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◇◇
夜になり、私とマルネーヌはクロードに連れられて、館の裏手にある森に入った。
お供としてリゼットもついてきている。
前を行くクロードの持つランプの灯りを頼りに、奥へ奥へと進んでいく。
黒一色で染まった森の中。虫の声こそあちこちから聞こえてくるものの、光の気配は微塵も感じられない。
時折後ろを振り返るクロードに、「大丈夫なんでしょうね?」と視線を送る。
彼は相変わらず眠そうな目を向けるばかりで、いったい何を考えているのかさっぱり分からない。
でも何の迷いもなく前を行くその背中からは「大丈夫だ」という励ましが聞こえてくるように思えた。
しばらく行くと、小さな川のほとりに出た。
高い木々はなく、背の低い茂みが広がっている。
……と、その時、マルネーヌが高い声をあげた。
「あっ! 光りましたわ!」
彼女の指さす方へ、全員の視線が集まる。
確かに弱々しい光が規則的に点滅している。
「ホタルでございます!」
リゼットが嬉々として声をあげたことで、まぎれもなく現実なのだと確信する。
ぞわっと感動が背筋を走る。
でも素直になり切れないもう一人の自分が顔をのぞかせて、私の口を勝手に動かした。
「私はこの茂みを埋め尽くすくらい、たくさんのホタルが見たいの! たったの1匹じゃ、いないのも同じだわ!」
「同感だ」
意外にもクロードが私に同調する。
もしかしてまだ何かあるの?
ドクドクと胸が高鳴る。
何かに気づいたのだろうか。
眠そうな目を見開いたクロードがゆっくりと空を見上げた。
その直後だった――。
「あははは!!」
クロードが大笑いしはじめたのだ。
こんなこと初めてだから、びっくりを通り越して引いてしまった。
彼に釣られるようにして空を見上げたリゼットとマルネーヌも、声をそろえて「ふああああ」と驚きのため息を漏らしている。
いったい何なのよ……?
半信半疑で私も視線を上にあげていく――。
「えっ……」
それはまさに別世界の光景だった。
無数の黄色い光が、暗闇の空を埋め尽くしている。
まるで満天の星空が、すぐ真上に落ちてきたような錯覚すらおぼえる。
感動という言葉ではあらわし尽くせない、強烈な感情に言葉を失った。
私、生きてる――。
あと2年以内にこの世から去らねばならぬ運命の鎖が、今、この瞬間だけは解かれて、私は大きな翼を広げてホタルの海の中を泳いでいる。
胸を巣食っていたモヤモヤがゆっくりと晴れていくのを感じる。
同時に素直になり切れないもう一人の私もまた薄く消えていく。
そこでようやく気づいた。
今まで私は『自由』を勘違いしてきたということに。
ただ単に自分勝手に生きることは、自由でも何でもない。
本当の自由とは、背負った運命すら放り投げて、ありのままの自分でいることなんだ。
私はこれからも『自由』でいたい、と心から思った。
だからどんな時も素直でいよう。自分だけでなく、他人に対しても……。
ふと視線を戻すと、クロードがいない。
急に不安になって辺りを見回す。
するとクロードはハンモックの中で小さな寝息を立てていた。
クロードの脇に立った私は彼のほっぺをつついた。
「なんだよ?」
つっけんどんに言いながら、うっすら目を開けるクロード。
不遜な態度だけど、不思議と憤りは覚えない。
それよりも言わなくちゃいけないことで頭がいっぱいだった。
「悪いが今日の仕事は終わりだ。何か用があるならリゼットに言ってくれ」
「べ、別に用なんかないわよ。ただ……」
「ただ?」
もうあと一歩を踏み出す勇気を振り絞るのは難しい。
でも拳を握りしめながら無言のエールを送ってくるマルネーヌの期待を裏切るような真似はしたくない。
たった5文字じゃない!
怖気づくな! 私!
「ありがとう」
言えた……。
クロードの目が大きくなる。
まるで異世界の生き物でも目の当たりにしたかのような表情だ。
「……なによ?」
「いや……。やっぱり熱でもあるのか、と思ってな」
「だから『ない』って言ってるでしょ! バカ!!」
恥ずかしさを隠すために、ハンモックを必死に揺らす。
「おいっ! 待て! 揺らすな!!」
「いやよ!! あんたの命令なんか絶対に聞かないんだから!!」
「め、命令じゃなくてお願いだ! これ以上揺れたら……うわあああ!!」
普段は絶対に隙を見せないクロードが、豪快に尻もちをつく。
その姿がおかしくて、
「あはははは!」
無邪気な笑い声が口をついて出てきた。
どれくらいぶりだろう。
心の底から笑ったのは。
いつの間にかホタルの大群はどこかへ消え、夜の森は再び漆黒に包まれている。
それでも私の胸の内側は、絵に描いた空のように明るくて雲一つない。
クロードが柔らかな笑みを私に向けた。
それは青空のてっぺんにあるお日様のようで、見つめるには少しだけ眩しすぎた。
◇◇
クロードの放ったフェイク・バグはホタルを引き寄せた後、アッサムの空を越え、遠い隣国まで飛んで行った。
そして黒髪の少女の小さなてのひらに収まったのである。
「やっと見つけた」
彼女は白い頬を赤く染め、アッサム王国の方へと駆けていったのだった――。




