第26話:保健局と蜘蛛の糸
ついに、この国の医療と社会保障の未来を担う新組織、【保健局】が創設される日がやってきた。
そして今日も今日とて、私は当然のように王妃マーガレット様のお膝の上に強制着席させられていた。ふかふかで居心地が良いので、もう突っ込むのは諦めている。
「――カッシーニ男爵夫人。貴方、常日頃から女性の社会進出を提唱していらっしゃるそうね?」
王妃様が、対面に座る一人の女性へ優しく、けれど有無を言わせぬ圧を持って問いかけた。
そこに座っていたのは、歳の頃はまだ三十にも満たない、いかにも清楚な雰囲気を纏った淑女だった。
「は、はい……(わたくし、何か王妃様の逆鱗に触れるようなことをしてしまったのかしら……?)」
ガタガタと震えながら、内心で完全に怯えきっている男爵夫人。
「そんな頑張り屋な貴方に、素晴らしい朗報をあげますわ。先ず、これを読んで頂戴な」
王妃様が差し出したのは、私が提出したあの社会保険制度や総合病院の提案書を元に、レイラさんや役人たちが実務の骨子としてまとめた極秘の書類だった。
男爵夫人はおそるおそる書類に目を落とし――数秒後、その綺麗な目を見開いた。
「えっ……!? 王妃様、このような夢のような制度が、本当に可能なのですか……!?」
「出来ないと思う?」
「いえ、多分……しかし、これほどの規模の改革を行うとなれば、既存の頭の硬い男性官僚たちが黙っては……」
「ふふ、だからこそ貴方に声をかけたのよ。この画期的な提案の生みの親は、ここに居るツララちゃんなの。彼女、極度の男嫌いでね? 新設する『保健局』は、男の手を借りずに女性主導で立ち上げたいのよ。男爵夫人のお仲間にも、実務を手伝える優秀な女性(淑女)はいないかしら?」
「こ、声をかけてみますわ! 喜んで、わたくしたちの手でこの国の医療を変えてみせます!」
カッシーニ男爵夫人の目が、一瞬で「やってやるわ」というキャリアウーマンのそれに変わった。
こうして、新組織『保健局』は、女性たちの熱意によって瞬く間に創立される方向へと動き出したのだった。よかよか。
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生かさず、殺さず、搾り取る
その後、カッシーニ男爵夫人が王都を駆け回って保健局の設立準備に奔走している間、私は王妃様のお膝の上で、小さくフンスと鼻息を漏らして進言した。
「……王妃様。おいた(脱税や横領)をした貴族たちだけど、殺してはダメだよ」
「あら、どうしてかしら? 裏の堀に沈めてしまえば一発よ?」
笑顔で恐ろしいことを言う聖母(物理)。私はジト目のまま首を振った。
「……死んだら、そこで終わり。生かして、殺さずの状態で、生涯かけて全財産と労働力を徹底的に搾り取るの。それを、保健局の運営資金(きゅうり代や病院代)にする。逃げられない蜘蛛の糸だよ」
「まぁ……! 素晴らしいわ、氷麗ちゃん。そうね、殺してしまってはそれきりだものね。生かしたまま未来永劫、国のための苗床になってもらいましょう」
王宮の裏で、悪徳貴族たちの「合法的かつ地獄のような永年搾取プラン」が確定した瞬間だった。
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天才外科医との出会い
それから少し経ったある日の午後。
私はカトリーヌの血液銀行の様子を見に、王都の下町を歩いていた。
その途中の路地裏で、私は少し奇妙な光景を見かけた。
いかにも見窄らしくてヨレヨレの白衣を着た、若いと思われる男。けれど顔には手入れされていない無精髭が生えていて、お世辞にも清潔とは言えない風体だ。
(……お医者さん、かな?)
その男は、泣きべそをかいている身なりの貧しい子供の前にしゃがみ込み、何やら作業をしていた。
よく見ると、男は子供の手足にある深い切り傷を、小さな針と細い『糸』を使って、手際よくパチパチと縫合していたのだ。
この世界の治癒魔法は、傷口を強引に塞ぐことはできても、中の血管や細かい組織までは修復しきれないことが多い。だからこそ出血多量死が起きる。
なのに、この男は『物理的に縫う』ことで、完璧に傷口を繋ぎ合わせようとしていた。
私は無表情のままスッと男の背後に立ち、その手元をじっと覗き込んだ。
「……あの、あなた。その技術、どこで覚えたの? それに、その不思議な糸はなに?」
「うおっ!? ……なんだお前、お化けか?」
男が心底驚いたように飛び上がった。
これこそが、のちに異世界の医療界を根底からひっくり返し、私とともに数々の無茶な大手術をこなすことになる、驚異の天才外科医――『ジャック先生』との、すべての始まりとなる出会いだった。




