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正義を振りかざす最強勇者  作者: コヨコヨ


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神樹

 アイクとシロがうっすらと目を開けると、夜の闇を焦がすような真紅の光が地上を埋め尽くしていた。

 漆黒の空を背に、家々が次々と赤黒い炎に包まれ、火の粉が夜風に煽られながら空を舞う。

 焼けた木の鋭いにおいが鼻を刺し、湿った土と血の気配が入り混じる。

 燃え落ちる梁、ぱちぱちと爆ぜる炎、そのすべての音をかき消すように獣の咆哮が響いた。

 重く苦しい低い声。それに続くのは、無数の喉が奏でる異様な鳴き声。

 黒いマクロープスの群れが、村中にあふれ、うごめいている。その体は夜の闇よりもなお深く、無数の瞳が紅く光を宿す。

 まるで悪魔が現実を喰い破って溢れ出してきたかのようだった。


 今まで、人型をとどめていた獣族は、形そのものが変わり、本物の獣のように変化していた。『状態:覚醒・暴走・獣化』と複数の状態が組み合わさっている。


「俺が奴らを引き付ける。シロは人間の声を聴き分けて村の者を大森林からできるだけ離れさせろ」

「わかった。アイク、気を付けてね」


 シロは人命救助にすぐに向かった。

 アイクが村に対する思いは気薄だが、一五年住んだ場所に思い入れがないわけではない。そこらが燃えている。帰る場所を焼かれたカラスのような表情で、辺りを見渡す。


 発情した猫のように鳴く三メートルを超える黒い虎たちが一〇体、二〇体と集まりだした。ブラックタイガーに似ているが、彼らは元獣族だった者。

 種族名がキメラになっており、魔物と混ぜ込まれてしまった可能性がある。


 黒いマクロープスたちまでもが、じわじわとアイクを囲み始める。にじり寄るその動きは、まるで通りの裏手で因縁をつけてくる裏社会の人間のような不気味な間があった。

 どれも肩を揺らしながら、喉の奥から汚らしい音を立て、次々に唾を吐き出すようなペッ、ペッ、ペッ! と鳴き声を上げる。

 嘲るような気配が肌を刺し、どこから手が伸びてくるのか、どの瞬間に牙を剥かれるのかわからない。軽薄で下品な威圧感が、乾燥していた空気をじっとりと湿らせていく。


「どうやら俺は間違っていたらしい……」


 自分のために強くなろうとしても、本当の強さは得られない。


「人は誰かのためにこそ、強くなれる」


 アイクは静かに左腰に手を伸ばし、ブラックレイリーの柄を握った。その動きに一切の迷いがなく、研ぎ澄まされた殺気が周囲の空気をわずかに震わせる。

 音もなく引き抜く。黒曜石のような剣身が、炎の揺らめきを受けて妖しく光り、真紅に染まった。その刃は、まるで炭火の奥に潜む灼熱を孕んでいるかのようだった。

 剣が、アイクの意思に応えるように寄り添う。

 剣身一体の姿に、ただ立っているだけで周囲の脅威が一歩引くような圧が放たれる。

 戦いの中で幾度も死地をくぐり抜けた者だけが纏える、静かで確かな強さ。それが、今のアイクに宿っている。

 最初は、母を助けるために強くなろうとした。

 そのうち、直感だけを頼りに王都へ出て、ただ強さを追い続けた。

 だが、いつの間にか、何のために強くなりたいのかわからなくなっていた。そのせいで、強くなれているか実感がわかなかったのだろう。


 ――ブレイブが強いのは、女を抱いていたからではなく、誰かのために戦っていたからだとシロの姿を見て気づかされた。何とも皮肉なものだ。強くなるためには、自分を鍛えるのではなく周りに目を向けなければならなかったのだ。


「今、強くなれるか考える必要はない。息をするように人を助けるだけだ」


 母が、『息をするように人を助けなさい』とよく言った。その意味を噛み締め、飲み込み、腹に据える。


 黒いマクロープスたちが、四方八方から一斉に襲いかかった。

 加えて巨大なキメラが、顎を軋ませながら大きく開き、喉奥に眩い魔力の光を灯す。

 次の瞬間、爆ぜるような轟音とともに、灼熱の火炎が吹き出される。

 パックスの攻撃に似た、荒々しくも制御された一撃。それが、逃走経路を焼き潰すように道をふさぎ、アイクの動きを封じた。

 黒いマクロープスたちは火の粉をものともせず迫り続ける。だがキメラは、そんな下僕どもの存在すら気に留めていない。

 その目にあるのは、アイクただ一人。他のすべてを無視し、この場で確実に仕留めにかかる獣の覇気を纏う。


 殺気、咆哮、火炎、あらゆる圧がアイクにのしかかる。この場を切り抜けられる保証は、どこにもなかった。


 アイクは大きく息を吐き出し、肺の奥底まですべての空気を絞り出す。次の瞬間、一息で大気を吸い込み、肺を満たすと同時に、目を見開いた。

 全神経を研ぎ澄まし、頭の頂から足先に至るまで、体中を駆け巡る血の巡りさえ感じ取っているのではないかと見えるほど、意識が鋭く集中していく。全ての黒いマクロープスたちの位置が『精霊眼』に一瞬で表示される。

