恩人との再開
永暦元年(一六四七年)二月 山東省済寧州
潘家との再会は、拍子抜けするほど穏やかだった。
かつて経を唱えた修行僧が、髪を切り、薬材商の身なりで現れたことに、潘家の人々は驚いたが、深くは詮索しなかった。朱慈煥が「世の乱れの中で寺を離れ、還俗して薬の道で身を立てている」と語ると、当主は痛ましげに頷いた。
「この乱世だ。寺とて、安穏とはいくまい。よくぞ生きておられた」
それだけだった。乱世では、誰もが事情を抱えている。深く問わぬのが、互いの礼であった。
――そもそも、本物の僧ではなかったのだから、還俗も何もないのだが。
朱慈煥は内心で苦笑したが、口には出さなかった。
潘家は、朱慈煥たち三人を長く引き止めようとした。だが、朱慈煥は丁重に断った。恩人の家に長居すれば、いずれ素性が露見する。それは潘家にとっても危うい。代わりに朱慈煥は、潘家の口利きで、町の薬舗に住み込みの職を得た。
薬の目利きができる若者と、帳面のつけられる少年、そして力仕事のできる用心棒。三人まとめて引き受けてくれる店は、潘家の信用があってのことだった。
そうして――一月が過ぎた。
済寧の町は、朱慈煥たちを少しずつ受け入れていった。
住み込んだのは、運河沿いの一角にある「恵生堂」という薬舗だった。間口はさほど広くないが、古くからの店で、棚には所狭しと薬材が並んでいる。主人は趙という、五十がらみの実直な男だった。口数は少ないが、薬のこととなると目が利く。朱慈煥の本草の知識を、最初は半信半疑で試していたが、ひと月もすると、仕入れの目利きを任せるようになっていた。
陳永華は、帳場で帳面をつけた。商家の子として育った下地があり、算盤も筆も達者だった。趙の妻が切り盛りする勘定を、いつの間にか永華が手伝うようになっていた。
陳志遠は、荷運びと、店の用心棒を兼ねた。済寧は賑わう町だが、その分、揉め事も多い。志遠の存在は、何かと重宝された。
三人は、それぞれの場所に収まっていた。
旅の間の張り詰めた緊張は、ここにはなかった。朝、店を開け、薬を量り、客をさばき、帳面を閉じ、夜は狭い裏間で眠る。平穏な日々だった。久しく忘れていた、地に足のついた暮らしだった。
だが、朱慈煥は知っていた。
これは、嵐の合間の凪に過ぎない。
運河の北では、清の支配が日に日に固まっている。西の曹州では、抗清の義軍がなおも蠢いている。この平穏が、いつまでも続くはずがなかった。
それでも、今はこの静けさを使うべきだった。体を休め、町に馴染み、情報を集め、次の手を考える。朱慈煥は、薬を量りながら、町の客たちの噂話に静かに耳を傾けていた。
そんなある日のことだった。
潘家から、使いが来た。
「主人が、ぜひ一度、お越し願いたいと」
朱慈煥は、薬を量る手を止めた。
ひと月、潘家とは付かず離れずの距離を保ってきた。その潘家が、わざわざ使いを寄越して呼ぶ。何か、相談事があるのだろう。
「……分かった。今夜、伺うと伝えてくれ」
使いが去った後、陳永華が帳場から顔を上げた。
「潘家が、何の用でしょう」
「さあな」
朱慈煥は、薬研に向き直った。
「だが、ただの世間話で呼ぶ家じゃない。何か、抱えているんだろう」
薬研を引く音が、静かな店内に響いた。
平穏な一月の、その先に。
何かが、動き始めようとしていた。




