隠れ人-4-
その日は雨が間断なく降り続く、薄暗い一日だった。
怪我人は薬茶が効いているのか、今は深く眠っている。
屋根を打つ雨音を聞きながら大剣の手入れをしていたジーグは、ふと木窓へ目を向けた。
(今日は顔を出さない、か。こちらのことばかりに時間を割いているようだから、たまには自分のために……)
レヴィアが今どこで何をしているのか、と考えて……。
何も思い浮かばないことにジーグは気づく。
彼が稀に語る「これまで」をつなぎ合わせれば、人との関わりをほとんど持たずに育ったらしいことは察せられた。
身の回りのことはすべて自分でしてきたというし、実際、何でもこなせる。
だが、人と話すことには慣れていない様子で、ジーグたちについて尋ねることもない。
レヴィアを知る手がかりとして鮮明に思い出されるのは、あの岩場での出会いだった。
(人恋しさもあるのだろうが、根が優しい子なのだろうな。だが、普段はどうやって暮らしているのか)
ジーグは剣を作業机に置き、外の様子を見ようと腰を上げた。
軋む木窓を開けると、日暮れが迫っていっそう暗さを増した畑に、大きな水たまりができていた。
(それにしてもよく降る。……ん?)
畑の向こうに、大きな籠を抱えた小さな影が見える。
近づいてくる影の正体に気づいたジーグは、手近な布をつかむと、急いで扉を開けた。
「びしょ濡れじゃないか! 風邪をひくぞ、早く拭け」
濡れた足音を響かせて飛び込んできたレヴィアに、ジーグは勢いよく布をかぶせた。
「だ、だいじょぶ、だよ。屋敷に行って、着替える、から。それより、これ」
布をかぶったままのレヴィアが差し出した籠には、親指の先ほどの、赤く艶やかな実がぎっしりと詰まっている。
「キイチゴがね、たくさん、なってたから。造血と、浄血作用が、あるんだよ。このまま、食べられるし」
「お前、なにもこんな雨の日に……」
ジーグが目を落とすと、レヴィアの足元は泥水まみれで、小さな手には無数の引っかき傷が刻まれていた。
「今の時期に、熟すんだ。早くしないと、獣とか鳥に、全部食べられちゃう、から。食欲、少し出た、でしょう? 果物なら、もっと食べられると、思って」
そうしてジーグに籠を押しつけると、レヴィアはそのままくるりと背を向ける。
「小屋を汚すから、もう行くね。また、明日」
パタン!と勢いよく閉められた扉の前で、ジーグは呆然とその場に立ち尽くしていた。
『……そんなことがありまして』
寝台の横に座ってディアムド語で報告しながら、ジーグはキイチゴの実をひとつ、怪我人の口に差し入れた。
『ん。甘酸っぱい。……おいしい』
血の気の薄い唇が緩慢に動き、果実を潰す。
『たくさん召し上がってください。苦労して採ってきてくれたのですから』
『……苦労して?』
『この種類は棘が多く、森の中に密生した藪を作ります。手が傷だらけでした』
大きな手のひらに転がした一粒の赤い実を、ジーグはしみじみと眺めた。
『芒果も、その子なんでしょう?』
『はい。あれから食欲が戻られましたね』
『とても美味しかったわ。でも、高価なものを屋敷から持ち出して、叱られなかったかしら』
『頬を腫らしておりました。森でぶつけたと言っておりましたが』
『顔も知らない者のために、そんな思いまでして……。レヴィア、だったわね。いつか、顏を見てお礼が言いたいわ』
その声はまだ頼りないが、未来を望む言葉にジーグは密かに安堵のため息をついた。
『お元気になられましたら』
『ねえ、ジーグ。諸国を周っていたころ、大道芸で路銀を稼いでいたと言っていたでしょう?』
『はい』
『ここでもできる?』
『そう、ですね……』
あごに指を添え、ジーグは視線を床に落とした。
本来ならば、あまり目立つ行動は避けたいところだ。自分たちの存在を知られる危険性が増してしまうのだから。
だが、それを承知で、それでも願うのならば。
『ここは首都から遠い地方都市です。剣技芸などは、珍しがられるかもしれません』
『やってみてくれる?できれば、レヴィアにお礼のひとつでも』
『畏まりました』
すがるように袖を握ってくる細い手を、ジーグは幼子をなだめるように、ゆっくりと叩いた。




