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◇◇
この世界のほとんどはクソみたいなもんだ。
金がすべてを解決し、貧困はすべてを狂わせる。
他人に良く思われようと虚飾の仮面を必死にかぶり、私欲のためなら昨日までの友を背中から刺し殺す――。
だがそんなクソったれな世界にあって、安眠こそ神が人間に与えし最大の幸福だとクロードは信じていた。
寝ている間だけは苦しいことから解放されるし、運が良ければ喜びに満ちた夢を見ることだってできるかもしれない。
しかしクロードが寝る事を愛してやまない理由は、目を覚ました瞬間にある。
例え今日が吐いて捨てたくなるような最悪の一日になることが分かっていても、その瞬間だけは、未来にほんの少しだけ希望を感じることができるからだ――。
今からちょうど3ヵ月前。
アッサム王国の王都。
石畳の大広場に立てられた巨大な掲示板に、上質な羊皮紙が張られていた。
『シャルロット王女の執事を募集中!』
それを見たクロードはニヤリと口角を上げた。
「これだな!」
クロードは妾の子だが、10歳になるまで何一つ不自由なく過ごしてきた。
しかし彼の母がこの世を去ってから生活が一変した。
生まれつき人よりもはるかに優れた聴覚をもっていたクロード。その特異な能力をかわれてグリフィン帝国の暗殺集団に組み込まれることになったのである。
鉄格子に囲まれた薄汚い部屋に移された。そこで待っていたのは地獄のような訓練の日々だった。
「貴様!! 何度言えば分かるんだ!? もし今、敵が忍び込んできたら、貴様だけではなく、仲間も全員死ぬんだぞ!」
「で、でもまだ横になってから3時間もたってないし……」
「言い訳するな!! 貴様の睡眠時間は1日1時間だ!」
そうして13歳になる頃には、過酷な生活にも慣れ、心なんてすっかり失くした。
領土拡大の野心が旺盛な皇帝ハイドリヒと、気に食わない相手には容赦のないフェリックス皇子。
二人には敵が多く、皇帝と皇子の敵への対処がクロードの役目だった。
侵入、強盗、殺人、放火……。
あらゆる悪事を押しつけられた。
しかしどんなに任務をこなそうとも、誰もクロードのことなんて認めてくれなかった。
心身ともにすり減る日々。気づけば10年以上もたっていた。
そしてちょうど1年前の春。
クロードは失態を犯した。
そう、アレックスを逃がしてしまったことだ。
敵を逃がした罪でさんざん拷問されたクロード。そこにやってきたフェリックス皇子は告げた。
「おまえはクビだ。今すぐ出て行け。父さんも嘆いておられていたよ。期待外れだったとな。命だけはくれてやる。ただしここを出た瞬間から敵とみなすからね。運が良ければ、また会えるかもしれない。その時を楽しみにしているよ」
こうしてクロードは帝国を追い出された。そのうえ、彼を亡き者にしようと追っ手が迫ってくる始末……。
生まれた時から、皇帝と皇子の操り人形であることが宿命だったのだ。
彼らに失望され、帝国を追い出された今、たとえ命を失っても悔いはない――。
……なーんて、思う訳がない。
いきさつな何であれ、皇帝たちから解放されたのだ。
これからは自分の意志で生きるんだ!
そう決意すると、自然と目標は決まった。
世の中でもっとも安全な場所で、安眠をむさぼりたい――。
帝国と同じくらい大きな国と言えば、帝国の敵国、アッサム王国だ。
なかでも王宮は警備が厳重で、クロードをつけ狙うチンピラどもがおいそれと侵入することなどできるはずもない。
つい最近もクロードの同僚……グリフィン帝国の暗殺者が50人で王宮を襲撃したが、とある女がたった一人で皆殺しにしたと風の噂で聞いた。
そんな化け物がいるのだから、安全なのは間違いないと言えよう。
(しかしどうしたら王宮で暮らせるのか……)
頭を悩ましていた、まさにその時、『シャルロット王女の執事を募集中!』の張り紙を見つけたのである。
元暗殺者として、敵国の王女に仕えるのはいかがなものかと思われるかもしれないが、この時のクロードには常識などどうでもよかった。
(俺はとにかく寝たいんだ)
その一心で身分を偽造し、シャルロットの執事になったのである――。




