主人と従者‐4‐
ジーグの許可の声を聞いたレヴィアは、居室の扉をそっと開けた。
のぞいてみると、アルテミシアは入口に背を向けて座っていた。当て布が外された背中があらわになっていて、右肩から左わき腹へと走る、痛々しい傷がレヴィアの目に飛び込んでくる。
「まだ、こんなに開いてるんだね。……ずっと、つらかったでしょう」
「ここに来てからは、だいぶ楽になった」
「でも、これじゃ、痛いはず、だよ。……ほかは火傷、だったのかな。そっちは、だいぶいいね」
体中に多くの傷が見られるが、そちらはすでに新しい皮膚が再生していて、ほぼ完治していると言ってよい状態だ。
「最初の、処置が、よかったんだね」
「チェンタの老師が秘薬を使ってくれたらしい」
振り向いて、額と頬にに残る傷を指さしたアルテミシアがいたずらっぽく笑う。
「これは高くついたな。返せる当てがないから、しばらく顔を合わせないように気をつけよう」
ここトレキバの街と国境を接する山岳国、チェンタ族長国。
二国を結ぶ峠道は険しく、命を落とす者も少なくないと、園丁から聞いたことがある。
あのジーグの憔悴ぶりを思えば、怪我を負ったアルテミシアを連れ、ここまでたどり着くのがどれほど大変だったことか。
ジーグの苦労がレヴィアにも偲ばれた。
「老師の薬もありがたいけれど、レヴィアの薬湯は本当によく効くんだ。何を返せばいいか、わからないほどだよ」
「でも……」
「うん?」
「……」
黙り込んでしまったレヴィアにアルテミシアの首が傾く。
「レヴィア、”でも”の続きは?」
「……あのね、ミーシャの背中、縫ったほうが治りが早い、と思う」
新たな軟膏が塗られた当て布を、今まさに傷に貼ろうとしていたジーグの手が止まった。
「縫う? そんな処置をしたことがあるのか?」
「うん。足に怪我をした、山猫を拾って、そのときに」
「山猫? それで、そいつはどうした」
「手当てが早かったから、すぐ、森に帰れたよ。ほんとの傷を縫ったのは、そのときくらいだけど。本のとおりに、獣の皮とかで、練習はしてる」
「本というのは医術書か」
「うん」
「見せてもらっても?」
こくんとうなずくと、レヴィアは作業部屋の棚から一冊の分厚い本を持ってきた。
「へえ、これほどのものは初めて見たな。薬草の項目だけで、これだけの分量があるとは」
処置を終えて上衣をかぶり直したアルテミシアが、差し出された本を慎重な手つきでめくっていく。
そこには種々の薬草をはじめ、怪我や病気の症状に応じた施術法や治療法が、豊富な図解とともに載っていた。
「これは……アガラム語だな」
「そうですね。さすがは医薬術の進んだ国の本です。【レヴィアはアガラム語の読み書きができるのか】」
ジーグからアガラム語で尋ねられて、レヴィアの首が緩く傾く。
【できるけれど、話すのは得意ではないの。発音がよくわからないから。……? 何かおかしいかしら?】
「アガラム語は誰から習った?」
トーラ語に戻して、ジーグはレヴィアをまじまじと見つめた。
「習っては、いないよ。母さまが、話してた」
「なるほど。お前のアガラム語は女性言葉だから、とても柔らかいんだ」
「……変?」
「まさか。……?」
アルテミシアが腕を差し伸べる気配に、レヴィアは大きく一歩後ずさる。
「レヴィア?」
「あ、えと。……あの、ごめん、なさい」
うつむいたまま固まってしまったレヴィアに、アルテミシアはかすかなため息をついた。
「驚かせてしまったんだな。すまない。レヴィアのアガラム語は変じゃないぞ。とても可愛い」
「可愛いって……」
顔を上げたレヴィアは口をとがらして、横目でアルテミシアを見やる。
「僕とミーシャって、三才違うだけ、なんでしょう?」
「まあ、そうだな」
笑いをこらえるアルテミシアに、レヴィアの口がますます尖った。
実際の年齢よりも、ずっと稚く見えるのは仕方がないとレヴィアは思う。
「ミシア」と呼んでくれと言われたが、どうしてもトーラ訛りで「ミーシャ」としか呼べない。
それでもアルテミシアは許してくれているのだが、甘えているようで悔しかった。
「ごめんごめん、腕のよい医薬師殿に使う言葉ではなかったな。私のトーラ語はまだまだだから、言葉を間違えることもあるし、乱暴だろう? 聞き苦しいかもしれないけれど、許してくれ。何しろジーグから教わったからな」
「乱暴では、ないよ。女の人にしては、きっぱりした話し方、だけど」
長い前髪の間から見上げると、アルテミシアが「ふふっ」と笑う。
「なにか、おかしかった?」
「子ウサギみたい」
「え?」
小声が聞き取れなくて首を傾けると、アルテミシアは大げさなほど不機嫌な半眼となった。
「“キッパリ”というのは、男性的という意味か?」
「飾らないとか、かっこいい、かな。ミーシャに、似合ってる」
「やっぱり男っぽいってことじゃないか」
「違うよ、違う。長っていうのが、ぴったりする感じ、だよ」
慌てるレヴィアに、アルテミシアの笑顔がはじける。
「ははっ、冗談だよ。レヴィアは私が出会ったなかで、一番誠実な医薬師だ。その医薬師殿が勧めるのだから、ぜひ施術をお願いしたいな」
「リズィエのご意思ならば反対はいたしませんが……。レヴィア、治療の詳細を聞かせてほしい」
真剣な顔で迫るジーグに、レヴィアは医術書を開いてみせる。
「ここ、読める? 施術のとき、痛みを感じないように、シビレ薬と眠り草を使うんだ」
そこには傷の縫合方法と、使う薬草の組み合わせが書かれていた。
「けど、もう少し、体力が回復しないと。体が、薬に負けちゃう」
「まったく。レヴィアと話していると、不思議な気分になるな。十四歳というだけでも、その知識と技術には驚かされる。それが、まして――」
ジーグはそこで言葉を止めたが、続く言葉は想像できる。
言外に幼く見えることを指摘されたレヴィアは、むすっとしてジーグを見上げた。




