父と子‐3‐
人影もない早朝のトレキバの町を、頑丈で簡素な造りの馬車が走り抜けていく。派手な車輪の音に驚いた住人が窓を開けるころには、馬車はとっくに郊外へと消えていた。
前日の大雪など嘘だったかのように、屋敷の周りは整然と雪かきがなされている。馬車がその外門前に止まるのと時を同じくして、屋敷の玄関扉が開け放たれた。
「お帰りなさいませ」
使用人たちを従えた家令が、馬車から降りてきた男性に深々と頭を下げる。
「「おかえりなさいませ」」
声をそろえる使用人たちにちらりと目をやった男性は、小雪舞うなか、颯爽とした足取りで屋敷への小道を歩く。淡やかな粉雪が、黒の軍服を着た男性の金髪に降りかかっては、溶け消えていった。
「本日のご用向きは? いらっしゃってからお伝えくださるとお手紙にありましたが」
「レヴィアに呼ばれた」
家令には目もくれず、使用人たちの前を素通りしたその人は、屋敷の奥へと入っていく。
「レヴィア、様……にですか」
言葉を詰まらせる家令の背後で、使用人たちも落ち着かなく視線を交わし合った。
玄関広間を見渡した男性が、家令を勢いよく振り返る。
「息子を呼べ。どこにいる。なぜ出迎えの中にいない」
鷹が彫られた金の留め具が胸元で光り、膝下まで覆う黒の肩羽織の裾が翻った。
「その……」
青磁を彷彿とさせる瞳の男性が、眼光も鋭く家令を見据える。
「どうした。答えられぬのか」
一歩詰め寄られた家令が、下げた頭の陰でギリリと奥歯をかみしめた、その時だった。
「お帰りなさい、父上」
「!」
声のした方向――階上を振り仰いだ男性の目が、大きく見開かれる。その視線の先で、正装姿の少年がゆっくりと階段を下り始めた。
白銀の裾を軽やかにさばく、黒の下穿をはいた長い足。
短く整えた前髪が掛かる、秀でた額。
緊張気味の、しかし、思慮深そうな大きな黒い瞳。
レヴィアは背筋をぴんと伸ばして、堂々とした足取りで父親の元へと向かった。
「誰なの、あれは」
「まさか、マジリモノ?」
使用人たちのヒソヒソとした小声に、広間の空気がざわつく。
レヴィアは父親の前で足を止めると、トーラ正式の礼をとって軽く頭を下げた。
「お呼び立てをして、申し訳ありませんでした。お忙しいなか、ありがとうございます」
「構わない。それで? 折入って願い出たいこととは何か」
瞬きもしないような父親を見上げ、レヴィアは鳩尾に力を入れる。
『今の家庭教師を、すべて辞めさせていただきたいのです』
流暢なディアムド語に、青磁色の目が細められた。
『それは何故か』
父親からディアムド語で返されたレヴィアは、通じていたことに、まずほっとする。
『私は師と仰ぐ方に出会いました。このディアムド語も、その方からご教授いただいたものです。ディアムド語だけではなく、スバクル語も不自由しない程度に会得しております』
『スバクル領主国は重要な隣国だ。頼もしいことではあるが……。アガラム語はどうか』
【……アガラム語は、すでに母から伝えられておりますゆえ】
柔らかなアガラム語を聞いた父親の口元が、わずかに緩んだ。
まさかとレヴィアは目を丸くするが、一瞬で真顔に戻った父親は、さらにディアムド語で尋ねる。
『ほかには何を』
『家庭教師に習っていたものは、作法を始めほとんどすべて。両手剣、弓、そのほかの剣武術も、稽古をつけてもらっています』
『なるほど……。以前、辞めさせた教師は向いていないと言っていたが、今の師は何と言っている』
『筋が良いと』
レヴィアは何のためらいなく答えた。だって、アルテミシアとジーグにお墨付きをもらっているのだから。
『その腕前、見せてもらおうか。よし、屋敷の広間に移動するとしよう』
父親は力強く宣言すると、レヴィアの返事も待たずに歩き出した。




