三十話 撫でないで
シロはアイクの近くにいるだけで、また発情しそうになっていた。アイクの弱点や感情の変化を探しているのに、なぜか彼女のほうがほだされる。
アイクの体に身をこすり付けて、発情を我慢する。
昼頃、細路地の奥、古民家改装の料理屋からいい匂いが風に乗り、二人を誘った。その場で昼食にする。
料理はルークス王国の郷土料理で薬草リゾットや、ボワ肉ソーセージなどシロが食したことのない品を頼んだ。
シロが美味しそうに料理を食す姿を見るアイクの顔は無表情だが、どこか温かみがある。
食後、甘い果実酒を二人で少しだけ試飲。シロの頬がほころぶ。
「依頼を受けないと、こんなに穏やかなんだね」
「依頼を受けている者がいるから、安心して暮らせている」
昼食後、劇場に足を運び、演劇を鑑賞。
隣接している美術館も周り、歴史や文化に触れる。
王都にやって来てもうすぐ四年経つアイクだが、ウルフィリアギルドとマドロフ商会以外、行った覚えがなかった。
全てがシロと同じく初めての経験だった。
一人で観光していても感情の変化に気づきにくかっただろう。だが、感情が表に出やすいシロがいるため、彼女ほど感情的になれないが、演劇を見て笑う部分や泣く場面など客観的に理解できた。
シロが笑えば雰囲気が穏やかになり、泣けば憂鬱になる。感受性が一切ないと思われていたアイクはシロに共鳴していた。表情は変わらず、雰囲気が微かに変わる程度の小さなものだったが、何事も小さな一歩からだ。
夕方、軽い休憩がてら国立公園の中を散歩した。整えられた木々は真っすぐに空へ伸び、風が吹くたび枝葉がさらさらと囁き合う。花壇からは淡く甘い香りが漂い、湿った土の匂いと混ざって、どこか懐かしい空気を作り出していた。
建物に囲まれているよりも、こうして木々に包まれている方がシロの機嫌は明らかによかった。髪をなでる風に目を細め、小さく深呼吸するその横顔は、どこかほっとしたように見える。
アイクもまた、足を止めて木の幹に手を置き、国立公園の中に作られた人工的な泉の前に来る。
――大森林の泉のようだな……。ん?
ふとした拍子に故郷を思い出し、口数の少ないアイクが珍しく話し始める。
「精霊がいる泉が故郷にあった。夜になると月が泉の水面に浮かんでいて、落ち着ける場所だった」
「精霊がいる泉……。なんか、凄そう」
「大森林という場所だ。星が生れた時からあるといわれる魔力を循環させる大樹があり、それを守る精霊に近い存在、森の民が暮らしているらしい」
「精霊も森の民も知ってる。お婆ちゃんがいい子にしていれば森で迷っても助けてもらえるって教えてくれた」
静かな国立公園の中でアイクとシロは泉に視線を向け、無意識に肩を寄せ合っている。今までただ強くなるため、己の目的を達成するためだけに会話してきたが、あまりにも無駄話が弾む。
キアズの無駄話はバッサリ切ってしまうが、シロとの無駄話はいくらでも続けられた。
シロがそうであるように、アイクも彼女について『精霊眼』に映る情報以外知らない。彼女から家族の話が出ると、アイクがシロの村で会い、指さしで攫われた者たちが移動していった方向を教えてくれた男が彼女の父親だと知った。
あの時は一切気にせず、土に埋めてしまった。
――今思うと合わせてやるべきだったのかもしれない。
「シロを助けたられたのは、お前の父親のおかげだ」
「そうなんだ……。よく考えたら、復讐で頭がいっぱいになっていて真面に祈ってない」
「今度、花でも捧げに行くか」
「お酒もいっぱい買って持って行く。わたしも大人になったって報告しないと」
夜が近づくにつれて空は少しずつ暗くなっていく。
王都全体に闇が広がっていくようだった。正教会の教会近くまで二人で歩く。その荘厳な建物は白く、蝋燭の火の明りが内部から漏れ出ていた。
アイクは信仰心が皆無。シロも、祈りを捧げない。村を守ってくれなかった神に、今さら言葉をかけることもなかった。
教会から聞こえる賛美歌とパイプオルガンの澄んだ音色は暗い空に抜ける。空気の静けさは二人の心をそっと包み込む。
