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どの国にも『食の恒例』というものはある。
グリフィン帝国では、春の聖霊祭の日にラム肉料理を食べるのが一般的だ。
恒例行事の夜は気が緩む。つまり料理に毒を仕込みやすい。だからクロードは様々な国のあらゆる『食の恒例』を学ばされた。
ここアッサム王国には、降臨祭の祝日に、ヨダレアナゴ料理を食べるのが恒例らしい。
この変な名前の由来は「ヨダレが出るほど美味しい」というのだから驚きだ。
数十年前から獲られ過ぎたため、今では降臨祭の日を含めた5日間しか漁が許されていない。さらにこの国では「ヨダレアナゴを食べていいのは降臨祭の日のみ」と法律で定められている。
だが今年は様子がおかしいようだ。
降臨祭を翌日に控えた早朝。
メアリーから叩き起こされた後、渋々着替えている最中、隣の部屋にいる侍女たちの話し声が耳に入ってきた。
「ねえ、聞いた? 今年はヨダレアナゴが不漁で1匹も取れないんだって!」
「ええ!? じゃあ、降臨祭はどうなっちゃうの?」
「降臨祭はやるわよー。だってこの世界に神様が降臨したのをお祝いする儀式なんだから。でもヨダレアナゴ料理は食べられないわね」
「うっそー! ヨダレアナゴがない降臨祭なんてやる意味ないじゃん!」
最後のセリフはメアリーだ、とクロードは確信していた。
そして「いや、意味はあると思うぞ」と、心の中でつっこむ。
「ああー、もう最悪。年に1度のヨダレアナゴが食べられないなんてぇ」
この国の女はどんだけヨダレアナゴが好きなんだ?
まあ、白焼きにすれば、ふわふわした食感がたまらないのは確かだ。
「ところでシャルロット様にはヨダレアナゴの料理が出ないことを内緒にしておかなきゃダメよ」
「どうして?」
「なんでも年に1度のヨダレアナゴの食事をとても楽しみにしてるんだって。もし事前にヨダレアナゴが獲れないなんて知られたら、『何がなんでも獲ってきなさい!』ってわがままを言うに決まってるもの」
「そうよね。分かるわ」
その意見にはクロードも同感だった。
「当日の夕食が出されるまでは内緒にしておいて、それからリゼットさんがお話しすることになってるの」
「リゼットさんから諭されたら、さすがのシャルロット様も納得するしかないってわけね」
うむ。それは妙案だ、とクロードもうなずく。
「リゼットさんから『シャルロット様の前で降臨祭の話をすることは禁止』ってお達しが出てるからね。ちゃんと守らなきゃダメよ」
なるほど。何も聞かされていないが、自分も気をつけよう。クロードはそう心に誓った。
「ほらほら。無駄口はそこまでよ。さあ、今日も一日頑張りましょう!」
リゼットの掛け声が聞こえてきた。まずい。おちおちしていると置いていかれる。
クロードは慌てて部屋を出た。
いつもなら「おはよう」と爽やかな笑顔を向けてくるリゼット。
だが彼女はちらりとクロードに目をやっただけで、すぐにその視線をそらした。
「ねえ、夫婦げんかでもしたのかな?」
「ちょっと! あの二人ってそういう関係なの?」
「え? 知らないの?」
「私、てっきりメアリーとくっついているもんだと思ってた」
「私はシャルロット様とクロードがこっそり付き合ってるって聞いたわ」
「いやいや、それはないでしょ!」
部屋の隅にいる侍女たちのひそひそ話がクロードの耳に入る。
そこにいるからって、聞こえないとでも思ったら大間違いだ。
もっともこの手の話題にいちいち相手をしていたら、余計に変な噂が広まるのは目に見えている。平然と無視するのが一番だ。
「では、行きましょう」
リゼットの表情が心なしか暗い。
(疲れてるのか? 目が少し赤かったし)
しかしクロードの心配をよそに、彼女はピンと背筋を伸ばし、スタスタと前を行く。
そして声をかける間もなくシャルロットの部屋の前までやってきた。
「シャルロット様。おはようございます」
「おはよう。中に入っていいわよ」
「かしこまりました」
シャルロットが起床して身支度を整えている間は、男性のクロードは廊下で待つことになっている。この日も同じだった。
外は快晴。気持ちのいい朝だ。
(なんだか今日は良い日になりそうな予感がするな)
しかし、そんな予感をぶち壊したのは、なんとリゼットだった。
「シャルロット様。降臨祭の式典でお召しになるドレスですが、今年はシックなイメージの黒をご用意しました」
(ちょっと待て! なぜリゼットは自分で禁じたことを破ったのだ? やっぱり疲れてるのか!?)
もやっとしたものがクロードの胸の中に広がった――。




