目覚めのとき
夕陽が水平線に沈もうとしていた。波打ち際に腰を下ろした二人の長い影が、オレンジ色に染まった砂浜に伸びている。
「いっぱい楽しんだし、そろそろ帰ろうか」
詩織が穏やかな声で言った。
「夢なんだから帰るじゃなくて起きるですよね」
直人が苦笑する。
「そうだね」
詩織は少し考え込むように言った。「で、どうやって起きるの?」
その問いに、直人は言葉を詰まらせた。結衣との実験を思い出す。あの夕暮れの実験室で、予期せぬ展開になってしまったこと。その記憶が、今も罪悪感となって心に残っている。
でも、詩織に正直に話さなければ。結衣との時のように、また後悔することになる。
「あの…実は…」
直人は俯きながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。「結衣との夢の時は…その…キス、で目が覚めて…」
一瞬、詩織の表情が曇った。胸に鋭い痛みが走る。
(え...?この感情は...?)
結衣とのキス。その言葉が、予想以上に自分の心を掻き乱すことに戸惑う。まるで大切なものを奪われたような。そんな感情が、どこからともなく湧き上がってくる。
でも、それを悟られないよう、すぐに明るい声を作る。
「そっか。でも、それが本当のトリガーだったのかな?」
「え?」
直人が顔を上げる。
「せっかくだから、夢から覚めるトリガーを探してみない?」
詩織は真剣な表情で言った。「キスがトリガーだと思ってるけど、実は違うかもしれないでしょ?」
「どういうことですか?」
「例えば、肉体的な接触が引き金かもしれないし」
詩織は砂浜に指で円を描きながら説明する。「あるいは、心理的な状態が関係してるのかも。ユイちゃんとのキスで驚いたでしょ?その驚きがトリガーだったりして」
「なるほど…」
直人は感心したように頷く。
「じゃあ、まず驚きのパターンを試してみましょ」
詩織が提案する。「直人くん、驚いてみて?」
「え?あ、はい…えーと…」
直人は大げさに目を見開き、「うわっ!」と声を上げる。
その演技があまりにもぎこちなくて、詩織は思わず吹き出してしまった。
「もう、それじゃ全然だめよ!」
「すみません…」
直人も照れくさそうに笑う。
「じゃあ次は...」
詩織は言いかけて、少し躊躇う。
「その...肉体的な接触も、試してみる?」
自分で言っておきながら、頬が熱くなるのを感じる。普段なら何でもないはずの後輩との接触が、妙に意識されて。
(何緊張してるんだろう、私)
そう自分に言い聞かせるように、詩織はゆっくりと手を伸ばした。直人の手に触れる。温かい。でも、何も起こらない。
「やっぱり…」
詩織は小さく呟く。二人は色々な方法を試してみた。目を見つめ合ったり、呼吸を合わせたり、同時にジャンプしたり。心理学を学ぶ詩織らしく、瞑想や感情の共有まで提案してみた。でも、どれも効果はない。
残された選択肢は一つだけ。
「直人くん...」
詩織は波打ち際の砂浜に腰を下ろしたまま、小さく呟いた。「これって、夢の中だよね?」
「はい」
「なら...」詩織は自分に言い聞かせるように続けた。「これは実験データの一部。純粋な検証よね」
夢の中の自分は、普段の自分とは違う。それに、南国の解放感もある。何より、これは科学的な実験なのだから。次々と湧き上がる言い訳に、詩織は僅かな安堵を覚えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「直人くんなら、いいよ」
その言葉に、直人の心臓が大きく跳ねる。夕陽に照らされた詩織の横顔が、今まで見たことないほど綺麗で。
二人はゆっくりと顔を近づけていく。波の音が遠ざかっていく。
唇が触れ合った瞬間——。
柔らかな光が二人を包み込んだ。




