秘密の約束
「でも、詩織さんに、俺のことを好きになれなんて…そんな失礼なこと、できません」
(真面目だなぁ)
詩織は心の中でそっと笑う。
「ねぇ」
詩織は真剣な顔で言った。「もしかして、相手が望んでないことは実現しないのかもしれないよ?」
「どういうことですか?」
「だって、猫になれって言っても猫にならなかったし、ダンスを踊れって言っても踊らなかったんだよね?」
詩織は考えを整理するように続ける。「本人が望まないこと、抵抗があることは、術が効かないのかもしれない」
「なるほど…ということは…」
直人は腕を組んで考え込んでいる。
(可愛いなぁ。難しい顔しちゃって。)
詩織は心の中でそっと呟く。
「じゃあ、違う内容の夢にしましょ」
詩織は明るく提案した。「私は…そうだな、南の島でバカンス、とか」
「バカンス?」
「うん。どうせなら楽しい夢がいいでしょ?」
詩織は微笑む。「あ、でも現実で寝てる状態になるんだよね」
「はい。だから人前では…」
詩織は店内を見渡す。午後の閑散とした時間帯で、近くに他の客はいない。それでも、いつ誰が来るか分からない。
「そうよね…じゃあ」
詩織は頬を染めながら言葉を選ぶ。「その…私の部屋とか…」
「え!?」
直人の声が上ずる。
普段なら絶対に言えない提案だけど、この不思議な術の謎を解くには、そうするしかない。
「つ、付き添いとかあった方がいいですか?」
直人が慌てて提案する。
「それじゃあ意味ないじゃない」
詩織は真剣な眼差しで直人を見つめる。「実験なんだから、変に考えないで。それに…」
一瞬躊躇いがちに言葉を切る。
「直人くんなら、信頼できるから」
その言葉に、直人の心臓が大きく跳ねた。女性としての緊張と、先輩からの信頼。相反する感情が胸の中で渦を巻く。
「私も術のこと、気になるし」
詩織は窓の外を見つめながら言う。「それに、この話できるの直人くんだけだし」
「分かりました」
直人は意を決したように答える。「必ず、きちんとした実験にします」
「じゃあ、日曜の午前中とか…」
詩織は携帯を取り出しながら言う。シフト表を確認すると、その日は珍しく休み。
「大丈夫です」
直人も自分のスケジュールを確認する。
「住所、送っておくね」
詩織は入力しながら、自分の頬が熱くなっているのを感じる。目の前のカップに注がれた紅茶が、僅かに湯気を立てている。
「あ、そうだ」
詩織が急に思い出したように言う。「もし術が効かなかったら…代わりに私の得意料理でも作ってあげる」
「え?」
「バイト先で覚えたレシピもあるの」
詩織が少し照れくさそうに言う。「特別に作ってあげる」
「楽しみです」
直人は微笑む。どちらにしても、詩織と過ごす時間は特別なものになりそうだ。
店の入り口で、ドアベルの音が鳴る。
「そろそろ帰らないと」
詩織は時計を確認する。「それじゃ、日曜日」
「はい」
詩織が席を立つ後ろ姿を見送りながら、直人は祖父の手記のことを考えていた。果たして術は本当に使えるのか。そして使えたとして、どんな夢を見ることになるのか。
期待と不安が入り混じる気持ちを抱えながら、直人も席を立った。
店を出た後、詩織は空を見上げながら小さく呟いた。
「ユイちゃんか...まさかね」
夕暮れの空には、うっすらと月が姿を見せ始めていた。




