夢の余韻
キスの感触とともに、直人の意識は現実に戻っていた。
日曜の午前。詩織の部屋で、隣では詩織が静かな寝息を立てている。夢とはいえ、さっきまでの出来事が鮮明に蘇ってくる。柔らかな唇の感触。夕陽に染まった波打ち際。
(夢を見た…そして時間が巻き戻った)
結衣との時と同じように、キスの瞬間に意識が戻り、まるで時間が巻き戻ったかのように術をかけた時点に戻っていた。
しかし、それだけでは術の成功は分からない。詩織が同じ夢を見ていたのか、確かめる術もない。
直人はそっと詩織の寝顔を見つめた。普段の凛とした表情とは違い、穏やかな寝顔は何か愛らしい。
相談に乗ってくれたこと。突飛な話を疑わずに信じてくれたこと。心の中で温かな感謝の気持ちが広がる。
(でも、この夢は自分だけのものかもしれない)
直人の意識も徐々にぼんやりしてきた。詩織の寝顔を見つめているうちに、いつの間にか瞼が重くなっていく。
***
「んん…」
誰かの寝返りの音で目を覚ました直人は、時計を見た。午後5時を回っている。隣では、詩織がゆっくりと目を開けようとしていた。
「詩織さん、おはよう」
その声に、詩織の顔がみるみる赤くなっていく。たった今まで見ていた夢。夕陽に染まった波打ち際での出来事が、まだ鮮明に残っている。唇の感触さえ、まだ温かい。
「ち、違うの!」
詩織が慌てて言う。「夢だから!夢の中のキスだからノーカウント!」
言い終わった瞬間、詩織は自分の言葉に混乱する。
(え?私、今なんて...)
「ちょっと待って」
詩織は頭を整理しようとするように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。「直人くんの催眠術の実験台になる夢を見ちゃって。南の島に行って、それで...あれ?」
詩織は部屋を見回し、そして目の前の直人を見つめる。
「待って...直人くんがここにいるってことは...実験は夢じゃなかったの?じゃあ、どこからが...」
直人は息を呑む。詩織の混乱した言葉の端々から、確かな事実が浮かび上がる。南の島。夕暮れの波打ち際。そして、キス。すべて自分が見た夢と一致している。 (やっぱり、術は成功したんだ...) 今度は確信を持ってそう思える。結衣との時も同じだった。でも今回は違う。詩織の言葉によって、夢の共有が証明されたのだ。
「やっぱり覚えてるんですね」
「え...?」
詩織は混乱したまま直人を見つめる。
「術をかけた僕は、夢の中で目が覚めると、現実では時間が戻るみたいです」
直人はゆっくりと説明を始める。「だから今の僕は、夢の出来事を全て覚えています。南の島での一日。夕暮れの波打ち際。そして...」
「そして?」
詩織が息を呑む。
「でも詩織さんにとっては、今その瞬間から目覚めたところなんですよね」
詩織は頭を抱える。
「ちょっと待って...じゃあ私が見た夢は、本当に直人くんと共有していたの?どうりで、あんなに鮮明だったわけね...ということは…」
詩織は言いにくそうに言葉を続けた。「私の水着姿も見たってこと?」
「あ...はい…」
直人も顔が赤くなる。
詩織が枕を抱えて顔を隠す。「私なんかにあんな大胆なの似合わないって分かってるのに...」
そう言いながら、詩織は枕の下に隠していた雑誌を取り出した。気になって買ってしまった夏号。そこに載っていた水着が、夢の中で着ていたものと同じだったのだ。
「あの...」
直人は言葉を選びながら、「すごく...似合ってましたよ」
「ほんと?」
枕の隙間から詩織の目が覗く。「嘘でしょ。私、地味な方が...」
「いえ、本当に」
直人は真剣な顔で言う。「夕陽に照らされて、すごく...」
言葉が出てこなくなり、今度は直人が顔を背ける番だった。
二人の間に、少し照れくさい沈黙が流れる。耐えかねた直人は「そうだ、答え合わせしましょう!」と切り出した。
二人は夢の中での出来事を話し始めた。透き通る青い海。白い砂浜。椰子の葉のそよぐ音。二人の記憶は完全に一致している。
「私たちの想像力すごいよね!」
詩織が嬉しそうに言う。「冷蔵庫まで出てきたのよ?しかも中身までちゃんと冷えてて!」
直人も笑顔で頷く。先ほどの照れくさい空気は、夢の楽しい思い出話に変わっていった。
しかし、その笑顔の裏で、心が重くなっていくのを感じていた。
(結衣も、同じように夢を共有していたんだ…)
罪悪感が胸を締め付ける。結衣の夢に勝手に入り込んで、しかもキスまでして。そして今度は詩織と…。
「直人くん?」
詩織の声が、遠くから聞こえてくるように感じた。
白い砂浜。青い海。夕陽に染まった波打ち際。そして、柔らかな唇の感触。
それらの思い出が、今は少し痛みを伴って心に刻まれていく。




