二十話 尻尾
シロは人が書いた本を読み、感情について勉強し、知識を身につけていた。
彼女が調べた中で「好き」は四種類あった。異性への好き、親族への好き、憧れへの好き、友人や仲間としての好きである。
しかし、アイクへの好きは、親族への好きではなく、友人に対するそれでもなかった。
残るのは、異性への好きか憧れへの好き、あるいはその両方である。
「アイクはわたしのこと、どう思っているの」
「……よく懐いた猫」
頭にハンマーで殴られたような衝撃を受けたのか、シロは目を白黒させた。歯を噛みしめ、身が縮こまる。
アイクの言いようは、ペットと変わらなかった。
琥珀色の瞳から涙が出そうになっている。
――憧れのような者から猫だと思われても、胸が苦しくならない。なら、この気持ちは異性としての好きなのだろうか。
いつも、すぐに眠るが今日は簡単に寝付かなかった。
シロは眠ってしまったアイクの手を自分の股に当て、一人で『状態:絶頂』に至る。
――アイクの性欲を沸き立たせ、自分を猫ではなく異性と意識させたい。
子供のような寝顔を晒しながら眠るアイクの顔をじっと見つめながら、眠りについた。
アイクとシロは依頼を受け、森の中にいた。討伐対象の魔物を発見し、シロが交戦中。
相対している魔物の大きさは四メートルから五メートルほど。陸の魔物の中で人々が最も恐れている魔物だった。
全身が黒い体毛に覆われており、毛の一本一本が魔力を散らす特殊な形状で魔法の攻撃は一切通用しない。物理攻撃しか効果がないものの、並の威力では傷一つ付けられない。
それは、ベアー系の魔物の中で最上位に位置するブラックベアーだった。
鋭い爪は鉄板を貫き、突進は大木をへし折り、坂道を六〇キロメートルの速度で駆けあがってくる。
上級冒険者でも戦うのをためらう魔物だ。
村で人を食った個体が森の中に戻ったらしく、腹が減ったらまた降りてくるため即討伐する必要があった。
アイクが戦えば一撃で終わるものの、シロにとっては恐怖の権化だ。
今回の個体はレベルが六〇あり、以前の黒いマクロープスよりも素早さは落ちるものの攻撃力と耐久力が高く、シロが長時間かけて戦えばギリギリ勝てるかもしれない、丁度いい相手だった。
ただ、戦う環境は森。ブラックベアーの狩場も同然。
シロも獣族のため、森の中は比較的動きやすい地形だが、常に暮らしている魔物の方が森の戦いに慣れていた。
シロはブラックベアーの攻撃を、一撃も受けられない。全ての攻撃を回避し、攻撃を当て続ける必要がある。
二カ月の間、アイクと共に訓練してきたシロは紙一重で切り裂き攻撃を回避し、ショートソードを振るいながら敵の体に小さい切り傷を作っている。
その程度、傷にも入らないと言わんばかりにブラックベアーが口に魔力を溜め、咆哮を放つ。
口から息を吐きだすような攻撃だが、威力が息にとどまらず、巨木がへし折れるほどの大穴を開ける。太い幹が二から三本以上貫通しており、生身の人間が受ければ良くて内臓破裂。最悪、即死。
ウォンバットの超音波を躱す経験が役立ち、シロは咆哮を躱しながら肉薄。ショートソードを空いた口に突っ込むが分厚過ぎる頭蓋骨や肉に阻まれ、致命傷にならない。引き抜く前に口が閉じ、シロは剣を失う。
ショートソードを失ったものの、ブラックベアーの咆哮を封じ込めた利点は大きい。敵が手でショートソードを抜こうとすれば大きな隙になる。そもそも、人間のように手が発達していないため、剣を持って引き抜く行為は難しい。
これ見よがしにシロは息を整え、自ら攻め込む。攻めの姿勢こそ、勝利をもぎ取る最善の手。
ブラックベアーはシロの攻撃に対応するべく口の中にある異物を無視した。遠距離攻撃ができずとも、近距離の攻撃力は魔物の中でも上位。
特殊な個体や秘境に住むような魔物ではなく、森の中に生息し、人生で遭遇する可能性が高い魔物の中で、最も脅威だ。
そのため、御者や商人はどれだけ急いでいたり近道だったりしても、森の中を一人で通ろうとしない。
「はぁあああっ!」
シロの鋭い鞭のような蹴りがブラックベアーの左側頭部に打ち込まれる。だが、強靭な体幹と一トンを優に超える体重を持つ化け物にとっては軽い一撃。
だが、攻撃はそこで終わらず、体を捻ったシロは回し蹴りを繰り出し、右側頭部に直撃させる。
