突然の誘い
しばらくの沈黙の後、朱聿鍵が改めて朱慈煥を見た。先ほどとは少し違う目だった。何かを決めた人間の、静かな目だった。
「一つ、聞いてもよいか」
「はい」
「私にはまだ皇子がいない」
朱慈煥は、次の言葉を待った。
「もし——皇太弟として、私の傍に来る気はないか」
部屋の空気が、静かに変わった。
朱慈煥は少し俯いた。断らなければならない、と思った。だがそれより先に、この申し出の重さを感じた。複雑な感情を脇に置いて、それでもこう切り出してきた朱聿鍵の——その誠実さを。
「……勿体なきお言葉にございます」
ゆっくりと、言葉を選んだ。
「ですが、今の私ではお役に立てません」
「今はよい。将来の話だ」
「将来も、おそらく同じです」
朱聿鍵の目が、わずかに動いた。
「私は兵もなく、財もなく、人望もない。皇子という血筋があっても、それだけでは旗印にもなりません。今の私が傍に立てば、重荷になるだけでございます」
言い終えて、朱慈煥は再び深く礼をした。
「申し訳ございません」
朱聿鍵はしばらく朱慈煥を見ていた。
「……そうか」
それだけだった。責めるでも、引き止めるでもなかった。ただ短く、静かに受け取った。
また沈黙が来た。今度は先ほどより、少し軽かった気がした。
やがて朱聿鍵が立ち上がった。
「もう行っていい」
朱慈煥も立ち上がり、礼をしようとした。そのとき朱聿鍵が、振り返らずに言った。
「負ける気はない。だが——もし、清軍に囚われるようなことがあっても」
少し間があった。
「少なくとも私は、君のことを何も喋らない。それだけは約束する」
朱慈煥は、言葉が出なかった。
礼を言うべきか。だがそれも、この場には重すぎる気がした。
結局、もう一度深く頭を下げた。朱聿鍵はそれを見ずに、部屋を出て行った。




