3-出席番号1番 相澤 碧という人
6限目が終わり、勇気を持ってアオくんにLINEをする事にした。
[昨日の配信お休みだったけど、もしかして具合悪い?]
既読がつくのが怖くてすぐにアプリを閉じてスマホを鞄にしまった。
掌がびっしょりと濡れていた。
アオくんにとって、今の私はどんな存在なのか分からないから、怖い。アオくんにこんなことを思うのは初めてで泣きたくなる。
アオくんにだけは嫌われたくなかったのに……。
そうだよね。私、アオくんのこと好きだから当然か。
人知れず、大きく息を吐いた。
「え、美衣ちゃん顔色悪いけど大丈夫?」
隣の田中さんがスマホ片手に眉を下げてこちらを見ている。
あ、心配されてる?
胸がぎゅっとなってる。このクラスに私のこと心配してくれる人がいなんて思わなかったから、心配されたことへの驚きと場違いだけど、ちょっとだけ嬉しい。
「あ、うん。大丈夫……。色々考えちゃって」
顔が真っ赤になってそれが恥ずかして俯く。
「あぁ、委員会のこと?相澤くんと一緒とか……ラッキーって思う人もいると思うけど、美衣ちゃん的にはきっと違うんだね?ダルくなるのわかるかも。意図せずそうなったの知ってるから、正直、どんまいって感じだし……。うちらが不安煽るようなこと言ったから悪かったよね。ごめんね。その、あんまり悪く考え過ぎない方がいいよ。……しんどくなるっしょ」
「えっと、ありがとう。田中さん。」
「委員会頑張って。」
「ありがとう。頑張るね……」
思えば田中さんって私の事気にかけてくれていることが多い気がする。
ピアス跡とか纏うアンニュイな印象が話しかけにくい感じがあったけど、数日隣で過ごして悪い子じゃないと感じてる。
私ももう少し勇気出して話しかけてみような。
「気にかけてもらったの、嬉しかった。その、ありがとう。田中さんも部活頑張ってね。」
気持ちをちゃんと伝えたかったのにどこかぎこちなくて、上手くいかない自分の不器用さが悲しくなる。どこまでも締まりの悪い自分を誤魔化すようにヘラっと笑った。
「え……ありがとう。美衣ちゃんって、そういう顔もするんだね。……美衣ちゃんは笑ってた方がずっと良いよ。」
田中さんの耳が赤くなっているのが見えてそれがなんだか嬉しかった。
「あ、ありがとう。」
なんか友達できたみたいで嬉しい。
「美衣ちゃんって、なんか可愛いよね。」
田中さんの思いがけない言葉に目を丸くする。
「いやいや、そんなことはないよ」
顔の前で手を横にブンブン振った。
「ふっ。めっちゃ否定するじゃん。あと、田中じゃなくて、亜美でいいから。」
亜美ちゃんって呼んでいいの?嬉しいな。
「あ、ありがとう。亜美ちゃん。」
くすぐったくて恥ずかしくなって俯く。
「あ、来ちゃった。…美衣ちゃん、ばいはい。委員会頑張って。委員会でなんかあったらLINEしてもいいから」
あ、中島さんがトイレから戻ってきたみたいだ。
「遅くなってごめんー。って、亜美、和田みと何話してたの?亜美ニヤけてる。」
中島さんが部活に行く準備をしながら亜美ちゃんに聞いている。
「別にニヤけてないし。あー、美衣ちゃんに委員会頑張ってって言ってたの。」
「それな。和田み、ダルい委員会選んで自分からやるの偉いなって思ったんだよね。程々にサボりながら無理しないで」
「あはは、ありがとう」
2人に手を振られて、振り返す。
なんだか心がむず痒い。
委員会頑張れそうな気がしてきた。
教室の前の方をチラリと見ると同じ委員会の相澤くんは男女問わず囲まれていた。
話しかけるのは難しいから先に向かうことにした。
委員会の集合時間の十分前に着くように教室を出た。
