終章
正直信じられないが、どうやら俺は記憶喪失らしい。
と言っても、日常生活には全く影響はない。なくしてしまった記憶は、ほんの数年。
あの日現れた少年が、俺の記憶ではまだ生まれたばかりだったカミュエル王子とは今でも思えない。翼族でも魔力が低いものは成長が早いが、そんな先日生まれたばかりの赤子が、もうあんなに大きいなんて事、獣人族でもあり得ない。
どうやら、俺は胸を刺された時のショックからか、又は刺され倒れた時の頭の打ち場所が悪かったらしく、記憶が飛んでしまったらしい。
「というか、良く生きていたな」
獣人の娘の間違いかと思ったが、カミュエル王子も俺の胸に剣が刺さったのだと説明をした。どうやら俺を助けたオクトお嬢様というのは、賢者と呼ばれるほどの知識の持ち主らしい。さらに混ぜモノで、魔力が無尽蔵にあるのだと聞いた。
なるほど。それならば、精霊魔法を軽々と使いこなせるのも理解できる。
「色々話をしてみたいな」
精霊魔法とはどんな感じなのだろう。
使い手が少ないため、残されている文献も同様に少ない。ただ、色々聞いてみたいが、オクトお嬢様も忙しい身の上らしく、今日少し挨拶をしたらそのまま自国であるアールベロ国に帰ってしまうらしい。
俺もついていきたい所だけど、怪我が大きすぎて、もうしばらくはここで入院生活を送らなければならなかった。またずっと横になって安静にしていなければいけないので、ちゃんと動けるようになるのは、さらに先になる。
「どんな子なんだろうな」
混ぜモノであるというのも興味がある。混ぜモノなんて精霊魔法よりもされにレアな存在だ。
今は妻であるクリスタルは死んでしまったし、息子のヘキサも学校に通っているしで……ああ、今はもう学校に就職しているんだっけ。とにかく俺は暇だった。
暇で暇で死にそうだ。何かに飢えているので、とにかく興味がわくものはなんでもいいので欲しい。中々国にも帰れないので、この病室で新しい魔法陣を開発しようかとは思うが、果たしていつまでそれでこの飢えに誤魔化しがきくものか。
色々考えていると、ドアがノックされた。
「どうぞ。開いてるよ」
「失礼します」
入ってきたのは、想像よりもずっと幼い子供だった。太陽の色をそのまま溶かしたような金色の髪に、青い瞳。エルフ族ともちょっと違う幅も大きな耳が特徴的だ。顔には混ぜモノ特有の痣がある。
でもなんだ?
何か違和感のようなものを俺は覚え、訝しむ。しかしその答えはとっさには導き出せそうもないので、とりあえず笑いかけておくことにした。昔トールが、子供に対しては、とりあえず、笑顔が大切と言っていたし、笑っておけば間違いはないだろう。
「君が、暴漢に襲われた俺を助けてくれたお嬢さんかな?」
「はい」
少女は無口なタイプなのかもしれない。
俺の言葉に短く返事をして、控えめに俺を見上げていた。可愛らしい顔立ちをしているが、あまり笑わないようで、今の表情も硬い。まあ、混ぜモノとして生まれたのならば、とても苦労して生きて来たに違いない。色々俺の事も警戒しているのだろう。
「初めまして。私はオクト……オクト・ノエルと申します」
何も俺から喋らないでいると、オクトの方がか細い声で自己紹介をしてきた。名前は事前に聞いていたが、結構律儀な子らしい。
「俺は、アスタリスク・アロッロという。君は……魔法学校の学生かな?」
「はい。ウイング魔法学校の魔法薬学部に通っています」
薬学部?