教会前の広場で立ち止まり、二人の指先が自然に重なる。言葉もないまま、手と手を繋ぐ。
アイクの手は大きく、シロの小さな手を用意に包み込んだ。建物の淡い光と空の深みが溶け合うなか、ひたすら立ち尽くす。
――宗教に興味はないが、これまでに散った魂が導かれ、真面な場所に行きついてほしいと切に願う。
人生初のデートを終えた二人は、静かに夜の帳が下りるなか、ウルフィリアギルドに戻ってきた。
重い扉を開け、食道に向かうと外の静けさとは打って変わって、笑い声と食器の音であふれる。人々の活気が波のように押し寄せた。
テーブルに置かれた黒パンとチーズの盛り合わせ、燻製魚とハーブポテトのオーブン焼き、肉の赤ワイン煮込みなど、料理の湯気が、ほんの少し特別な一日をやさしく締めくくる。
夕食を終え、部屋に戻ったころアイクは無言のまま懐から小さな包みを取り出した。
中から現れたのは、使い勝手のいい洗礼されたデザインの腕輪。滑らかな金属が部屋の淡い光を反射する。
「手首を守るために身に着けておいて損はない」
そう言って手渡されるや否や、シロの耳がぴくんと跳ね、尻尾は真上に跳ね上がった。
「い、いきなり、そういうことするなよ!」
頬は一瞬で真っ赤になり、視線を泳がせながらも、腕輪を胸元にぎゅっと抱きしめる。表情がコロコロ変わり、騒がしい。唇はかすかに震え、今にも笑い出してしまいそうなのを必死にこらえている。
腕輪をそっとはめてみると、ぴたりと手首に収まった。
白金のような光沢は、シロの白髪と、金にも見える琥珀色の瞳と調和し、神秘的な雰囲気の彼女と良く似合う。
シロは首まで真っ赤に染め、腕輪をじっと見つめていると嫌でも微笑みが零れ、腕輪に頬をすり寄せる。もう言葉はいらなかった。その草が何より雄弁に彼女の心境を物語る。
汗を綺麗に拭き終え、シロは下着姿になりベッドに座る。もう、抱かる気満々だ。アイクが普通の男ではないと重々承知。
だが、アイクはゴーレムのように感情が無いわけではなく、過去の記憶を持ち、母に向ける気づかいや優しさを持ち合わせている人間だと知った。
ものすっごく気薄で、感情が変化していないように見えているだけ。――眠気や食欲があるなら、性欲も持ち合わせているはずだと、シロは図書室で得た知識を総動員させる。
今のアイクは、女の裸を見ても興奮出来ない幼児程度の性欲しか持ち合わせていないのだろうと仮定する。
そんな男、普通いないが彼は普通ではない。性欲を知らない者に教えるのは難しく、生理現象は薬で起こすほか、方法がないと思われた。
シロは唇を結びながら、握り拳を作り膝に置く。
使った布を肩にかけ、下着一枚姿のアイクがシロの前に立つ。彼女が俯きながら体に力を入れている姿を見下ろした。
頭に手の平を置き、撫でさする。彼女の元気がない時は撫でていればいい。いつも通りの常とう手段だった。
「な、撫でないで……」
アイクの眉がピクリと動き、手が止まる。撫でるなと言われれば、撫でるわけにもいかない。何もせず、ベッドに横たわる。
シロもベッドに横たわり、何もせずにじっとしていた。赤みがかった体が小さく震え、湿り気のある内股を擦りながら、両手に力を入れる。
何かを求めるのが欲求なのだから、アイクの方から求めさせなければならない。
シロは、自分が求めてばかりではだめだと察し、自重する。
部屋に戻ってきたシロの様子がどこかおかしく、アイクはつい彼女の姿を探るように見つめた。いつもと違う。だが、その違和感の正体はうまく言葉にできない。
――何かしてしまったか。
だが思い当たる理由は見つからなかった。
無視してくるシロの肩までシーツをそっと掛ける。指先がかすかに触れた彼女の腕は、びくっと震えた。
ほとんど癖のように彼はシロの額に唇を寄せる。子供を安らかな眠りに誘うおまじないで、軽く柔らかなキス。
眠りたくない女にとってそれがどれほど甘い仕草だったのか、アイクが知る由もない。




