四十話 精霊眼は必要ない
粘れば粘るほど他の命が繋がる。だが、アイクを支える命綱は細く、今にも切れそうだった。
「予想以上に粘るやん。ほんま、面倒臭いなぁ。さっさと殺して、世界を燃やし尽くさなあかんのに」
「俺も瞬殺できないやつが、世界を燃やせるとは思えないな……」
「へぇ、言うやん」
ドリミアは、まるで実力の差を見せつけてやるとでも言わんばかりに、指先でゆるりと円を描いた。
その軌跡に応じて、アイクの周囲にゆがみが生じる。次の瞬間、数万にも及ぶ小さな魔法陣が、ドーム状に展開され、アイクを取り囲んでいた。
その数、密度、威圧……。魔法陣一つ一つが独立し、殺意を持った真っ赤な瞳に四方八方から睨まれているようだった。すでに空間全体が敵意で満たされる。
アイクを完全に取り囲んだドリミアの顔は、わずかにほころぶ。
アイクは咄嗟に『精霊眼』で回避方法や威力、攻撃範囲など攻撃の全てを捉えようとした。だが、次の瞬間、今まで以上に強く光が弾け飛び、顔を顰める。
『精霊眼』の光が薄れ、左目がより一層赤黒く染まっていく。左目の焦点が合わず、かつての片目の生活がぶり返すように、右目だけの世界が戻ってきた。
――この不自由さがどこか懐かしい。
『精霊眼』が完全に機能しない。それは、勝てないと悟るに十分すぎた。
ドリミアの放った魔法陣は、いまだ沈黙を保っている。まるで、狩りを前に羽根を休める猛禽のよう。その静けさが、逆にアイクの身を委縮させる。
――俺が死んだら、シロはどうなってしまうんだ。
ふと、そんなことを思ったころ。
「ア、アイク様の『精霊眼』がぁ、焼けちゃったっ!」
左目を押さえ、片膝をつくアイクの頭上で、かすかな風が巻いた。そこに、流れ星のように突如としてティンティが現れる。
小さな精霊が空を舞いながら、慌ただしく降下し、アイクの左目にそっと手のひらをかざす。魔力の光がほんの一瞬、穏やかにきらめいた。
「……無駄に魔力を使うな」
「で、でも、『精霊眼』がなかったら、アイク様が死んじゃうよぉっ」
アイクはわかっていた。今、精霊眼を取り戻したところで、逃げ道など残されていない。『精霊眼』が焼け焦げかけた最後の視界の端に、この魔法陣の檻に真面な出口などないと、うっすら情報が映っていた。剣を食いこませれば、そこから連続して爆ぜ、何もかも無に返す罠のような魔法だ。
それでも、ティンティが瞬間移動を使って……来た。
――今は『精霊眼』など必要ない。この際、もう見えなくてもいい。『精霊眼』を失おうとも、強くなれるのなら、シロを褒めてこの手で頭が撫でられるのなら、どこまでも抗ってやる。
アイクは魔方陣の中で静かに立ち上がった。藍色の瞳に赤色の魔方陣の光が反射し、燃えているかのよう。彼を突き動かす火種はまだ消えていない。
ティンティの翅を指の間でそっと挟み、無駄な魔力を使わせないようにする。
「はぁ、みっともなく罠にかからへんかぁ。まあいいわ。興ざめや。ほな、さいならっ」
ドリミアが握り拳を作ると、小さな魔法陣が連鎖的に眩い光を灯し、火球を射出。数万個の火球が衝突し合い、恒星のような強烈な光を放つ。星が降って来たのかと疑うほど大地が抉れ、爆発した。跡形もない。
「ハハハハハハハハハハハハっ! ちり一つ残さず燃え尽きおったわ!」
ドリミアは首に太い血管を浮かべ、喉が裂けそうになるほど狂気の笑いを上げた。
赤い瞳は異様に見開かれ、理性の欠片もない。
アイクが消えた地面を足裏でにじり潰し、何度も踏みつける。その都度、下卑た笑い声を出した。勝者のように胸を張り、長い間見ていたであろう夢の実現の甘美な刺激に酔いしれている。
「そ、そんな……、あ、アイク様……」
一方、クロは崩れかかった祭壇で膝をつき、黒い瞳を限界まで開いた。アイクの名を震える唇で呼ぶたびに、止めどなく涙があふれ落ちる。
彼女の真面な声すら出ない光景すら、ドリミアにとっては愉悦の肴だった。
「故郷を焼かれ、希望も断たれ、意味もなくまだ泣くんかぁ? ほんまぁ、滑稽やなぁ~」
ドリミアはクロの泣き顔を指さし、せせら笑った。
その頃、シロはなおも黒いマクロープスと対峙し続けていた。ドリミアの下品な哄笑や、少女がアイクの名を呼ぶ声が届く距離にいながら、ただ目の前の敵にだけ意識を集中させていた。
その口元に、静かな微笑が浮かんでいる。
「バーカ……、私の愛するアイクが簡単に死ぬわけないでしょ……」
