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◇◇
彼女が館にやってきたタイミングとしてはまさに『最悪』としか言えなかったわ。
「シャルロット様は悪魔に体を乗っ取られる呪いにかけられている! もし悪魔に姿を変えれば、近くにいる者たちを容赦なく襲い、殺すことになる! よって早々に成敗せよと、国王様および王妃様からのご命令よ!!」
新人侍女の任命式の真っ最中に乗り込んできたリゼット。
ローズお母さまに呼ばれたクロードはまだ戻っていない。しかも侍女が勢揃いする中で、私の正体を声高に叫ばれたのだ。
たまったものじゃないわね……。
「そんな……。シャルロット様が悪魔だなんて……」
「信じられないわ……」
侍女たちは明らかに動揺している。中には怖がって泣いてる子もいるじゃない。
ったくリゼットめ。ちょっとは遠慮しなさいっての。
けど衛兵の鎧に身を包んだリゼットは苦々しい表情の私のことなど気にも留めず、細身の剣を高々と掲げて、再び大声を上げた。
「これからシャルロット様を処刑する! 血を見たくない者は館から立ち去りなさい! 王妃様のご厚意で全員が宮殿で雇ってもらえることになっているから!」
ローズお母さまの厚意?
悪意以外の何物でもないわよ!
でもここで反論したって状況はかえって悪化するだけなのは分かってる。
私は口を固く結んだまま玉座に座って状況を見守っていた。
「さあ、早く行きなさい! 邪魔立てする者は国家反逆罪として投獄するわよ!」
リゼットの表情からして本気で言ってるわね。
張り詰めた空気の中、真っ先に動いたのはドギーだった。
「うむ。ここは大人しく従った方がよさそうじゃな。皆の者、わしが宮殿まで案内しよう。ついてまいれ」
やけに落ち着いてるわね。まるで初めからこうなるのが分かってたみたい。
……ん? そう言えばリゼットが地下牢から忽然といなくなった晩、ドギーを食堂で見かけなかった気がする。
そうか! リゼットと裏でつながっていたのはドギーだったってわけね!
まあ、今さらそんなのどうでもいいけど。
彼がそそくさと部屋から出ていく。
戸惑う侍女たちは互いの顔を見合わせながら、部屋の隅で小さくなったままだ。
それでも誰一人として出て行こうとしない。
「みんな、どうしたの? 私の言うことが聞けないというの?」
リゼットは口調こそ穏やかだけど、目は笑ってない。むしろ怒ってる。
手にかいた汗がしたたり落ちるくらいの緊張感が漂う中、震える声をあげたのは、新しい侍女のリーダーのメアリーだった。
「り、リゼットさん。あ、あなたは私たちのご主人様ではないわ!」
「だから何だって言うの?」
突き刺すような鋭い口調だ。
ごくりと唾を飲みこんだメアリーの膝が小刻みに震えている。
怖いんだわ。でも彼女はぐいっと胸を張り、堂々とした口調で答えた。
「私たちのご主人様はシャルロット様なの。だからあなたの命令には従えません! それに今は大事な任命式の真っ最中なのです。どうかお引き取りを!!」
他の侍女たちも一斉にメアリーに同調して胸を張る。
うそ……。信じられない……。
つい数ヶ月前までこぞって辞めようとしていたのに……。
「シャルロット様!」
「大丈夫です! 私たちがついてますから!」
みんなが私を励ましてくれている。
鼻の奥にツンと痛みが走る。
すごく嬉しい。
だからといって、状況が好転したわけではない。
「分かったわ。だったらあなたたちの目の前でシャルロット様を処刑してあげる。主人がいなくなれば言うことを聞いてくれるでしょ?」
私の方に足の向きを変えたリゼットが、赤い絨毯の上を歩きだす。
部屋のドアは一つ。だから逃げ道はない。
私とリゼットの間には、新人の侍女が一人だけ。
黒髪で華奢な体つきの少女だ。怖すぎて身じろぎ一つできないのだろう。ひざまずいたまま止まっている。
私は彼女の肩に手をかけて、そっとささやいた。
「あなた逃げるなら今のうちよ」
少女が顔を上げる。不思議なことにまったくの無表情で怖がっている様子はない。
どういうことだろう?
「それは命令か……です?」
「え? いや命令ではないけど……。あの人は『無双』と呼ばれている剣士なの。こんなところにいたら巻き添えを食うかもしれないわよ」
「ご主人様はどうするの……ですか?」
「私? それは……」
正直言って何も考えていなかった。
だって考えても無駄だもの。
クロードがいない。逃げ道もない。
誰がどうみても生き延びるのは不可能だ。
悔しいけど私の負け。ローズお母さまの勝ちよ。
でも目の前の少女からは、不思議なことに絶望がまったく感じられない。
そして彼女は飄々とした感じでとんでもないことを言い出したのだった。
「ご主人様の命令なら、私があいつを倒す……ます」
か細い声が部屋の空気を震わせる。
「へっ?」
驚きのあまり動きが固まってしまったのは私だけじゃないみたい。
リゼットもピタリを足を止めて目を大きく見開いている。
そんな私たちの驚愕など関係なしに、小柄な少女は続けた。
「その代わり報酬がほしい……です」
「報酬?」
「王宮のどこかにいるクロードに会わせて! ……ください」
意外なところからクロードという言葉が出てきて、とたんに頭が真っ白になった。
どうしてこの子がクロードのことを知ってるの?
