四十四話 目を覚ます
アイクたちは休む間もなく消火活動に奔走し、翌朝には大森林の火災を最小限に抑えて終息させた。
鎮火を終えた彼らは森の民と合流し、枯れ果てた大森林を静かに見つめる。
クロは静かに胸元の魔法陣に指先を添え、そっと目を閉じた。まるで春の陽だまりのように、穏やかで暖かな光が胸の奥に集まりはじめる。やがて、ひとしずくの太陽を凝縮したかのような、純粋な輝きの魔力がゆっくりと引き出された。
その瞬間、クロの頭上に浮かんでいた王冠や背に広がっていた翅も、光の粒となり空気に溶け、消えていく。
彼女がその光の珠を枯れ果てた神樹にとそっと捧げると、珠は幹に滞りなく吸い込まれていった。
次の瞬間、枯れ果てたかに見えた神樹は命を吹き返したように、樹皮が潤い、枝葉が揺れ、青々とした葉が再び空に向かって広がり始める。
全てを終えたクロは疲労によって倒れそうになるが、風のように背後に立ったアイクが外套を羽織らせ、しっかりと受け止めた。
アイクはクロを軽々とお姫様抱っこしながら崩れ落ちそうな祭壇を飛び降りる。
「ちょ、ちょっと、アイク! その子とベタベタしすぎ!」
打ち身や返り血、泥によって綺麗な白い肌がどろどろになっているシロはアイクのもとに駆け寄り、騒ぎ散らす。腕の中にいるのが自分ではないのが納得できていない様子だった。
叫ぶシロを見たクロは、アイクの顔と見回し、すぐに離れようとする。
「クロの持ち主だったドリミアはいなくなった。その時、彼女を持っていたのは俺だ。保護する責任があるだろう」
アイクの言い分はもっともだが、シロは頬を膨らませ、琥珀色の瞳に涙をためる。だが、彼の言葉は続いた。
「……シロの頭を撫でてもいいだろうか? 今、無性にそうしたい」
シロの泥まみれな姿を見たアイクは彼女の頑張りをしっかりと理解していた。いつの間にか右手がシロの頭に向っている。その問いに、シロはぷいと顔を背けたまま腕を組み、拗ねた声で応じる。
「……好きにすれば。わたしの全部はアイクのものなんだから……何をしたって、文句なんか言わない」
そっけない態度の裏に「そんなこと聞くなよ」と女心のわかっていないアイクへのいら立ちが垣間見える。
だが、アイクの手がそっと頭に触れた瞬間、シロの尻尾が反射的にふわりと上がり、うなだれていた耳もぴんと立ち上がる。彼に撫でられるたび、身体の奥からふるふると甘い震えが広がっていく。
こんなにも触れてほしいく、こんなにも抱きしめてほしいと全身から感情を醸し出しているのに、今、アイクの腕の中にいるのはクロだった。
その事実がシロの表情を顰めさせ、彼女は何も言わず、クロを何度もチラ見する。
疲れ切っているクロに口出しすることはないが、表情がずっとムッツリしていた。
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アイクの生まれ育った村に戻ると、クロがアイクからやっと離れた。それを見て、シロが彼に飛びつこうと身構えた瞬間、「アイクっ!」という叫び声が空気を裂いた。
その声の主、アイクの母が、傷だらけの彼のもとに駆け寄り、何も言わずに力いっぱい抱きしめる。
三年という歳月の中でアイクは見違えるほど成長していた。村人の多くは、その変わり果てた姿に気づけずにいたが、母だけは一目でわかった。
声や顔ではなく、その佇まいと気配から「息子だ」と確信し、思わず飛びついていた。
背も肩幅もすっかり追い越された今、アイクを完全に抱きしめることはできない。それでも、母の腕に宿る温もりは変わらず、アイクの大きな体を優しく包む。
何よりも確かな、母の愛だった。
「母さん……、ちょっと苦しい」
そういいながらも、アイクは母の小さな肩をそっと抱きしめた。
またしても抱きつく瞬間を見逃したシロはじだんだを踏み、夜が来るのをひたすら待ち続ける。
その間、溜まり続ける鬱憤は今までより計り知れない。もう、アイクを骨の髄までしゃぶりつくしてやると言わんばかりに、口角が引きつっていた。
ただ、アイクは疲労困憊により半場倒れるように、火事を免れた実家のベッドで休眠を取っている。その無防備な姿に手を出すことは、どうしてもできなかった。
