せっかく転生したし
頭の中で、静かに言葉を探した。大義でも、復讐でも、抵抗でもない。もっと単純な、しかし自分にとって正直な答えを。
「まだ、読みたい本がございます」
朱慈煥は静かに言った。
「行きたい場所も。この広い中華に、まだ見ていないものが山ほどある」
鄭芝龍は何も言わなかった。
「ですから——どんな形であれ、この乱世で立場を固め、天寿を全うしたい。それだけです」
言い終えて、朱慈煥は自分の言葉が酷く小さく聞こえることを自覚した。明の再興でも、清への抵抗でもない。ただ生きて、読んで、見て回りたい——皇子の口から出る言葉としては、あまりにも俗だった。
だが鄭芝龍は嘲わなかった。ただ、わずかに口の端を動かした。
「天寿を全うしたい、か」
男はゆっくりと立ち上がり、窓の外に目をやった。
「殿下は賢い御仁だ。だがその考えは、少々甘い」
「甘い、と」
「動乱に生きる者に、望んで立場など固められぬ。立場とは与えられるものではなく、奪い取るものだ。あるいは——風向きを読み、必要とあらば昨日の主君を今日の敵と呼ぶことも厭わぬ者だけが、辛うじて保てるものだ」
含みのある言葉だった。自分自身のことを語っているのか、それとも朱慈煥への警告なのか。
朱慈煥は少し間を置いた。
「鄭公のおっしゃることは、よく分かります」
静かに、しかし真っ直ぐに返した。
「ですが——打算だけで立ち回ることが、かえって身を滅ぼすこともございます」
鄭芝龍の目がわずかに動いた。
「韓信はいかがでしょう」
朱慈煥は続けた。
「漢の高祖を天下統一に導いた稀代の名将でありながら、功績が大きくなりすぎたがゆえに疎まれ、謀反の疑いをかけられ誅された。彼は生涯、己の価値を高めることに長けていたが、その価値の高さが却って命取りになった」
「呂布もしかりです。天下無双の武を持ちながら、丁原を裏切り、董卓を裏切った。主を変えるたびに己の価値を売り、より高い場所へと渡り歩いた。しかし誰も彼を真には信じなかった。最後は曹操に自身を売り込むも信用されず、縄をかけられたまま処刑された」
室内が静まり返った。
朱慈煥は鄭芝龍を真っ直ぐに見た。
「打算で動く者は、打算で読まれます。どれほど巧みに立ち回っても、相手もまた計算している。韓信も呂布も、賢くなかったわけではない——ただ、打算の先に何があるかを、見誤った」
鄭芝龍はしばらく黙っていた。
怒っているのか、それとも考えているのか。その顔からは、何も読み取れなかった。
「……面白いことを言う」
男はゆっくりと振り返り、朱慈煥を見た。先ほどとは、わずかに目の色が違った。
「続きを聞かせてもらおうか」