たまたまだけど、相澤くんが5mくらい後ろを着いて来ている。構図に気まずさを感じながら図書館に辿り着いた。
※ ※ ※
委員会での活動についての説明と顔合わせはつつがなく終了し、教室に戻ると誰もいなかった。
相澤くんは色んな人に引き止められていて、バラバラだったから行きの気まずさはなかった。
スマホを取り出し息を吐く。アオくんの返信はなかった。アプリを開くと既読はついていなくて、残念なようでいて、首の皮一枚で繋がったような安心感もあり複雑だ。
ブレザーのポケットにスマホをしまう。
窓からの温かい風に目を細める。誰かが閉め忘れたみたいだ。窓を閉めるために近寄る。
窓の外に目をやるとサッカー部がボールを蹴り上げていて、離れた所では野球部が見えた。外から聞こえる運動部の掛け声やカキーンとバットでボールを打つ音。遠くで吹奏楽の合奏の音。生暖かい風がふわっと吹いて髪がなびいた。
皆青春してる。
空気感に堪らなくなって瞼を閉じる。
この感じ、大人になったら味わえなくなるのかな。
この瞬間を切り取って覚えて置きたい。
ふぅと息を吐いた。
「委員会、お疲れ様。一緒に帰らない?」
突然後ろから聞こえた声に息が止まった。この声は……まさか、アオくん?毎日2年聞いてるから聞き間違うはずない。
時間が止まったようだった。
風が少し強く吹いてカーテンを巻き上げた。
「一緒に帰らない?和田さん。」
追い討ちをかけるように聞こえた声に混乱する。
あおくんがこの学校にいる?たしかに同い年だから、その可能性はゼロではない。
でもどんな顔して会えばいいか分からなかった。
アオくんには、嫌われたかもって思ってた。
だって、配信には来てくれなかったし、私の初配信をした日に限って配信をお休みしたし、LINEだって返ってきてない。
口の中はカラカラ。何か言おうと口を開いたけれど、言葉が出ないまま閉じた。
混乱した頭で窓を閉めて鍵をかけた。
さっきまで聞こえていた音が遠くなって、耳にまで心臓の音が聞こえてくるようだった。
「ずっと、話してみたかったんだ。」
優しい落ち着いた声。
瞼を閉じて俯く。
足音で近づいてきているのを感じだ。人1人分くらい開けて足音は止まった。
息が詰まる。
「これからよろしくね。」
大きく息を吐く。
鼻から息を吸って一拍あけて問いかけた。
「アオくん……なの?」
自分が思ってたよりもずっと弱々しい声が出た。
「……うん?あおいだよ」
あお、い?
ゆっくりと振り返り、その姿を捉えて困惑に目を泳がせた。
思ってたのと違う。人違いだった。
「和田さん。よろしくね」
見上げた相手の顔をまじまじと見て頷いた。
綺麗な顔だ…。芸術品の様に整った顔。
シュッとした輪郭に、ふわっとセンターで分けている前髪はサラサラだ。黒目が大きいアーモンド型の大きな瞳を飾るのは長いまつげ。綺麗に通った鼻に少し口角が上がった唇。ちょんっと小さい泣きぼくろ。
そう、話しかけてきたのは、さっきまで委員会で一緒だった相澤くんだった。
アオくんは人見知りで、自信がなくて、運動音痴で、でも歌が上手くて、頑張って配信しているけど、学校では教室の端で本を読んでいる子で……。
あれ、私アオくんじゃなくてガッカリしてる。
でも、安心してる。合わせる顔がないって思ってたから……。
「違った…」
心の中で呟いたつもりが声に出て両手で口を抑える。
「え?」
相澤くんは首を傾げて微笑みながら見つめてくる。
首を横に振り俯いた。
視界に大きな真新しい中履きのつま先が入り、相澤くんが目の前に立っているのを感じた。
「えっと…」
無意識に1歩後ずさり、窓枠に背中が軽く当たった。顔を少し上げて、ネクタイの結び目を見た。