シロの震える声が微かに口からこぼれた。涙と嗚咽に濡れた喉から、ようやく絞り出された、か細い言葉。だが、その声に確かな強さが宿っていた。
シロの言葉が紡がれた瞬間、ドリミアの背後に音もなく小さな光が生れる。爆発による煙と熱気の中、一滴の光が膨張し、消えた。
ゆっくりと一つの影が姿を現す。
藍色の冒険者服で身を包み、熱風に揺れる前髪の奥で、鋭い右目の視線が熱を帯びていた。右手に握られたブラックレイリーは静かに鞘に収められている。
ドリミアの背後に勇者とは名ばかりの暗殺者のような雰囲気を纏ったアイクが音もなく立っていた。
「――斬界」
一言とともに、鞘口が悲鳴を上げた。斬撃が、世界そのものを断ち切るようにドリミアの背中を裂く。左脇腹から右肩へ、漆黒の一閃が鋭く深く走った。
次の狙いは首。だが、ドリミアの翼が咄嗟に蠢く触手へと変貌し、背後のアイクに迫りくる。
アイクは無理せず、一歩で大きく距離を取り、静かに息を整える。その動きに迷いは一切なかった。次の瞬間を見据える冷静な判断と、研ぎ澄まされた刃のような気迫が、そこにある。
「体が真っ二つになるとか、普通、経験できひんやん。でも、やられてみると、案外大……丈夫っ!」
余裕のある表情で振り返るドリミアだったが、胸に描かれている魔法陣がアイクの攻撃によって真っ二つに裂かれており、光がとどまる場所を失くしたように四方八方に溢れ出た。
光を包み込もうと内側から泡が弾けるように肉の塊が生れる。だが、光を上手く制御しきれず肉の塊が発酵しているパン生地のように膨らんでいった。さすがにドリミアの表情も険しくなる。
「こんのっ、黙って従えっや! ただの魔力の癖に……、わいに逆らうっちゅうんかっ!」
ドリミアの大きな隙を見逃すアイクではなかった。右目を見開き、身体能力を最大限発揮しながら光を押さえつけようとするドリミアの右手や左腕をブラックレイリーで容赦なく跳ね飛ばす。
その影響で、魔力をより一層抑制できなくなったドリミアの視線は元凶のアイクにではなく、クロに向けられた。
――このままドリミアを切り裂き続けていいのか。
かつて、似たような状況で思わぬ反撃を受けた。その記憶が脳裏をかすめたのだ。 その迷いに呼応するかのように、ドリミアが口角を歪めて嗤う。
「切っても無駄って、まだ学んでへんの?」
その瞬間、地面に転がったはずの両腕が、ねじれるように蠢き出す。断面から黒い魔力が噴き上がり、腕が異様な形に膨張しながら人型の輪郭を形作っていく。まもなく、それらはドリミアを模した肉のゴーレムとなって立ち上がっていた。
ゴーレムはドリミアの本体を守ろうとしているようでアイクに襲い掛かる。生憎、ゴーレムの方はドリミアのもともとの能力値を引き継いでおり、神樹と融合したドリミアほどの強さではなかった。ただ、もとのドリミアも達人の域、もとは魔人なだけあり一人を相手にするのも骨が折れる。
手癖か、アイクは気が付かぬ間にドリミアの本体がバラバラになるほど切り裂いていた。その分、ドリミアのゴーレムが生れる。ゴーレムたちは不吉な笑みが張り付いたまま、アイクに攻撃を向けた。
「く……、邪魔をするな」
ドリミアの本体に意識を向ける暇もないほどの数がアイクに迫り、ゴーレムの攻撃を捌かねばならなかった。シロはまだ、黒いマクロープスと戦い続けており、この状況を任せるわけにはいかない。
アイクがゴーレムと乱戦を繰り広げる中、暗く重い空に、まるで忘れられた太陽が顔を出すかのように、突然明るく光が差し込んだ。
その光は遠くからではなく、まるで目の前で放たれたと錯覚するほど鮮烈で、時間の流れが一瞬止まり、空気が、大地が、森が、世界がその者を待っていたと言わんばかりに轟く。
空から、神秘的なほどに赤い竜に乗った黒髪の青年が雷のように真っ逆さまに降下する。
すでに音速を超えており、一瞬が引き伸ばされ、彼の姿がぼやけるほどだった。
その際、左腰に収められた聖剣アダマスが一瞬にして鞘から引き抜かれる。剣身はまるでクリスタルのように無数の光を反射し、周囲を眩い輝きで包み込む。
黒髪の青年が竜から勢いよく飛び降りる。鋭く、力強く、まるで流星のように空を切り裂きながら、大地に着地。
一瞬でゴーレムを狙い定めた彼の動きは、まさしく閃光のようだった。宝石のような刃が振り下ろされると、まるで大地が震えるような音が轟き、うねる空気が一気に膨張し、強烈な風がアイクの体を飛ばさんばかりに吹き荒れた。
アイクはその力に圧倒され、砂煙から目をかばうように思わず腕で顔を覆う。




