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◇◇


 アッサム王国の王都から馬で10日ほど北に行ったところにグリフィン帝国の帝都がある。

 軍事大国であることをあらわしているように、町ごと要塞化されており、通りのいたるところに兵の詰め所がある。帝都だけで10万の兵力が常駐しているという。

 その帝都の中央にそびえたつ石造りの雄大な城に、皇帝ハイドリヒと皇子のフェリックスが暮らしている。

 皇帝は昨年から自室にこもったまま姿を見せず、政務はもっぱらフェリックスが行っていた。

 しかしわずか一代で弱小国だったグリフィン帝国を、アッサム王国に次ぐ世界で二番目の大国にまで領地を広げた皇帝ハイドリヒが表舞台から消えたことで、各地で反乱が起き始めた。

 まだ25歳のフェリックスがそれらを鎮圧するにはまだ若すぎる。特に彼の頭を悩ませていたのは南部に広大な領地を持つドノバン伯爵の反乱であった。


「父上。ついにドノバンの軍勢が3万を超えました。周辺国からも積極的に兵を受け入れているようで、まだまだ増えそうです」


 王城の最上階である5階のハイドリヒの部屋に入るのが許されているのは、口の固い数人の使用人と息子のフェリックスだけだ。

 ハイドリヒは多くの時間をベッドで過ごすが、昼間は部屋の中を歩いたり、テラスに出て町の様子を遠くから見つめている。

 アッサム王国で降臨祭が行われたこの日、彼は巨大なソファに深く腰をかけて息子の話を聞いていた。

 数年前までは真夏の太陽のようにギラギラした鋭い目をしていたハイドリヒだが、今は秋の哀愁を感じさせるような瞳をしている。

 髪はすっかり白くなり、肌には水分がなくカサカサだ。

 グリフィン帝国にとっては危機的な状況にも関わらず、彼は興味なさげにフェリックスに問いかけた。


「それがどうした?」

「早くヤツらをせん滅せねば、ここ王都すら危うくなるかと」

「だからそれがどうしたと言うのだ?」


 いら立ちをあらわにするハイドリヒ。『氷結』と揶揄されるほどに冷酷かつ冷静なフェリックスだが、父の反応に戸惑いを覚えざるを得なかった。


「父上。そろそろこの部屋を出ていただけないでしょうか? 国民はみな父上の姿を待ち望んでおります」


 ハイドリヒは何も答えようとせず、ふぅと大きくため息をついた後、テラスに出た。

 秋を感じさせる涼風が頬をなでる。

 彼は目を細めて、遠くの山々を見つめた。

 その様子はまるで誰かを待っているかのようだ。


「父上。もうあきらめてはいかがでしょうか?」


 ハイドリヒの背後からフェリックスが声をかける。


「お前に言われなくても、もうとっくにあきらめておる」


 ハイドリヒには二人の息子がいた。

 一人は正妻……つまり皇妃との間にできた子だが、もう一人は皇妃の侍女として働いていた女性との子であった。

 皇妃の子がフェリックスである。もう一人の息子は、彼の母が流行り病で亡くなったと同時に王城から出した。

 皇妃が嫌がったというのもある。しかしそれ以上に、自身の求心力を維持するために、不貞行為によってできた子供の存在を消したかったのだ。

 だが殺してしまうには、愛情を注ぎ過ぎた。

 その後はフェリックスの下で兵として働いていたと耳にしたことはあったが、実際にはどこで何をしていたのか、確かめようとすらしなかった。 

 そんな折だ。フェリックスから彼がアッサム王国との戦のさなかで命を落としたと聞いたのは……。

 しかもその亡骸は未だにグリフィン帝国には戻ってきていないという。

 もしかしたらアッサム王国の捕虜になっただけかもしれない――数か月前にはフェリックスに命じて、暗殺部隊をアッサム王国の宮殿に送り込み、捜索させたが失敗に終わった。

 それ以来、ハイドリヒはふさぎ込むようになった。フェリックスは父がまだ息子の死を受け入れられていないと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。


「ではなぜ父上は部屋を出られないのでしょう?」


 また同じ質問をフェリックスが投げかけた。

 ハイドリヒは天を仰ぎ、しゃがれた声を絞り出した。


「罪悪感だ」

「罪悪感……ですか……」


 意味が分からないといった風に言葉を濁したフェリックスに対し、ハイドリヒはちらりと目を向けた。

 その顔は今にも消えてしまいそうなろうそくの火のように弱々しい。そんな父の様子を今まで見たことがなかったフェリックスは、どう反応してよいか分からず、思わず顔をそらした。

 ハイドリヒは姿勢を元に戻して続けた。


「愛する息子を死なせてしまった――。俺のせいでな」

「愛する息子……まさか父上は『あの妾』の子を本気で愛していたのですか?」

「王城から追い出しておいて、何を今さら――とでも言いたいか?」

「いえ……」

「はっきりとそう言ってくれてよいのだ。ああ、本当に『何を今さら』だ。罪悪感の源だからな。だが人は失った時、相手のことを深く愛していたことに気づくものだと、ようやく知ったのだ。これまで積み上げてきたすべてを投げ出してでも、深い哀しみの底に沈んでいたい。そうすることがせめてもの罪滅ぼしなのではないかと思えてならないのだ」

「そうですか……。私も父上の深い哀しみは分かっているつもりです。私にとってもかつては可愛い弟でしたから。しかし父上は皇帝。国と民を守る責任を負っているのです。己の感情に身を任せ、国を危うくするのはいかがなのものかと思います。それに、自分の死のせいで国が衰退したとなれば、天にいる弟は喜ばないでしょう」


 ハイドリヒはフェリックスの方を見ず、それでも小さく口角を上げた。

 まさか自分の息子に『責任とはなんぞや』を説かれる日がくるとは思いもよらなかったからだ。

 ハイドリヒは誰かに諫言されることを好まない性格だが、不思議と嫌な気はせず、むしろ我が子の成長が微笑ましく思えた。

 消えかけた火が、ほんの少しだけ燃え上がった気がする。その火が再び小さくならないうちに、ハイドリヒは声に力を込めて言った。


「アッサムと同盟を結べ」

「えっ?」

「反乱軍を南北から挟み撃ちにする格好を見せれば、いくら強情のドノバンと言えどもこうべを垂れて降伏するだろう」

「しかしアッサムは一時的に和睦したとは言え、同盟を結ぶほど仲良くはありません。どうすれば右手を差し出してきましょうか?」

「かの国には妙齢の王女がいる。こちらには独り身の皇子――言いたいことは分かるな?」

「まさか……」

「ペンと紙を用意しろ」


 ハイドリヒは部屋に戻り、久しぶりに机の前に座った。

 そしてフェリックスが用意したペンを紙の上に走らせた。


『貴国と固い絆を結ぶため、貴国の王女と我が国の皇子の婚姻を望む』


 その字は力強く、かつて『覇王』とたたえられた皇帝そのものをあらわしていた。



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