面談の気持ちになりながら、「とても、お世話になってます……」なんとか声を絞り出した。
「こいつは『人の良さ』だけで生きてるようなやつだからさ。困ったことや、嫌になっちゃうことがあれば、いつでも俺に言ってね」
カイルの話のテンポに追いつくのがやっとで小さく頷いた。
癖の強い人だと感じたが、満希を案じる青い瞳は、フィルのように優しかった。
「それで、どこに住むか決めた?」
カイルの言葉に、満希の顔は一気に暗くなる。
「あの……もう少し、待っていただけますか?」
恐る恐る満希が口にすると、カイルはとつぜん満希の隣に座った。
人の重みで沈んだソファは3人の体重に耐え切れずに、ぎこちない音が鳴った。
「固い!固いよミツキちゃん!」
彼女の肩をバシバシ叩いた。
フィルは非常識な自分の上司に苛立ちを覚えた。
「君が決めていいんだ」
裏人が自由に決められる。その世界で居心地の悪い満希は、瞼を閉じて頷いた。
カイルは、またお菓子を口にして小さく息を吐いた。
「前の裏人さんは、海の方へ移り住んだよ」
満希は頭を上げた。
カイルが手に持ったお菓子は掃除機のように吸い込まれていく。
満希は裏人の話よりも、カイルの口へ消えていくお菓子の勢いに目を奪われていた。
「ここが気に入ったらここにも住める。まあ、まずは街に行ってみなよ」
突然ソファが消え、満希は床に尻餅をついた。
すかさずフィルが「大丈夫?」と満希の手を引いて抱き起こし、苛立ちを隠せず自分の上司を睨んだ。
「局長、いい加減にしてください」
「……え、局長?」
満希が驚くのをよそに、2人はカイルに背中を押されて追い出された。
振り返った満希は、やさしい青い瞳と目が合う。
「この世界で、楽しむことを考えるんだ」
ばたりと閉められた扉を二人で見上げた。
廊下は、嘘のように静かだった。




