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明末の麒麟児  作者: sawami
第5章
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三尺六大人

 隆武元年(1645年)10月 福建省平海衛

 安海から戻って以来、張の監視が厳しくなった。

 武術と剣術の稽古以外では外に出ることを許されず、友達と遊ぶことも滅多に認められなくなった。

 自然と部屋で本を読む時間が増えていった。ある夜、張が部屋の前に立った。

「ついてこい」

 それだけだった。いつもの「知らん」の男が、夜に声をかけてくる。朱慈煥は一瞬、最悪の事態を想像した。

 ——殺されるのか。

 だが、すぐに思い直した。殺すなら、わざわざ声をかけない。黙って始末すればいい。

 張の後ろについて、夜の平海衛の路地を歩いた。潮の匂いが濃かった。祭りの夜以来、外に出るのは稽古の時だけだ。夜の町を歩くのは久しぶりだった。

 やがて歓楽街に差し掛かった。酒楼の灯りが路地を照らしている。賑やかな声が、遠く近く聞こえてくる。張はその中の一軒の扉を開けた。

「入れ」

 部屋に入ると卓が一つ、椅子が二つ。片方に、すでに男が座っていた。

 年は四十前後か。がっしりとした体格で、腰回りがやたらと太い。一見すると動きが鈍そうに見えるが、卓に置かれた手の筋の張り方が、そうではないことを示していた。

 男は朱慈煥を見て、目を細めた。

「朱文……いや、朱殿下で、相違無いか?」

 男が口を開いた。低く、落ち着いた声だった。

「左様です」

「私は陳豹というものだ。」

 男は短く名乗った。

 朱慈煥は内心で静かに照合した。

 ——陳豹

 本姓は呂、幼くして陳家に養われた。『台湾外記』や『海上見聞録』に名が残る人物で、その異様に太い腰回りから「三尺六大人」と呼ばれたと記録にある。隆武元年十一月、九軍を率いて福州に至り南澳副総兵に任じられる。史料ではそうなっている。だとすれば、この男は今まさに、その渦中にいる。

 ——この男が、ここにいる。つまり鄭成功は、書状を信じたということだろうか?

「殿下の書状は届きました。隆武帝を通じて、殿下の身分も確かめた」

 陳豹は淡々と続けた。感情を乗せない、事務的な口調だった。

「それで——一つ聞きたいことがある」

 朱慈煥は黙って続きを待った。

 陳豹は卓の上に両手を置き、朱慈煥を真っ直ぐに見た。

「書状に、鄭芝龍様が清に寝返る可能性があると書かれていた。その根拠をお聞かせ願いたい」

 朱慈煥は少し間を置いた。

 ——また同じ問答か。

 鄭芝龍との謁見でも、朱聿鍵との対面でも、今日の陳豹でも——皆、同じところに行き着く。自分の言葉を信じてもらうために、根拠を示し、体裁を整え、見解として伝える。それを何度繰り返せばいいのか。

 転生者だと言えれば話は早いのだが、と思わないでもない。だがそんなことを口にした瞬間、今度は正気を疑われる羽目になるだけだ。

 ——仕方がない。また同じようにするか。

 朱慈煥は息を一つ吐いて、口を開いた。

 遅らせながらここまで読んでくださってありがとうございます!歴史考証など至らない点もあるかと思いますが、温かく見守っていただけると幸いです。感想やツッコミ、お気軽にどうぞ!

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