追い打ちをかけるように、泣きそうな表情のクロがアイクの傍を一歩も離れようとしない。
シロはその様子にじっと視線を向け、何かを飲み込むように息をひとつ吐くと、黙って椅子に腰を下ろした。
「わたしたちを騙していたくせに、なによその顔」
「……ごめんなさい。あの時は、首輪のせいで逆らえなかったんです」
ベッドと椅子以外何もないアイクが眠る静かな寝室で、シロとクロは言葉を交わし続けた。
クロの語る過去は、どこまでも残酷だった。
父は獣族、母は森の民。定まらぬ住処で、家族三人、慎ましくも穏やかな日々を過ごしていた。だが、その平穏は突然奪われる。
高値で取引される森の民を狙った盗賊に襲われ、父は愛する妻と娘を守るために剣を取ったが、多勢に無勢、命を散らした。
母もまた、最期の力を振り絞り、クロを逃がそうとした。しかし、クロを狙った刃を身を挺して防ぎ、そのまま息を引き取った。
両親を一度に喪ったクロは行き場もなく、無垢なまま盗賊に囚われ、市場へと売られた。
その過去を静かに語るクロの声は寒そうに震えていた。アイクの手が命綱と言わんばかりにずっと握りしめ、唇をまっすぐ引き絞る。
シロは安易に同情も憐れみもしなかった。ただ、自分の生い立ちを淡々と話し始める。語ることが、寄り添うことだとわかっていた。慰めではなく、理解を差し出すように淡々とした口調だった。
やがて、言葉が尽きたとき。クロの鼻からはすすり上げる音が漏れ、こらえきれなくなった涙が頬をつたって落ちていった。
それにつられるように、シロもぐっと眉間にしわを寄せ、鼻を引くつかせる。
気づけば二人は、互いに抱き寄せ合っていた。心の傷に互いに触れた両者は背をさすりあい、そっと温もりを分け合っていた。
一日たっても、アイクは目を覚まさず、ブレイブとミリュはいったん王都に戻っていった。事情を報告する必要があるためだ。
「アイクが奴隷を買うなんて……」
アイクが奴隷を買う理由がないと誰よりも知っているアイクの母は、お腹をぐぅ~と盛大に鳴らしていたシロとクロに、無事だった保存食を使って簡素ながら温かな食事を振る舞った。
食事の合間、シロは自ら鉄の首輪の理由を語り、自分がアイクの奴隷でないと、はっきりと説明した。
クロもまた、アイクに買われた存在ではなく、自分の意思でここにいるのだと穏やかに続いた。
二人の話を聞きながら、アイクの母は深くうなずき、どこか優しく笑った。そして、食事の代金として、アイクの最近の様子をできるかぎり聞かせてほしいと頼んだ。
シロが知るのはたった二ヶ月ほどの出来事。それでも、三年間以上離れていたアイクの母にとってはどれもが初めて聞く話ばかりだった。
朝から晩まで、話は尽きず、笑いと驚きが交互に湧き起こる。
まるで、失われていた時間を言葉で埋め戻すかのように、男のいないリビングはおだやかな笑顔に包まれていた。
☆☆☆☆
アイクが目を覚ましたのは、ドリミアとの死闘から二日後の朝だった。
視界にまず映ったのは、両脇で眠りこけているシロとクロの姿。どちらも椅子に腰掛けたまま、ベッドに身を預けるように突っ伏し、その手はアイクの手をしっかりと握ったままだった。
思わず、アイクの手が自然に二人の頭に向かう。指先が髪に触れると、さらさらと柔らかく、手のひらに馴染んだ。二人とも、きっと入念に体を洗ったのだろう。
戦いの後、ぶったおれたアイクよりもずっと清潔で、まるで穢れを知らぬ子どものような穏やかな寝顔だった。
その無防備な姿が見られ、アイクも肩の力が抜ける。
過ぎた戦火の記憶の向こうに、こうした静かな朝があることが、当たり前ではない。そのため、いつもより今日の朝は尊い。
「う、うぅん……」
「ふ、ふわぁ~あ」
シロとクロが日差しに当たっているような温もりを得ながら目を覚ますと、アイクが起きていると知る。
その瞬間、両者は目を見開き、目覚めたばかりのアイクに飛び跳ねるように抱き着く。朝っぱらから胸もとで泣きじゃくった。
だが、アイクが生きているとわかり、口角が自然に上がってしまう。




