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明末の麒麟児  作者: sawami
第4章
38/53

再び考える夜

 監視役の男に連れられて通された部屋は、先ほどより小さかった。窓一つ、寝台一つ、卓一つ。それだけだった。

「今晩はここで過ごせ」

 男はそれだけ言って、扉を閉めた。足音が遠ざかる。

 朱慈煥は寝台の端に腰を下ろし、しばらく動かなかった。頭の中で、今日のことを整理した。唐王は誠実な人物だった。複雑な感情を脇に置いて、皇太弟の話を切り出してきた。約束まで残してくれた。

 だがそれは同時に、自分の置かれた状況の脆さを改めて突きつけるものでもあった。

 鄭芝龍の監視下にある。今のところ衣食には困らない。訓練もある。平海衛の日々は、悪くなかった。

 だが——全ては鄭芝龍の判断一つで変わる。

 あの男が清に降れば、自分はどうなるか。史実では鄭芝龍は1646年に清に降伏する。あのときの交渉で彼の考えや行動がどう変わったか未知数だ。そのとき自分は、交渉の道具になるか、あるいは厄介者として消されるか。

 ——このままでいるわけにはいかない。

 朱慈煥は立ち上がり、部屋の中をゆっくりと歩いた。

 天寿を全うしたいと言った。鄭芝龍との謁見で、そう口にした。読みたい本がある。行きたい場所がある。この広い中華に、まだ見ていないものが山ほどある。その言葉は本心だった。鼠のように生きると言いながら、それでも——道半ばで消えるつもりはなかった。

 鄭芝龍の庇護から独立するには、別の後ろ盾が要る。朱聿鍵——隆武帝となるあの人物の傍に行くことは断った。理由は本当のことだ。今の自分では重荷になるだけだ。

 ならば——鄭成功だ。

 鄭芝龍の息子でありながら、父が清に降った後も抗清を続けた男。歴史が証明している。あの男は最後まで明の旗を降ろさなかった。

 鄭芝龍が清に寝返る前に、鄭成功と接触できれば——少なくとも、自分の存在を知らせることができれば。鄭芝龍が動いた後でも、逃げ道が一つ残る。

 問題は、どうやって接触するかだ。

 朱慈煥は卓の前に座り、腕を組んだ。

 直接会いに行くことはできない。監視役の男が常についている。文を送ることも難しい。自分に使える人間がいない。

 ——使える人間がいない、か。

 ふと、陳老人の顔が浮かんだ。洪家拳と辛酉刀法を教えてくれている師だ。鄭芝龍の配下であることは間違いないが、あの老人が鄭成功と何らかの繋がりを持っていたとしたら——。

 いや、それは画餅だ。確かめる術がない。

 もう一つ。朱聿鍵だ。今日の約束は、逆に使えるかもしれない。朱聿鍵の周囲には黄道周のような人物もいる。そちらから鄭成功への伝手を辿れないか。

 だがそれも、自分から朱聿鍵に働きかける手段がない。

 朱慈煥は息を吐いた。

 ——焦るな。

 まだ時間はある。鄭芝龍が清に降るまで、少なくとも数ヶ月はある。今は訓練を続けながら、鄭成功が泉州や平海衛に姿を見せる機会を待つ。あるいは、監視役の男との関係を少しずつ変えていく。

 完全な答えは、まだ出ない。だが方向だけは決まった。

 ——鄭成功に、接触する。

 朱慈煥は寝台に横になった。天井を見上げながら、頭の中で可能性を並べ続けた。なかなか、眠れそうになかった。

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