後悔の影
二人は夢の記憶を照らし合わせた後、静かになった。
窓から差し込む夕暮れの光が、部屋を橙色に染め始めている。共有した南国の記憶が、現実に戻った今でも鮮明に残っていた。
直人は少し遠くを見るような目をしている。詩織はそんな直人の様子に、何か引っかかるものを感じた。
「どうしたの?」
「え?」
直人は我に返ったように、詩織を見つめる。「いえ、なんでもないです」
詩織はゆっくりと身を起こし、部屋の電気をつけた。夕暮れの部屋に、やわらかな明かりが灯る。
「術が成功して嬉しくないの?」
詩織はベッドに腰掛け、直人の表情を窺う。「すごいことだよ?他の人の夢に入れるなんて」
「はい…」
直人は曖昧に答えるが、どこか心ここにあらずといった様子だ。
(もしかして…)
詩織は直人の顔を見つめ、ふいに質問を投げかけた。
「術のこと、ユイちゃんに話そうとしてる?」
その言葉に直人の表情が一瞬強張る。詩織の指摘は、図らずも彼の胸の内を言い当てていた。
「どうして…」
「私、心理学勉強してるから」
詩織は少し微笑む。「それに、さっきからユイちゃんのことを考えてるみたいに見えたから」
直人は俯いて言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。
「僕だけが…事実を知っているっていうのが、なんだか後ろめたくて」
詩織は静かに頷く。窓の外では日が落ち始めていた。南国で見た夕暮れを思い出す。あの時の柔らかな光と波の音。そして唇の感触。
「でもユイちゃんに術のこと話して、また夢を共有してもいいかって聞くつもり?」
詩織の声にかすかな緊張が混じる。
「いえ、それは…」
直人は首を振る。「ただ、真実を知ってほしいだけで」
「そっか…」
詩織は小さく呟いた。心のどこかで術という特別な体験を共有できるのは自分だけだという特別感があった。それは直人との間だけの秘密。共有した夏の思い出。
でも、それを独り占めにしていいのだろうか。
「私は…話さない方がいいと思うな」
詩織はゆっくりと言った。「だって、考えてみて?自分の見た夢を誰かと共有してたって知ったら、私なら恥ずかしくて死んじゃうかも」
「でも…」
「特に、そんな夢なら…」
詩織は頬が熱くなるのを感じながら言葉を続ける。「ユイちゃんだって、自分が積極的に告白してる夢を共有してたなんて知ったら、顔向けできないんじゃない?」
直人の表情が曇る。確かに詩織の言葉には一理ある。結衣にとってあの夢の内容は恥ずかしいものかもしれない。
「それに…」
詩織は少し声を落とす。「術のことを知ってるのは、今は私だけでしょ?それって…なんだか特別な気がするよね」
言いながら、詩織は自分の言葉に驚いた。なぜそんなことを言ったのだろう。夢の余韻が残る中で、直人との繋がりを大切にしたいという感情が、素直な言葉になって出てきたのかもしれない。
「特別…ですか?」
「あ、ごめん。変なこと言っちゃった」
詩織は慌てて手を振る。「忘れて」
その瞬間、夢の中にはない感覚が胸をよぎった。ふと窓の外を見るとすっかり暗くなっていた。その暗さに、詩織は何かを思い出す。
「でも…」
詩織は急に真剣な表情になる。「やっぱり話すべきだと思う」
「え?」
「だって、こんな大事なことを隠されてたら、私なら悲しい」
詩織の声には、どこか遠い記憶を思い出すような響きがあった。「秘密にしておきたい気持ちもあるけど、それは…違うと思う」
「詩織さん…」
「本当のことを知らないまま過ごす時間が長くなるほど、後で知ったときの傷は深くなる」
詩織はそっと呟いた。「だから…勇気を出して、話した方がいいよ」
その言葉には、どこか自分自身の体験が滲み出ていた。詩織自身、何かを誰かに言わないまま過ごしてきた時間があるのかもしれない。
直人はじっと詩織を見つめた。
「分かりました。結衣には、真実を話します」
「うん」
詩織は微笑む。胸の奥には複雑な感情が渦巻いているが、それでも今はこれが正しい選択だと思える。
「詩織さんは優しいですね」
直人が呟いた。
「全然。私なんて…」
詩織は言葉を切る。その目には、遠い記憶の影が浮かんでいるようだった。
「あ、もうこんな時間!」
詩織は急に明るい声を出す。「お腹空いてない?夕飯作ろっか」
「え?いいんですか?」
「だって約束したでしょ?術が使えなかったら、私の得意料理を作るって」
詩織は笑顔で立ち上がる。「術は使えたけど、お礼にごちそうするよ」
「ありがとうございます」
直人も笑顔になる。先ほどまでの重い空気が、少しずつ和らいでいった。
詩織はエプロンを身につけキッチンに立っていた。何かを思いついたように振り向く彼女の横顔に、直人は南国の夕陽を思い出した。
キッチンから明かりがともる。包丁の音と二人の会話が柔らかく部屋に広がっていく。南国の夢の余韻と、これから訪れる未来への期待が静かに交錯する夜だった。




