わずかな隙
張という男を、朱慈煥は数日かけて観察した。
まず分かったのは、この男が酒を好むということだ。夕方になると、屋敷の前で小さな瓶を取り出してちびちびやっている。稽古から戻る時間が遅くなると、すでに目が据わっていることもあった。
次に分かったのは、この男が朱慈煥を子どもだと思っているということだ。鄭芝豹はどんな些細な動きも見逃さなかった。だがこの男は、朱慈煥が市場を遠回りしても、廟の前で立ち止まっても、特に気にする様子がない。「書生の子どもが散歩しているだけだ」と思っているのだろう。
——好都合だ。
朱慈煥は内心で静かに思った。
問題は、どうやって抜け出すかだ。張が酒好きであることは分かった。だが普段の夕方に酔わせようとしても、不自然だ。何か理由が必要だった。
廟の前を通りがかったとき、阿福の父親が縁台の周りを掃き掃除しているのが見えた。呉家の商家の主人で、阿福とは裏腹に細面の、生真面目そうな男だ。
「何かあるのですか」
朱慈煥が声をかけると、男は箒を止めて答えた。
「もうじき媽祖様の升天日だ。(旧暦)九月九日——毎年この廟でも祭りをやる。賑やかになるぞ」
媽祖とは航海・漁業を司る道教の女神で、福建沿海の人々に深く信仰されている。
——升天日か。
朱慈煥は軽く礼をして、廟の前に立ち止まった。祭りの夜であれば、酒が出るのは自然だ。人が集まり、賑やかになり、監視の目が緩む。張に酒を勧めることも、不自然ではない。あと数週間もない。
しばらく神像を見上げながら、頭の中で時間を計算した。
——どのくらい時間がある。
転生前の知識では、鄭芝龍が清に降るのは1646年12月——隆武二年のことだ。だがそれはあくまで「史実」の話であって、自分がこの時代に介入している以上、歴史がそのまま動く保証はない。史可法の降伏がそうだった。自分の手紙一つで、後世に名を残した忠臣の末路が変わった。
ならば鄭芝龍の降伏も、早まることがあり得る。
根拠はある。鄭芝龍が清に傾く理由は感情ではなく損得だ。隆武帝を擁立したのは明への忠義からではなく、福建の実権を握り続けるための政治的判断に過ぎない。清が優勢であることは誰の目にも明らかで、鄭芝龍ほどの男がそれを読めないはずがない。
しかも今、黄道周が北伐を主張して鄭芝龍と対立している。隆武帝が親征を望んでいる。鄭芝龍にとって、明への奉仕が重荷になり始めている時期のはずだ。その重荷がある閾値を超えたとき——あの男は動く。
史実より早く動く可能性を、排除できない。
——残り一年とは限らない。
張が三歩後ろで欠伸をしていた。
——この男が自分を子どもだと思っているなら、それでいい。子どもが神様に手を合わせに来たと思えばいい。
朱慈煥は静かに手を合わせた。祈るふりをしながら、頭の中では算段を立てていた。