「同じ委員会になったんだし、放課後とか一緒に過ごすこと多くなると思うから仲良くできたらなって思ったんだけど。…警戒させてしまったかな?」
「あ、そうじゃなくて、えっと………話しかけられるって思わなかったから驚いたの。ちょっと考え事しててそれで、無視するつもりなかったんだけど、あの、ごめん。」
いたたまれなくなって、視線がさまよった。
相澤くんはホッと息を吐いた。
「そっか。嫌われたかと思ったよ。」
相澤くんの一挙一動に緊張しながら神経が集中しているのを感じる。
相澤くんは俯いて鼻の下を擦って顔を上げるとニコッと笑顔を浮かべた。
あぁ、眩しい。
やっぱり、アオくんじゃない。
「そしたら、暗くなる前に帰ろうか」
優しい声色。
「いや、緊張するから私は大丈夫……」
「うーん。これからは委員会一緒だけど大丈夫そ?」
痛い所を突いてくるじゃん。
「あは、あはは…じゃ、じゃあ、昇降口まで」
何乾いた笑いをしてるんだ自分。変なテンションの人って思われてないかな。
高鳴る胸を抑える。モテる男は違うんだ。警戒しないと。
荷物がまとまっている様子の相澤くんが私がカバンに教科書を詰めるのを待っていてくれている。
なんか急に青春が特急列車でやってきたみたいで戸惑う。
「準備できた?」
「あ、うん。」
「おーけー、ありがとう。行こうか。」
誰かに見られたらなんて考えは杞憂だった。
それでも、私たちは廊下を人1人分開けて歩く。
「家はどこら辺なの?」
横からの視線に気が付かないフリをして前だけを見る。
初対面で家の場所を聞かれてる?クラスメイトだし変じゃないのか。街の名前を言うか迷って、沈黙が訪れる。
「えっと電車通学だから駅なんだ。」
なんか迷ってズレた返ししちゃったかも。
「そっか、じゃあ駅まで一緒だ。何駅くらい離れているの?」
顔を上げて目が合うと相澤くんはニコッと笑いかけてきた。私のズレた返しは気にも止めていない様子だ。
「あはは。数えたことないからよく分からないや。1時間くらいかかるかな。」
愛想笑いを返して目を泳がせて俯く。心臓がドコドコと耳にまで鼓動が響いているようだ。顔が熱い。
「遠いのに毎日頑張って通学してるんだね。偉いね。」
感心しているような声色だ。
「あははは。」
空っぽの愛想笑いを返す私。
好きな教科と苦手な教科、好きな食べ物と嫌いな食べ物、アレルギーの有無、好きな趣味、最近ハマっていること、好きな色、将来の夢、面接のように色々と聞かれ答え、相手のことも問いかけ意図せず色んなことを知れた。
「和田さんは…恋人いるの?」
恋人の有無を聞かれるなんて思わなくて、瞬きが増える。
「え、恋人は、いないけど…」
しりつぼみに答える。私何聞かれてるんだろう。
「いないけど?」
いないけど…。あ、続きがあると思ってる?
「いないよ。」
「いないけど?……好きな人はいる、ってこと?」
まさか追求する?
言い逃れできない空気感に唾を飲む。
「好きな人は…い、いるかな…」
手が汗ばんでスカートをぎゅっと握る。
足が一瞬止まって、また歩き出す。
あれ、なんでこんな話してるんだっけ?
「へぇ…そうなんだ。俺と一緒にいる所見られたくない?」
アオくんに相澤くんと一緒に歩いている所を見られたらと想像する。胸に苦い感覚が広がった。
見られたくない。
でも実際には、アオくんはどうとも思わないかも。その事実に少し泣きたくなる。
「あ、いや、一緒にいるところを見られることはない、と思う。…見られても分からないと思うというか」
言うつもりがなかったことまで言ってしまう。
私失言製造機過ぎない?
