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明末の麒麟児  作者: sawami
第4章
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書状と国姓

今回も長いです。

 祭事は無事に終わった。

 鄭森は安海の屋敷の一室で、福州へ戻る支度を整えていた。隆武帝に賜った官職についてから、福州に詰めることが多くなっている。媽祖升天日の祭事には一族で集まったが、長居はできない。明日の朝には発つつもりだった。

 書を整理し、衣を畳んでいるとき、扉の外から声がした。

「失礼します」

 家僕の声だった。鄭森は手を止めた。

「入れ」

 扉が開き、年配の家僕が入ってきた。手に小さな封書を持っている。

「先ほど、朱文と名乗る子どもが、若様に書状を届けに参りました。隆武帝のご意向を伝える文だと申しておりましたが、印はございません。内密にとのことでしたので、念のためお預かりいたしました」

 鄭森は眉を寄せた。

 ——書生風の子どもが、隆武帝の意向を伝える書状だと?

 ありえない話だった。隆武帝の正式な使いであれば、印のない書状を子どもに託すなどありえない。文を入れる紙すら見るからに上等のものではない。仮にも一国の主の意向を、こんな形で届けさせるはずがなかった。

 胸の奥で、いら立ちが沸き上がった。家僕がこんなものを取り次いだことに対しても。

「お前——」

 言いかけて、鄭森は口を閉じた。

 朱文。その名を、どこかで聞いた覚えがある。

 ふと、泉州の港の光景が浮かんだ。芝豹叔父上と話していたあの日。後ろに立っていた書生風の子ども。年は十歳前後か。叔父上が「小間使いだ」と紹介した、あの少年——確か、朱文と名乗っていた。

 あの子どもが、なぜ。

 鄭森は家僕に手を伸ばした。

「書状を見せろ」

 家僕が両手で書状を差し出した。鄭森はそれを受け取った。

「下がっていい」

 家僕が一礼して退出した。扉が閉まる音を聞きながら、鄭森は手の中の書状を眺めた。

 質素な紙だった。封の表書きには「鄭森殿」とだけ書かれている。筆跡には見覚えがない。

 ——あの書生が、何の用だ。

 鄭森は封を開けようと、指をかけた。

 封を開けると、中には一枚の紙があった。鄭森は紙を広げて、目で文字を追った。

 最初の数行を読んで、鄭森の手が止まった。

 書状はこう始まっていた。

 ——この書状を書いたのは、隆武帝ではない。

 ——私自身である。「朱文」という名は偽名であり、私の本名は朱慈煥。崇禎帝第三皇子である。

 鄭森は文字から目を離せなかった。冗談にしては大胆すぎる。だが文章は淡々と続いていた。

 真偽は、隆武帝に問えば明らかになるはずだ——とあった。

 次に、自分の置かれた状況が記されていた。数ヶ月前から鄭芝龍の保護下、いや、監視下にあること。福建のとある場所で、書生として身分を偽り暮らしていること。具体的な地名は書かれていなかった。

 そして——最後の数行。

 ——書状を送ったのは、父君が清に寝返る可能性をお知らせするためである。

 鄭森は紙を握る手に力が入った。

 ——父上が、清に寝返る。

 信じられなかった。父・鄭芝龍は隆武帝を擁立し、平虜侯の爵位まで賜った人物だ。叔父の鄭芝豹からも、そんな話は一言も聞いていない。

 だが書状の朱慈煥——崇禎帝の皇子と名乗るこの人物は、なぜそんな書状をわざわざ寄越したのか。何の利があってこんな危険な話を。

 頭の中が混乱した。書状の真偽、父への疑念、叔父への疑念。一つ一つが噛み合わないまま渦を巻いた。

 ——どうするか。

 鄭森は書状を畳み直し、深く息を吐いた。

 明日、福州に戻れば隆武帝に謁見する機会がある。父も一緒だ。そこで——直接帝に問い質すわけにはいかないが、それとなく探ることはできるはずだ。崇禎帝の皇子について、あるいは——父の動向について。

 今は判断しない。だが、放っておくこともできない。

 鄭森は書状を懐に収めた。

 数日後、福州

 鄭森は父・鄭芝龍と共に、隆武帝の御前に伺候した。

 帝は鄭森の働きを大いに賞された。そして——国姓「朱」を賜り、「成功」の名を授けるとのご沙汰があった。

 鄭森は深く頭を垂れた。

 ——朱成功。

 その名を受け取った瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げた。明朝の臣として国姓を賜るというのは、武人にとってこれ以上ない栄誉だ。父祖代々の海商の家に生まれた身が、皇帝より直接「朱」の姓を賜る——後の世まで語り継がれる栄光に違いない。

 帝への忠義は、これでさらに揺るぎないものになった。

 だが——同時に、懐の中の書状の重さを、鄭成功は強く意識していた。

 崇禎帝の皇子と名乗るあの少年が、もし本当に皇族の血を引く者であるなら——自分が今賜ったこの「朱」という姓は、本来あの少年の血筋のものではないのか。

 帝の表情を窺った。読めなかった。崇禎帝の皇子について、何か知っているのか。父の動きを、どこまで信じているのか。

 顔を上げて、鄭成功は静かに礼を述べた。

 ——判断は、まだ先だ。

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