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明末の麒麟児  作者: sawami
第6章
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道端の薬草

隆武二年(一六四六年)冬 —— 浙江省寧波府近郊

 陸路で北へ進むと決めたものの、すぐに道が開けたわけではなかった。

 薬材商に紛れる。

 口で言うのは簡単だったが、実際には若い三人組を信用してくれる商人など、そう都合よく現れなかった。

「薬材を知っております」

 朱慈煥がそう言っても、多くの薬舗の主人は怪しげに眉をひそめるだけだった。

「若造が薬を語るか」

「荷運びならともかく、薬材の目利きだと?」

「帳面を書ける? ならまず身元を言え」

 どこも似たような反応だった。

 無理もない。戦乱のただ中である。偽の薬材を売りつける者、盗品を持ち込む者、清軍や明残党の間者。怪しい者はいくらでもいる。

 三人に必要なのは、言葉ではなく実物だった。

「なら、こちらから持っていけばいい」

 朱慈煥はそう言って、翌朝から寧波近郊の野へ出た。

 町外れの畑の縁、古い道端、荷車の轍の近く、民家の裏手。そこには、目を凝らせば薬になる草がいくつも生えていた。

「これは車前草だ」

 朱慈煥は道端に生えていた草を摘み上げた。

「車前?」

 陳永華が額の汗を拭いながら聞き返す。

「車の前、つまり道端や轍のそばによく生えるからそう呼ぶ。熱を冷まし、小便を通す。旅人には案外役に立つ」

「ただの雑草に見えますが」

「草を草でなくすのは、知識と手間だ」

 朱慈煥が淡々と言うと、陳永華は何とも言えない顔をした。

「天下を見る旅のはずが、草を摘んでいる」

「天下は草の根から始まる」

「うまいことを言ったつもりですか」

「少しだけ」

 陳志遠は黙々と草を摘んでいた。

 朱慈煥が指示した車前草、艾葉、紫蘇を、できるだけ多く、根元を傷めないように集めていく。用心棒というより、今は完全に採薬人だった。

「志遠、採りすぎるな。古い葉や虫食いは避けろ」

「はい」

「紫蘇は香りが落ちたものは使いにくい。葉を潰して匂いを確かめろ」

「はい」

「艾葉は湿ったまま束ねると黴びる。あとで広げて干す」

「はい」

 返事は真面目だが、手つきは妙に力強い。陳志遠は、採れるものはすべて採るつもりでいるらしかった。

 一方で、陳永華は完全に息が上がっていた。

「……なぜ、薬草は人の腰をこれほど攻める場所に生えているのですか」

「薬草に文句を言うな」

「私は典簿のはずです。なぜ草むらで膝を泥だらけにしているのです」

「帳面を書くにも、まず売る物が要る」

「理屈としては正しいのが腹立たしい」

 そうぼやきながらも、陳永華は朱慈煥に教えられた通り、葉の形を確かめながら丁寧に摘んでいた。文句は多いが、手は抜かない。そこが彼らしかった。

 採った草は、町外れの水場で泥を落とした。

 車前草は根についた土を洗い、葉の古いものを除く。紫蘇は香りの良い葉を選び、艾葉は濡れたまま重ねず、薄く広げて乾かす。

 その後、陳永華が紙片に薬名を書いた。

 車前草。

 艾葉。

 紫蘇。

 字は見事だった。薬草の束が、ただの野草ではなく、急に商いの品らしく見える。

「字だけは本当に立派だな」

 朱慈煥が言うと、陳永華は不満げに目を細めた。

「字だけ、とは何ですか」

「褒めている」

「絶対に違う」

 そんな作業を数日続けた。

 三人は小さな薬舗、旅医者、薬材商の宿を探しては、集めた薬草を持ち込んだ。

 最初はほとんど相手にされなかった。

「若いのが摘んだ草か。混ぜ物があるかもしれん」

「湿っているな。半値だ」

「この時期の紫蘇は香りが弱い。買えても銭少しだ」

 買い叩かれることも多かった。

 それでも、少しずつ銭は入った。飯代にはなる。宿代の足しにもなる。何より、薬舗の主人たちが、三人をただの怪しい旅人ではなく、薬草を持ち込む若者として覚え始めた。

 ある日の午後、三人は寧波の裏通りにある小さな薬舗を訪れた。

 店は大きくなかった。表には乾いた薬草の匂いが漂い、奥の棚には木箱や壺がぎっしりと並んでいる。店主は五十過ぎの痩せた男で、片目が少し細かった。

「また若い採薬人か」

 店主は三人を見るなり、面倒そうに言った。

「見せてみろ」

 朱慈煥は車前草、艾葉、紫蘇を順に卓へ置いた。

 店主は一瞥して鼻を鳴らした。

「車前草はありふれている。艾葉も悪くはないが、この程度なら高くは買えん。紫蘇も時期が遅い。まとめて、この値だ」

 提示された額は、明らかに安かった。

 陳永華の眉がぴくりと動く。

 だが朱慈煥は怒らず、車前草の束を一つ手に取った。

「こちらの車前草は、古葉を除いてあります。根の土も落としすぎていない。洗いすぎると葉が傷むので、泥だけを払いました」

 店主の目がわずかに動いた。

「艾葉は湿ったものを束ねていません。黴びを避けるために広げて風に当てています。香りも残っている。灸に使うなら、こちらの束の方がよいはずです」

 朱慈煥は次に紫蘇を取った。

「紫蘇は確かに時期が遅い。ですが、葉を潰せばまだ香りが立つ。魚を食べて腹を悪くした者や、吐き気のある旅人には使えます。寧波のような港町なら、捨てるほど悪い品ではありません」

 店主は無言になった。

 陳志遠と陳永華も黙っている。

 朱慈煥はさらに言った。

「それに、この車前草は道の轍のすぐ脇ではなく、少し外れた湿った土から採りました。馬糞や泥水に浸かったものは避けています。薬にするなら、その差はあるはずです」

 店主はしばらく朱慈煥を見ていた。

「……お前、本当に若造か」

「若造です」

「誰に習った」

「本で読みました」

「本だけで、ここまで見るか」

「本だけでは危ういので、匂いと葉の傷みも見ました」

 店主は低く笑った。

「口も立つ」

 それから、最初に示した額より少し多い銭を出した。

「この値ならどうだ」

 朱慈煥は陳永華を見た。

 陳永華は一瞬で計算したらしく、小さく頷いた。

「妥当です」

「では、それで」

 取引がまとまった。

 銭を受け取ると、店主は薬草の束を奥へ運ばせながら、ふと思い出したように言った。

「お前たち、寧波に長くいるつもりか」

「いいえ。北へ向かうつもりです」

「北か。船はないだろう」

「ええ」

 朱慈煥が答えると、店主は顎を撫でた。

「余姚へ行く薬材の荷がある。麦冬を扱う家に届ける荷だ。人手が足りん。荷運び、札書き、帳面、それから道中の見張り。できるか」

 三人は思わず顔を見合わせた。

 朱慈煥。

 陳永華。

 陳志遠。

 それぞれの役目が、ようやく道につながった瞬間だった。

「ぜひ」

 三人の声が、ほとんど同時に重なった。

 店主は少し驚いた後、愉快そうに笑った。

「元気だけはあるな」

「それしかありませんので」

 陳永華がぼそりと言う。

「いや、帳面もできます」

「用心棒もできます」

 陳志遠が真面目に付け足す。

 朱慈煥は二人を見て、少しだけ笑った。

 こうして三人は、寧波を出るための道を手に入れた。

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