「ん?」
あー、気まずい。
「な、なんでもない」
真新しいリュックの紐をジメジメの手で握りしめた。
「みーちゃん。」
声と言い方がアオくんそっくりで思わず隣を上げた。
「えっ?」
目をまん丸にして相澤くんを見つめる。
思いがけず、相澤くんの表情が切なくて、足が止まる。
真剣な瞳に今重要な瞬間なんじゃないかと思えた。
相澤くんが……もしかしてアオくん?あいざわあおいくん。……あおくん?
「名前かわいいよね。」
ヘラっと相澤くんは笑った。
あ、勘違いだよね。恥ずかしい。期待した自分に恥ずかしい。
「あ、あり……あ、ありがとう」
温泉が吹き出るくらい深く穴を掘って埋まりたい。
両手で顔を覆う。
「中2から付き合ってる子がいるんだけどさ」
その言葉に相澤くんの顔を見る。
「その子と同じ名前で、ちょっとびっくりした」
すごく優しい顔。あ、本当に大事にしてるんだろうな。
何故か心臓を握られたように苦しくなる。あぁ、そうだった。頭から冷水をかけらたような感覚に体が強ばる。
中学校からの彼女がいるんだった。そうだった失念してた。
やだ、私勘違いしてた?
最悪だ。もしかして……好きになりかけてた?
そんなつもりはなかったけど、最低だ。
「私、ここでいいや。送ってくれてありがとう。あはは、相澤くんはとっても優しいんだね。」
何がおかしいのか分からないけどとりあえずで笑っている自分を客観視している自分がいる。
無理がありすぎる。
相澤くんから戸惑った空気を感じる。そりゃそうだ。駅まで一本道だ。あと10分くらい歩けば駅だ。
さすがにおかしいよね。あー、最悪な空気だ。
気まずい。何か話さないと。
「あはは。私もわかるなぁー。好きな人の名前が聞こえるとドキドキしちゃうの。」
さっきよりも足早に歩くが、相手も長いコンパスを私のペースに合わせる。
「ん?と言うと?」
え、流してくれると思ったのに。
「え?あっ、な、なんでもない」
また変なこと言っちゃったかも。墓穴ばかり掘ってる。変な子って思われてるよね。
「…………。」
沈黙が気まずい。
何か話さないと。えーと、天気の話とか……。ここで急に?どうしよう。
「えー、……アオくんって名前かな?」
一瞬立ち止まりまた歩き出す。
並び歩いていた人の姿が見えなくなり、一瞬困惑したが構わず進む。
なんで初対面なのに誘導尋問のように聞き出されているんだろう。勝手に話したの私か。
少しすると相澤くんは走って隣に並んだ。
「そうなんだね。あ、もう駅だね。明日また学校でね。……和田さん。」
「相澤くん……委員会よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げると相澤くんは小さく手を振り改札を抜けていった。
※ ※ ※ ※
改札を抜けて、早足の周りの大人たちに避けられながらいつもの硬い床の道を歩く。
人の流れに紛れながら、さっきまでの出来事が頭の中でぐるぐると回っていた。
……なんだったんだろう。
相澤くん。
急に話しかけてきて、距離が近くて、でも優しくて。
それにあの………。
「みーちゃん」
思わず声に出て周りを見渡したけど私を気にする人なんていなくてほっと息を吐いた。
あの呼び方が、頭から離れない。
違うって分かってるのに、声が似ていたせいで、一瞬だけ本気で期待してしまった自分がいた。
……最悪だ。
アオくんじゃなかったことに、安心してるのに。
少しだけ、残念だと思ってしまった自分がいる。
ぎゅっと胸の奥が痛んだ。
電車に揺られながら、窓に映る自分の顔を見る。
ぼんやりしていて、どこか疲れている顔。
……帰ったら、ちゃんと確認しないと……。
心の中で呟いて、スマホをギュッと握りしめた。
※ ※ ※ ※
家に着くと、すっかり真っ暗でシンとした静けさと寒さに身震いした。
そっか、お母さん今日も夜勤だっけ。
パチパチと電気をつけてリビングのソファーに横になった。
制服のままスマホを取り出した。
1呼吸置いて、アプリを開いて見るのが怖くてギュッと瞼を閉じた。
ずっとそうしている訳にもいかなくて恐る恐る画面を確認する。
……。
……通知は、何もない。
画面に表示されたのは、昼間に送ったメッセージが未読のまま。
ほっとしたような、がっかりしたような、変な気持ちになる。
既読がついてないってことは、まだ見てないだけ。でも本当にそうかな。LINE返すの面倒とか思われて見なかった振りされてたり……。いや、アオくんはそんな人じゃない。でも怒らせているかもしれなくて、ウザイって思ってるかも………。
「あー、辛い。」
でも、アオくん昨日は電話してくれたよね。何より私を優先してくれたってことでしょ?
