僕の居場所
汗ばむような日も増えて、盛夏も間近というある日のこと。
食事の支度を終え、いつものようにさっさと小屋を出ていこうとしたレヴィアに、アルテミシアが声をかけた。
「たまには一緒に食事をしないか、レヴィ。屋敷に帰らないとまずいのか?」
「……え? 帰らない、よ。家令に捕まったら大変、だから」
「じゃあレヴィはどこで」
「寝起きをしてるんだ?」
声をそろえたアルテミシアとジーグを交互に見て、レヴィアはこてんと首を傾けた。
「森、とか?」
「屋敷には戻らないのか?」
目を丸くするアルテミシアに、レヴィアの首はさらに傾く。
「たまに、顔は見せに行く。行方不明だと、探される」
「なんだと?! 私たちに居場所を与え、食事まで用意してくれているお前が、自分はひとりで外にいるというのか」
そう言うなり、ジーグは怖いほどの勢いで立ち上がり、レヴィアに一歩詰め寄った。
「レヴィア、今日からここで生活をしろ」
「で、でも……」
「一緒にいるのは迷惑か?」
「ちが、違う」
レヴィアはちらりとアルテミシアを見て、フルフルと首を横に振った。
「迷惑とか、じゃなくて、あの、僕、食べ方とか、汚い、から」
「そんなことを誰が?」
「家令とか、作法の先生、とか。食事ひとつまともにできない。家畜のほうがまだましって」
うつむいてしまったレヴィアを前に、アルテミシアとジーグが目を交わし合う。
「間違っているのなら、正しく学べばいいだけだ。リズィエの治療のためにも、ここにいてほしい」
「レヴィ、一緒に食事をしよう」
「えと、あの……」
二人の優しい説得に涙がにじんで、レヴィアは顔を上げられなかった。
「な、いいだろう?」
言葉遣いは男性のようなのに。
アルテミシアの声は、やっぱり春告げ鳥のようだった。
そうして三人で暮らすようになって、ひとつわかったことがある。どうやらレヴィアは、じっとしているのが苦手らしい。
目を覚ませばすぐ畑へ出てしまうし、夜目が利くからと、日が暮れてもなかなか戻ってこない。
「作法を教えるどころではないな」
小屋から出ていくレヴィアを見送ったあとで、アルテミシアはため息をついた。
「他人といることにまだ慣れないのでしょう」
ジーグが首を巡らせると、開けた木窓の向こうで、畑を横切っていくレヴィアが目に入る。
「こんなに尽くしてくれるのに、あの子は私たちに何も望んでくれないな」
「時間をかけましょう」
ジーグの提案に、アルテミシアは無言でうなずき返した。
その夜。
「何か気になることでもあるのか? さっきから扉ばかり見ているようだが」
「そ、うだった?」
おどおどと目を泳がせるレヴィアの前に座るアルテミシアが、悲しげに眉を下げる。
「何か不愉快なことでも? 私は面倒な患者だろうか」
「違うよ! そんなこと、ない。でも、あのね」
レヴィアの視線は、再び扉のほうへと向いてしまった。
「同じ場所に、長くいたこと、ない、から。……僕、ここに、いていいのかな」
屋敷にも帰らず、森などで過ごしていると言っていたレヴィア。
酷く腫らしていた頬と、防御反応。「家畜」呼ばわり。
何らかの事情があって、レヴィアは屋敷の者に捕まらないよう、居場所を転々としていたのだろう。
仲が良かったという園丁が建てたこの小屋にさえ、長く留まることはなかったに違いない。
「こほん」
眉を曇らせたジーグに、アルテミシアが咳ばらいをしてみせた。
「?」
「痛っ!」
ジーグと目が合った途端、アルテミシアは作業机に突っ伏して声を上げる。
「いたたたた……」
「どうなさいました、リズィエ!」
「背中が……」
「痛いの? どんなふうに? あの、傷、診せてもらっても、いい?」
慌てて駆け寄ってきたレヴィアに苦悶の表情を向けると、アルテミシアはジーグの手を借りて上着を脱いだ。
「悪くなってない、と思う、けど。……ちょっと、痛み止めを多く入れる、ね」
アルテミシアの背中の傷に慎重に目を走らせてから、レヴィアは軟膏を塗った布をジーグに手渡す。
「でもね、心と体は、つながってる、から。きっとミーシャ、心が痛いんだよ」
はっと目を見開いて、アルテミシアはレヴィアを振り返った。
「傷は大丈夫、だよ。安心して」
「……レヴィ……」
「お茶、淹れてくる。待ってて、ね」
うつむいてしまったアルテミシアがどんな顔をしているのか、レヴィアにはわからなかった。
けれど、「ありがとう」という囁き声は、確かに耳まで届いた。
春の野原のお茶に、菫の砂糖漬けを一欠片。
少し強い甘みと、菫の淡い香りが、アルテミシアを満たしていく。
「おいしい……。レヴィ、ありがとう」
「あの、僕……、ここに、いてもいい、かな」
両手を胸の前でぎゅっと結び合わせながら、レヴィアはアルテミシアとジーグを見比べている。
「当たり前だろう」
「当たり前だ」
アルテミシアとジーグは声をそろえ、力強くうなずいた。
「レヴィアがいなければ、リズィエの傷を私が縫う羽目になる」
「ジーグになんてお断りだ」
「おや、私の裁縫の腕はご存じでしょう。リズィエが破いた晴れ着を、縫ってさしあげたことをお忘れですか」
「でも、結局は乳母姉にばれて、そのあと大惨事だったじゃないか」
「言葉遣いにはお気をつけを。木登りをして破いたことが露見したのは、問い詰められたときの演技が下手だったからですよ。どうやら上達していないようですし、”痛い”とはどういう状態か身に染みるよう、やはり私が」
「縫うのは布だけにしてくれ。レヴィじゃなきゃ嫌だ」
「僕じゃなきゃ、イヤ?」
「もちろん。レヴィだからお願いするんだ」
「僕、だから?」
「そうだよ、レヴィだからだ」
「……うん……」
顔いっぱいに喜びをあふれさせて、レヴィアは小さくうなずいた。




