うれしいということ‐2‐
「お前の家庭教師は皆あんなか」
「あんな?」
「主を主とも思っていない」
「僕は、主じゃないし。だって、給金を出しているのは、父上だから」
「だが、お前のために雇っているのだろう。違う教師は選べないのか」
「……選ぶ? 考えたこともなかった。手配とかは、家令が全部やってくれている、から」
「そうか。手配も、か」
ふと、ジーグは屋敷を振り仰ぐ。
「ここの書庫を見せてもらったんだが」
「え、中に入ったの?! いつ?」
「まあ、先日な。大したものだった。蔵書の数も種類も。誰が用意した?」
「わからない。前からあった、と思う」
「ならば、お前のためのものだ。レヴィア、雇っている教師は全員辞めさせよう」
いきなりのジーグの提案に、レヴィアの目が丸くなった。
「あの書庫の本があれば、大抵のことは教えてやれる。あれでリズィエもそこそこ賢い。私たちが、お前の師となろう」
(あれで……。そこそこ……)
アルテミシアとジーグの間にある、揺るぎない親愛の情が言葉の端々に感じられて、レヴィアの頬が緩む。だが、すぐにレヴィアの表情には憂いが差した。
「父上が、お許しくださるかな」
「否を言わせぬ方法はある。お前の父親が、次にここを訪れるのはいつだ?」
「父上のご予定は、直前にならないと教えてもらえない。伝書鳩を飛ばせば、来てくださると思うけど」
「伝書鳩?」
「うん。畑とは違う場所で、世話をしてる。以前父上が、”止むに止まれぬ事情があるときには知らせろ”って、用意して、くださったんだ」
「私が町に行って手紙を出すか」
「どちらにお住まいなのか、知らない」
静かに首を振るレヴィアに、ジーグはこっそりため息をついた。
「……そうか。その鳩を飛ばしたことはあるんだな」
「剣の教師を、辞めさせたかったときにね」
「大猪の悲鳴を耐えられるお前が辞めさせたいとは、よほどだな」
「殺されそうだったから」
淡々としたレヴィアから出た不穏な言葉に、ジーグが目を見開いた。
「生きていたかったわけじゃないけど。いたぶられながら殺されるのは、いくら僕が出来損ないでも――」
「そんなことを言うな!」
鋭く、激しく。ジーグはレヴィアの言葉を遮った。
「自分のことをそんなふうに言うんじゃない」
琥珀の瞳が、レヴィアを射抜くように注がれている。
「お前は出来損ないなんかじゃない。この世界で唯一無二。私たちの大切なレヴィアだ!」
呆気にとられて、レヴィアはただジーグを見つめていた。
「薬草を育て、調合したのは誰だ? 獲物を捕らえ、調理したのは? リズィエを治療してくれたのは? お前は私たちの恩人、かけがえのない命を持つ存在なんだ、レヴィア」
これまで、どんなに侮蔑的な言葉で罵られても、仕方ないと思ってきた。どんな仕打ちも、そのうち終わると自分に言い聞かせて。
泣いたことなんてなかった。なかったのに。
気がつくと、レヴィアの瞳には大粒の涙がたまっていた。そしてとうとう堪えきれずに、あふれた一筋の涙が頬を伝った。
「そんな大げさなこと、僕はしてない。もらったもののほうが、多い、よ? それに、大切なんて……。僕だって、僕だってふたりのこと……」
(何より大切な存在だって思う)
涙で頬を濡らすレヴィアの頭を、ジーグは片腕で抱き寄せた。
「お前は十分に自分を知らない。世界を知らない。だが、私たちがそれを教えよう。レヴィア自身の本当の価値を」
「ふっ……。うぅ……」
人前で声を上げて泣いたのは初めてで、止めようと思えば思うほど、レヴィアの涙はあふれていく。
くぅくぅと子犬のように泣くレヴィアを、ジーグは涙が止まるまで、ずっと胸に抱き続けた。