私たちには2年の信頼しあった月日がある。アオくんを疑うことは今までの優しさも支えあった絆も否定することになる気がした。それだけは嫌だった。
「……どうして返信がないだけで、こんなに怖いんだろう」
ぽつりと呟いた声が、やけに大きく感じた。
スマホを胸に押し当てて、仰向けになる。
天井を見上げながら、考える。
アオくんだって、色々あるよ。
忙しいのかもしれない。
体調が悪いのかもしれない。
配信だって、毎日やってるんだし、たまには休む日もあるよね。
……でも。
私のせい、だったら?
初配信のこと、気にしてるとか。
来なかったこと、責められると思ってるとか。
そもそも、私の配信が嫌だったとか。
考えれば考えるほど、悪い方向に持っていかれる。
「……やだ」
ぎゅっと目を閉じた。
こんなの、やめたい。変わりたいって思ってるのに、起き上がって頭を振る。
液晶テレビが視界に入った。黒く反射した自分が映る。
ふと、別の顔が浮かんだ。
ジッと一瞬だけ目が合った。それから同じ委員会になって……キラキラしてて怖いかもって思ったらそんなことなくて……。
——相澤くん。
って何考えてるの私。
前髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
なんで今それ思い出すの。
違うでしょ。
私は——
「……アオくんが、好きなのに」
声に出してしまって、ハッとする。
静かな家に余韻が残っているような感じがして気まずかった。
外から隣の家の人の車のエンジン音が聞こえて現実に戻される。
私何やってんだろ。
会ったこともないのに。
名前だって本当か分からないのに。
それでも、あの声が、言葉が、全部好きで。
「みーちゃん」って呼ばれるだけで、特別みたいに感じてしまって。
——馬鹿みたい。
でも、それでもいいって思ってた。
この距離のままでいいって。
ファンでいいって。
なのに。
今日、初めて怖いって思った。
いなくなるかもしれないって。
それだけで、こんなに苦しいなんて。
スマホを見つめる。
トーク画面を開いて、指が勝手に動いた。
[怒らせた?アオくん感じれないのいちばん辛い]
送信が押せなくて、バックで消した。
知ってる今までのアオくんなら私が辛いって言ったら心が救われる行動をしてくれていた。
でもそれって正解かな?私、アオくんの事振り回してない?愛想尽きた?