 剣筋が、脳裏に明確な線となって浮かび上がる。『精霊眼』が導き出した最短、最効率、最速の殲滅の軌道が光りの筋となってマクロープス達に繋がった。

 アイクは、寸分の狂いもなく、光りをなぞるように剣を振るう。空間に一閃が入ると、静かに裂けた。

 次の瞬間に、炎は消し飛び、アイクの攻撃は終わっていた。


 黒いマクロープスが、表情ひとつ変えず迫ってくる。その目は、好物を目の前にした狂人そのもの。だが、その喉元に細く鋭い線がひとすじ走る。

 一拍遅れ、異変に気づいたのかマクロープスの視線が泳ぎ、目を見開く。一歩、二歩、たたらを踏むと、石鹸の上に立ったかのように、頭と胴が滑らかにわかれた。アイクに触れることすら叶わず、襲い掛かった全てのマクロープスが無様に崩れ落ちる。

 その瞬間、空気が一閃の太刀筋を思い出したようにうなり、遅れて突風が吹き荒れた。風圧が火炎と崩れる肉塊までも巻き上げ、四方八方に吹き飛ばす。


 アイクに握られたブラックレイリーの輝きは、衰えを知らない。


 キメラは一定の距離を保ちつつ、牙をむき出しにし威嚇する。その目に理性はなく、ただ本能のままに敵を焼き尽くそうとする殺気だけが揺れている。

 炎を吐く以上、このまま放置するわけにはいかない。それはアイクにもわかっていた。


 ――これ以上、大森林を焼かせるわけにはいかない。ここで倒すしかない。


 だが、ブラックレイリーの柄を握る手に無駄な力が入り、甲に血管が浮かぶ。

 このキメラも、十分に苦しんだ。自分の意思ではなく、何かに造られ、利用されるために生まれたのだとしたら、生き物に対してそれ以上の侮辱もない。


 アイクはブラックレイリーを体の正中線に合わせるように構えた。拘束している時間もない。今、殺すしかない。だが、彼はその場から簡単に動かなかった。

 そのわずかな迷いは、アイクを明らかに弱くしている。加えて、命の重みが体にのしかかり、体の筋肉が膨らむとサイズに余裕のある冒険者服の皴が伸びる。


「せめて、一瞬で終わらせよう。それが今できる、せめてもの弔いだ」


 ブラックレイリーが、音もなく振るわれる。キメラたちの首を正確無比な一閃が通過した。苦しむ声もあげる間もなく、その命を断つ。

 一体切るごとに、アイクは静かに囁いた。「必ず、お前たちをこうした元凶を断つ」と。


 やがて、キメラたちの動きは徐々に鈍くなった。まるで自ら首を差し出しているかのようだ。

 魔物と獣の心が混ざり合ったその魂は、もはや戦うことよりも、解放を望んでいるのかもしれない。それが、都合の良い解釈だとしても。彼らはもう、誰も傷つけたくなかったのだろう。

 多くの個体が静かに首を落とされ、穏やかな表情のまま地に伏した。その姿はまるで、ようやく悪夢から解放された者のようだった。


「ティンティ、神樹まで案内できるか」

「こっち、こっちだよぉ~!」


 流れ星のように光の粒子を振り撒きながらティンティは燃える森の中に入り込んでいく。今は火災を止めるより、神樹に移動している者を止める方が先決だ。木々は何十万本とあるが、神樹は一本しかない。


 ティンティの小さな背を追いながら、アイクは火に包まれた森の中を駆けた。

 しょんべんのような水属性魔法を使い、全身に水を浴びせながらの疾走。だが、それでも焼けつくような熱気が肌を刺す。濡れた衣服からはすぐに湯気が立ち上り、まるで体までもが焼かれているかのようだった。


 周囲で木々が爆ぜる音が連続して響き、焚き火のようなぱちぱちという音では済まされない、獣が呻くようなうねる炎の咆哮が風が吹くたび辺りを支配する。

 鼻をつくのは焦げた樹皮と焼けた肉の混ざり合った重い臭気。それは、アイクの瞳に反射的に涙が浮かぶほど濃厚で、葉巻のにおいの方が何倍もましだった。

 赤黒く染まった空気は熱風と灰に満ち、一歩ごとに喉が焼け、呼吸すら困難になる。熱で歪む木々のシルエットの奥で、炎が生き物のように蠢きながら広がっていく。だが、止まれない。止まるわけにはいかない。

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