でもそんな疑問よりも彼の顔が脳裏に浮かび、自然と涙があふれだす。
会いたい……。
クロードに会いたいよ……。
「いいわ……。会わせてあげる。私も……私も会いたいから」
たどたどしく答えるのが精一杯だ。
一方の少女はニコリと笑った。まるで月見草みたいな可憐な笑顔。熱くなり過ぎた心の内側に爽やかな風が吹き抜ける。
でもリゼットは違ったみたい。
恐ろしく低い声で少女に問いかけた。
「あなた、何者?」
少女が私に背を向けてリゼットと向き合う。
「ババアには関係ない」
リゼットのことをババアだなんて……。
敬語はたどたどしいし、口のきき方もよくないところは誰かさんにそっくりだ。
「いい度胸してるじゃない。いいわ。そこをどく気がないなら、文字通り『叩き』出してあげる」
リゼットは剣をしまい、拳を固く握りしめた。
本当に少女を叩きのめすつもりなのだろう。
彼女とリゼットでは体格差もあるし、まともに対峙できるとは思えない。
でも少女は怖じ気づかなかった。
「私がババアを食い止めて隙を作る。その間にご主人様は逃げて……ください」
「もう許さないっ!!」
怒り心頭といった感じのリゼットが一気に間合いをつめてくる。
その勢いのまま少女の頭に右拳を振り下ろした。
「はっ!」
少女は蝶のようにひらりと宙を舞い、リゼットの拳をかわす。
「甘い!!」
リゼットは態勢を崩さず、今度は左の拳を少女に向かって突き上げた。
だが少女は慌てない。
右のてのひらを天井にかざした瞬間に、体がシャンデリアに向かって高く舞い上がる。
もしかしてインビジブル・ワイヤーをシャンデリアにからませたの!?
まるでクロードみたい……。
けど驚くのはまだ早かった。
「さあ、あなたたちの番」
なんと少女の服の袖から大量の小さなクモが出てきたのだ。
本で読んだから知ってる。
あれは『ミクロタランチュラ』。たしか小さいくせに彼らのお尻から出る糸は粘り気はすっごく強くて一度絡まると身動きがとりづらくなる。
――シュルルルル!!
「なっ!?」
まさかクモの糸が頭に降ってくるなんて想像できないわよね。
リゼットの全身に白い糸がからみつく。
「ご主人様! 今よ。逃げて!」
「え? う、うん!」
私は一目散に駆け出し、手足をばたつかせているリゼットの横をあっさり通り抜けた。
「くっ! ちょっと! 何よ? これ!」
もがけばもがくほど糸がからまるのをリゼットは知らないらしいわね。
リゼットがもたついているうちに、侍女たちも私と一緒にドアの方へ駆ける。
私は全員が外に出るのを確認してから最後に部屋を出ていこうとした。
でもその前にやることがあったわよね。
――侍女たちを名前で呼んで欲しい。
私は少女を見上げた。
「あなた、名前は?」
「えっ……?」
名前を聞かれたのが意外だったみたい。
つぶらな瞳をぱちくりさせている。
ところが少女が戸惑っているうちに、リゼットが全身から青い炎を出して糸とクモを焼いてしまった。
「ご主人様、逃げて!」
「行かせない!!」
リゼットが私に向かって火球を放つ。
火の魔法ね。普通の人間相手なら、当たった瞬間に丸焦げだ。
でもリゼットもよく知ってるはずよね。
私が普通の人間じゃないってことくらい――。
――バシィィッ!
私はあっさりと片手で吹っ飛ばした。
「ちっ……。そう言えば魔法が効かないのをすっかり忘れてた」
悔しがるリゼット。もう魔法は使ってこないだろう。
だから二度目はない。今すぐ逃げなくちゃ。
でも私には命の恩人の名前を聞く義務がある。
それが少女に対する最低限の礼儀というものだ。
「いいから名前を教えなさい!」
「アンナ! アンナ・ゾーン!!」
私は彼女に微笑みかけた。
「アンナね。ありがとう」
いったいアンナは何者なんだろうか。
クロードとはどんな関係があるんだろう。
色々と疑問はつきないが、今は全部後回しだ。
私は侍女たちとともに館の外へ急いだのだった。




