福建省のとある小さな町にて
弘光元年(1645年) 福建省平海衛
朱慈煥ではない。
ここでは彼は「朱文」と名乗っていた。鄭芝龍の配下が用意した偽名だった。皇子でも何でもない、どこにでもいる若い書生——それがここでの自分だった。
平海衛は小さな町だった。泉州から北へ二日ほどの沿岸に位置するこの衛所は、かつて戚継光が倭寇討伐の拠点として整備した地だ。三方を丘に囲まれ、一方が海に開けた地形は、守るに易く、船を出すに都合がいい。今も城壁と練兵場の名残を留めていたが、往時の賑わいはない。海風が強く、潮の匂いが一日中どこにいても漂ってくる。
師は陳という姓の老人だった。名は聞いていない。聞くなと言われた。
洪家拳の手解きは、朝が明けきらないうちから始まった。
「馬歩。動くな」
老人の声は低く、短かった。
馬歩とは、騎馬の姿勢を模した基本の立ち方だ。両足を肩幅より広く開き、膝を深く曲げ、腰を落とす。見た目には単純な構えだが、やってみると話が違った。
一刻も経たないうちに、腿が震え始めた。
さらに半刻。膝が笑い、腰に鈍い痛みが走り始めた。
「腰が浮いておる」
老人が竹の棒で軽く背中を叩いた。叩くというより、触れる程度の力だったが、それだけで姿勢が崩れた。
歩いたり走ったりする体力はある。北京から泉州まで逃げ延びる道中、ろくに休む間もなく歩き続けており泉州に来てからも、毎日それなりに動いていた。だがこれは違う。同じ姿勢で耐え続けるための力は、全く別の筋肉を使うらしかった。
——これが武術の入り口か。
内心で嘆息しながら、朱慈煥は再び腰を落とした。
午後は套路——型の稽古だった。老人がゆっくりと動いて見せ、それを真似る。単純な動作の繰り返しだったが、手の位置、足の運び、重心の移し方——どれ一つとして思うようにいかなかった。
「違う。肘が下がっておる」
「腰が先に動いておる」
「足を見るな」
訂正のたびに、老人の声は淡々としていた。呆れているのか、怒っているのか、判じかねた。ただ、見捨てる気配だけはなかった。
日が傾く頃、ようやく解散となった。
朱慈煥は練兵場の端に腰を下ろし、しばらく動けなかった。腿も、腕も、腹まで痛かった。使ったことのない筋肉が、全身で悲鳴を上げていた。
海風が吹いてきた。
遠く、平海の海が夕陽を受けて光っている。戚継光もかつてこの景色を見たのだろうか、と朱慈煥はぼんやりと思った。あの将軍は兵を鍛えることに異様なほど執心した人物だった。農民や漁師を集め、一から武術と陣法を叩き込み、倭寇を退けるに足る精兵へと仕立て上げた。その兵法と鍛錬の記録は『紀效新書』として後世に残っている。自分は今日、その地で馬歩を一刻保てなかった。
——まあ、初日だ。
言い訳のような考えが浮かんで、自分で少し笑った。
明日もまた、夜明け前に起きなければならない。




