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◇◇
グリフィン帝国で伝説の暗殺者『漆黒の死神』だったクロード。
彼が暗殺者を辞めるきっかけとなったのは、敵の大将アレックスを逃したことだ。
アレックスが持っていた一枚の似顔絵。美しい女性が描かれていた。モデルは彼の妹なのだと言う。
まさかその似顔絵で描かれていた女性が、マルネーヌと瓜二つだったとは……。
クロードはマルネーヌと出会った瞬間から心に決めていた。
あの時の『借り』を返してもらうぞ、と――。
「あら? お兄様。どうしたのですか? ひたいから汗が噴き出してますわ」
「い、いや、なんでもない。1ヶ月ぶりの休日だから疲れているだけだ」
「ふふ。どんな手ごわい敵にも背を向けたことのないお兄様でも疲れることはあるんですね」
「ほう。アレックスは敵に背を向けたことがないのか」
ニヤリと口角を上げたクロードに、アレックスが引きつった笑みで返してくる。
クロードとアレックスの関係を知らないマルネーヌは、誇らしそうに続けた。
「クロードさん、そうなのよ。去年の春、お兄様の率いていた部隊が敵の罠にはまって全滅しかけた時も、お兄様はたった一人で敵の大軍を返り討ちにして帰還してきたのですから!」
ずいぶんと話がねじ曲がっている。
罠にはめたのはアレックスだし、大軍を相手にして、返り討ちにしたのはクロードの方だ。
しかし今ここで、不自然な言動をするわけにはいかない。
クロードは言いたいことをぐっと喉の奥へ押し込んだ。
「それはすごいな」
「ふふ。ですよね! あの一件でお兄様は実力を認められて今の地位を得たのよ」
クロードは世の中の理不尽を思わざるを得なかった。
命を助けたクロードが国を追われた一方で、命を救われたアレックスは英雄あつかいなのだから――。
「マルネーヌ。もういい! 王女様をこれ以上立ち話に付き合わせるわけにはいかないだろ!」
これまでのクールな姿からは想像もできないような荒々しい声をあげたアレックスは、くるりと背を向け、扉の向こうへと消えていった。
しかしアレックスの背を見つめるクロードの目は、まるで獲物を捕らえた鷹のように鋭いままだった。
◇◇
シャルロットとマルネーヌがモンブランの散歩に出かけている間に、クロードはアレックスと客間で二人きりになった。
アレックスは警戒しているのか、クロードから3歩ほど離れている。
「安心しろ。俺はシャルロットとマルネーヌに危害を加えるつもりはない」
そう言ったものの、おいそれと警戒を解いてくれるはずもない。
むしろ罠だと思ったのか、腰に差した長剣に手をかけはじめる始末。
「安心していい、という証拠はあるのか?」
「証拠? そんなもんあるわけないだろ。だが考えてみろ。俺がシャルロットの執事になってから3か月たった。王女を殺すつもりだったら、とっくにやってる」
「それはそうだが……」
アレックスの手が剣から離れたところで、クロードは近くのソファに腰を下ろし、両手を後ろに組んで寄り掛かった。
「それにわざわざ危険をおかしてお前に会いにくると思うか?」
「だったらどうして王女様のところにいるんだ?」
クロードは一瞬だけためらった。
普通の人間であれば、自分の答えに理解を示してくれるはずがないからだ。
しかしアレックスは違うはず。
『こっち側』の人間であると信じて、重い口を開いた。
「安眠できるからだ」
そう……。クロードがシャルロットの執事になった理由は安眠――つまり安心して眠ることができるからだったのである。
「は? 安眠?」
あぜんとして口を半開きにするアレックス。
だがそれもつかの間、
「なるほどね……。僕にとっての『浴槽』が、君にとっての『布団』ってことか……」
納得したようにうなずき始めた。
ほっと肩の力を抜いたクロードは、彼がシャルロットの執事になるまでのいきさつを語り始めたのだった――。