「すでに専門分野に進学をしているなんて、優秀なんだな。今回、俺を助けてくれた時つかった魔法も、精霊魔法なんだって聞いたよ」
学部と名前がつくなら、すでに基本単位はすべて終わっているという事だ。オクトの魔力が高く成長が遅いと言っても、ありえない速さでの進学ではないだろうか。
それにこんな小さな子が精霊魔法を使ったのだ。普通ならばあり得ないような話。まさに、現実は小説より奇なりだ。
「いえ。私は、まだまだです」
いや。まだまだって。
それ、下手したら軽く嫌味だぞ。その年で魔法学校に通えない子供は多いし、精霊魔法なんてほとんどだれも使えない。そう思ったが、本当に心の底から思っていそうな様子に、俺は何とも言えなくなる。
きっとこの子は、自分を肯定する方法を知らないのだろう。一体今までどんな育ち方をしたのか。
……ん?にしても、俺にこんなに興味を持たせる子って珍しいな。
何だろう。何かが俺の中で引っかかっているのだ。
「アロッロ様のお元気な顔が見れて良かったです。中々見舞いに来る事ができず申し訳ありませんでした。そろそろ国に戻らなければなりませんので、この辺りで失礼します」
俺がそんなことを考えている間に、オクトはさっさと切り上げようとしていた。
「待って」
「はい?」
俺は何も考えずに、気がついたら呼び止めていた。
突然呼び止められてオクトがとても不思議そうな顔をしている。当たり前だ。俺と彼女は初対面なのだから――。
いや、初対面ではないか。
俺は彼女に助けられたのだ。絶対一度は会った事がある。
でも一体どんなタイミングだ?暴漢に襲われた俺を助けたというけれど、俺が襲われたのは真夜中だと聞く。どうしてこの子はそんな時間に外にいて、俺を助けたのか。
偶然?
いや、そもそも、その暴漢はどうしたんだ?
おかしな点がちらほら見えるのに、中々答えにたどり着けない。
解けそうで解けない計算式に向かっているような気分で、俺はイライラした。
「あー……えっと。もしかして……俺は君と何処かで会った事はないかな?」
「いいえ」
俺の質問にオクトはNOと答えた。
いや、でも、NOなわけはないだろ。俺は君に助けられたのだから。それともそれはカウントに入らないと考えているのか?
違う。
そうじゃなくて。そういうのじゃなくて。
何かがおかしいのだ。そもそもどうして彼女は、アールベロ国じゃなくて、ドルン国にいるんだ?よっぽどのことがない限り国境を越えた旅行なんてしない。俺が旅行していたのも不思議な話だけど、偶然重なった?そんな偶然なんて――。
――そう。あるはずがないのだ。
「そうか。呼びとめてごめんね。わざわざ見舞いに来てくれてありがとう。それじゃあ、小さな賢者様。またね」
「……失礼します」
俺は結局オクトを見送った。でもその前に気が付いてしまった事実をもう一度考える。
オクトは一体何を隠そうとしているのだろう。俺と別の場所で会った事があるというのは、彼女にとってはそれほど都合の悪いものなのか。
彼女と別れるギリギリのところで、俺は違和感の正体に気が付いた。
彼女は俺が作り魔力を流してる魔法陣を持っている。
どうやら俺の記憶はなくなってしまったが、魔法陣自体は継続していたらしい。それほど大きな魔力でない為、俺もうっかりと気が付かないところだった。
さて。一体この答えの先には何があるというのだろう。
「ふあああぁっ。眠っ」
違和感を突き止められると、今度は急に眠気が襲ってきた。
まあいいか。どうせ俺はしばらくアールベロ国に帰る事さえできないのだ。オクトが居なければ答え合わせもできないだろう。
それに俺も怪我が治ればアールベロ国に戻るのだ。今急いで答えを見つけなくたって、またアールベロ国で落ち着いてからオクトに会いに行けばいい。
にしても、かわいい子だったなぁ。
オクトを思い出すとイライラが少しだけ収まる。どうしてかは分からない。命の恩人だからとか、そんな事であのイライラが止まるものなのか。それでも一時だけかもしれないけれど、足りない何かが埋まった気がして、俺はそのまま微睡んだ。




