主人と従者‐3‐
初夏の陽射しが降り注ぐ畑には、作物たちがすくすくと育ち、青々と葉を茂らせている。
だが、そんな景色を前にするレヴィアの顔色は冴えなかった。
「どうした。何か問題があるのか? 肥料なら言われたとおりにまいておいたぞ。足りないものでもあるのか」
畑仕事を終えたジーグが、まくり上げた袖の肩口で汗を拭いながら近づいてくる。
「ありがとう。問題は、ないよ。ジーグ、ずいぶん慣れたし、ね」
「まあ、初めに比べればな。自分に苦手な分野があると知るのは、いい経験だったが。……本当だぞ?」
「うん、そう、なんだね」
笑いをこらえるレヴィアを見下ろし、ジーグは片眉を上げた。
「本当だというのに。足りないものでもあるなら、市場で見繕ってくるぞ。それとも、また一緒に行くか?」
「ううん、もう、いい。欲しいものも、ない」
「ならば、心配なことでもあるのか」
「うん。あのね……」
しばらく黙り込んだあとで、レヴィアはおずおずとジーグを見上げる。
「……どうして、傷、塞がらないんだろうって、考えてて……。今のままだと……」
治療を始めてから、かなりの時間が経っている。それなのに――。
怪我人の傷を覆う晒を取り換えるたび、そこににじむ血の量に、レヴィアは胸を痛めていた。
「あんまり、良くない、かも。直接、診るのって、……だめ?」
「……」
レヴィアから薬湯を受け取るときでさえ、居室の扉はジーグの体が通れるぎりぎりの幅しか開かない。
詳しい症状もわからないまま、ジーグの話だけで薬湯を処方することに、不安はある。けれど、ジーグの「会わせたくない」という意志を感じて、これまでレヴィアは強く言えずにいたのだ。
だから、ジーグに無言の拒絶に、やはりだめかと諦めて小屋へ戻ったのだが――。
「……え?」
椅子に腰掛け、微笑み出迎えてくれた人を見て、レヴィアも、背後にいたジーグもその場に立ち尽くした。扉が開け放たれたままだということにさえ、気づきもせずに。
「……※※※※!」
(りぜ?)
ジーグの焦った声を頭のなかで繰り返すレヴィアの目の前で、ずっと隠されていたその人が立ち上がる。
無造作にまとった下男用の上衣から、血の気を取り戻した手足がすらりと伸びている。
腰まで流れる深い紅の巻き髪は、咲き初めのバラのように瑞々しい。
そして、その瞳はキラキラと光る若草色で……。
(……キレイ……)
レヴィアは息をするのも忘れてその人を見つめていた。
「ふふっ。あなたがレヴィア、だな?」
ほんの少し目尻の上がった、美しい猫のような目が柔らかな弧を描く。
少したどたどしく、まだ頼りない声で紡がれたトーラ語は、春告げ鳥の初鳴きのようだった。
「※※※※※」
「ジーグ、ここはトーラだろう。ディアムド語は失礼だ」
「申し訳ございません。ですが、まだ体調は万全ではいらっしゃらないでしょう。安静になさっていてください」
「そうだな。だからレヴィアと話がしたかったんだ。どうせジーグが門番のように立って、中に入れないのだろう?」
「それは……」
「レヴィアは信用のおけない者か?」
「……いいえ」
「レヴィアは邪な心を持つ者か?」
「いいえ」
「レヴィアは私たちを詮索し、利用する者か?」
「いいえ!」
ジーグは思わずといった様子で語気を強めた。
「だからこそ、こちらの事情を背負わせたくないのです。知らなければ、自白を強要されても逃れられるでしょう」
「逃がしてくれる相手でもないだろう。そうなったら私がレヴィアを守ればいいだけだ。私のすべてで守ってみせるよ」
「え?」
言われた言葉がよく理解できなくて、レヴィアは春告げ鳥から目を離せないまま、心の中でその言葉を何度も繰り返した。
――私がレヴィアを守ればいいだけだ――
本当に自分に言ってくれたのかが信じられなくて、床に目を落として考え込む。そして、しばらくして顔を上げると――。
変わらぬ微笑みをたたえた若草色の瞳に見つめ返され、レヴィアの背筋は知らず伸びていた。
その瞳には嘘がない。そう信じることができた。
「僕は、大したことは、できない、かもだけど、りぜの傷を、診せてくれる?」
「りぜ? ……ああ」
いたずらを仕掛ける猫のように笑うその人を見て、レヴィアの心臓が大きく音を立てた。
「リズィエはトーラ語で言うと……、頭目とか長という意味かな。私の名は、アルテミシアというんだ」
「あーてみ? み、しぁ?」
口ごもり、まごつくレヴィアを見て、アルテミシアはくすくすと笑う。
「発音しにくいのなら、ミシアとでも呼んでくれ。さて、これで知らぬ仲ではなくなったな。患者として傷を診てもらえるか? レヴィア」
親しげに笑いかけるその人に、レヴィアはどぎまぎしながらもうなずき返した。