[しんどい事あって、アオくんの声聞きたい。]
指がキーボードの上で止まる。
こんなの送って未読無視とか既読無視されたらもう立ち上がれないよ。
指先が震える。
送信ボタンの上で、何度も止まる。
……やめよう。
ゆっくりと画面を閉じた。
ベッドに仰向けになって、スマホを胸の上に乗せる。
「……待つしかない、か」
ぽつりと呟く。
それしかできない自分が、少しだけ悔しかった。
踏み込んで大怪我するのが怖いんだ。
大きく吐いた息が部屋に響いた。
やけに秒針の音が大きくゆっくりと聞こえた。
部屋の中は静かで、やけに時間がゆっくり流れている気がする。
目を閉じると、今日の出来事が浮かんでくる。
田中さん——亜美ちゃんと話せたこと。
名前で呼んでもらえたこと。
嬉しかった。
ちゃんと、嬉しかったはずなのに。
その気持ちすら、どこか遠く感じる。
全部、アオくんのことで上書きされていく。
スマホを握り直す。
画面は真っ暗なまま。
何も変わっていない。
——その時。
ぶるっと小さく震えた。
画面が光る。
心臓が跳ねる。
慌てて画面を見る。
……。
違った。
アオくんじゃない。
通知欄に表示された、別の名前。
亜美ちゃんからだった。
アプリを開くと真っ白の下をペロッと出したマルチーズのアイコン。
なんからしいなって思った。
「お疲れ様」と、羊がホットミルクを差し出しているスタンプ。
間を開けずにメッセージが届いた。
[委員会どうだった?]
「……優しいな」
ぽつりと呟く。
少しだけ、胸の奥があたたかくなる。
ツーと涙が流れた。
さっきまでのざわざわした気持ちが、ゆっくりとほどけていく。
あ、既読ついてるよね。返さないと。えーと。
[緊張しいだけど、挨拶だけはちゃんとできたよ。
頑張ってって言われたから、頑張れた。ありがとう]
何度も読み返して少し震える指を送信ボタンに置いた。
既読がつく前に、スマホの画面を消す。
すぐに、また震えた。
[よかった!えらい!✨]
[ちゃんとできてるじゃん!]
スタンプがもう一つ送られてくる。
はなまるのマークを背負った白いクマみたいなわんちゃん。
画面を見て、思わずクスッと少し笑った。
……可愛いな。優しいな。温かいな。
こんなふうに、ちゃんと見てくれて、すぐ返してくれて、女の子の友達と安心してメッセージできるのいつぶりだろう……。
それだけで、こんなに安心するのに。
ふと、別の名前が頭に浮かぶ。
アオくん。
スマホをもう一度開いた。
トーク画面を開く。
……変わっていない。
既読も、ついていない。
「……なんで。いっつもは……。」
小さく呟いた声は、自分でも驚くくらい弱かった。
[ご飯食べた?]
亜美ちゃんからのメッセージに、指が止まる。
……食べてない。
というより。
「……作らないと」
小さく呟いてから、そのまま打ち込む。
[これから作るよ]
送信。
すぐに既読がつく。
[えっ、自分で作るの?]
……あ。
少しだけ、間が空く。
そうか。普通は、そういう反応だった。忘れてた。
[うん、いつもそんな感じ]
[すごいね…!私なんて親に任せっきりだよ〜]
その言葉に、息を吐いた。間違ってないか怖くなる。可哀想な振りが上手だねとかもう思われたくないから、何を話せばいいのか分からなくなったんだ。
えーと。
[適当にあるもので作るよ]
間違ってないかな………?これ1つ送るのに5分くらい考えてから送信した。
スマホを伏せて置いた。
少しして、また震える。
[無理しないでね!ちゃんと食べてね♡]
その一文に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
こんなふうに、アオくん以外に温かい言葉をかけてもらって、ご飯のことを気にかけてもらうの、いつぶりだろう。
あんなに既読つけるの怖かったのにスマホを見つめたまま、しばらく動けなかった。
涙が落ち着いた頃、台所に立つ。
「今日は炒飯でいいかな。ママも帰ってきたら食べるかな」
冷蔵庫からタッパーのご飯を取り出す。
ひき肉とネギと紅しょうが、卵、中華の素、醤油。
「油そろそろ買ってこないと」
台所にネギを刻む音が響く。
フライパンの油の跳ねる音。
「スープはわかめかな……」
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