踏ん張るために重心が傾いていたブラックベアーは蹴り飛ばされ、木の葉をまき散らしながら転がる。傷は多少なりとも負っているが、見た目以上に効いていない。
「はぁ、はぁ……、かってぇなあ、もおっ」
「集中力を切らすな。死ぬぞ」
「わ、わかってる」
シロは長い綱渡りをこなすような緊張感を持ち続け、朝から夕方過ぎまでブラックベアーと対峙し続けた。彼女にとって最も長い戦闘だった。だが、得られたものも大きかった。
「や、やったぁああ~っ」
シロはとうとう力尽きたブラックベアーの巨体を持ち上げる。服は破れ、白い体は泥まみれだが、致命傷は負わず、戦い抜いた。アイクのもとに駆け寄ると力尽き、全身から力が抜ける。
アイクはシロを受け止め、いつもより強めに頭を撫でる。
彼女のレベルは50に到達し、上級冒険者も逃げ帰るような魔物を倒した経験は大きな財産になるだろう。
ブラックベアーが襲った村を他の魔物は襲わない。
魔物がブラックベアーの餌場とわかるようで、怖がって誰も近づかないのだ。
疫病神にもなれば、守護神にもなる。
森の中にいる魔物が増えすぎるのを抑え込んでくれるため、ブラックベアーが増えすぎても困るが、いなくなっても困る。
アイクはシロを背負いながら王都まで帰った。彼女は疲弊しすぎてすっかり夢の中。
冒険者になって二カ月程度の獣族が一人でブラックベアーを倒すなど、まずあり得ない。
シロの才能は本物だと確信できる。
――世のためシロのため、俺のもとから解放するべきなのではないか? ペットのように身の近くに置いておくには惜しい人材だ。
王都に到着したころ、シロは目を覚ました。
クスクスと微笑む周りの視線が向けられ、表情が赤らんでいく。すぐにアイクの背中から降りた。
全身の筋肉が悲鳴を上げており、千鳥足だった。アイクの体にしがみ付き、転倒を堪える。
ウルフィリアギルドで依頼の完了を報告し、夕食を得る。
今日は頑張ったご褒美に、シロが好きな牛肉のステーキを好きなだけ食べさせた。その後、アイクは闇市に行き、シロは図書室で時間を潰す。
「……獲物がかかったか」
闇市に来たアイクは普段と状況が違うと察した。
周りの者たちがひっきりなしに辺りを見渡し、大柄の者を執拗に警戒している。加えて、普段から闇市に通うように見えない者も多かった。
服装は闇ギルドの者によせているが、もとから持っている品の良さや、姿勢がまるで違う。
アイクは『精霊眼』に力を入れると『騎士』や『護衛』の表示が浮かび上がる。『暗殺者』や『傭兵』の表示も。
――まあ、ここらならよくいるか。だが、今日はやけに数が多い。明らかに何か起きているな。
辺りにいる者に意識を向けながらも、いつも通り、闇ギルドに入り込み、パックスの話と珍しい獣族の依頼について聞きこむ。
すると、アイクを見張っていた者たちが何の挨拶もなしに攻撃を始めた。切り掛かる者、魔法を放つ者、殴り掛かる者……。多くの者が、闇ギルドに来る謎の人物を狙っている。
――強い相手がいれば手合わせしたいな。
『精霊眼』で見たところ、アイクと張り合える者は誰一人いなかった。金や権力で集めた有象無象。その程度、いくら集まっても意味はない。
勇者の力は魔王と拮抗している。つまり、世界を滅ぼせる魔王を倒す勇者もまた、やろうと思えば世界を滅ぼせる。
勇者と魔王は表裏一体。見方が変われば簡単に反転する。
アイクは何者かに雇われたのだろうと察し、無暗に殺しはしない。金で雇われただけならば、口が軽い者も大勢いる。
有象無象を蹴散らし、入った闇ギルドを崩壊させた。『精霊眼』に『職業:騎士』と表示されている男を捕まえた。
「誰がこんな命令したか、答えろ。答えなければ、首が飛ぶだろう」
「パ、パックス様だ……」
その一言だけで十分だった。
パックスに何かしらやましいことがあるから、探っている者を消そうとした。他の者にも話を聞くとパックスと直接会っていないが、部下から金を渡されたと言質を取る。
騎士や兵士、護衛は家族を人質に取られ、その他の者も何かしら弱みを握られ、仕事を強制させられていた。
情報をペラペラ話す騎士の様子からすると、忠誠心もない。そのため、嘘をついている様子はなかった。




