泉州
弘光元年(1645年)3月 福建省泉州
泉州は、賑やかな町だった。
鄭芝龍の配下に連れられ、数日の行程を経てたどり着いた。道中、石碑に刻まれた地名を目にしたとき、ここが泉州だと分かった。
城壁の外の市街には商人の声が飛び交い、港の方角からは波音に混じって荷を積み下ろす掛け声が風に乗って届いてくる。漢人の商家に混じって異国の様式を帯びた建物が点在し、行き交う人々の顔も言葉も一様ではなかった。遠くには開元寺の二基の石塔(鎮国塔と仁寿塔)が、町の空に静かに聳えているのが見えた。かつて「刺桐城」と呼ばれ海のシルクロードの一大拠点として栄えたこの町は、乱世の今もその血脈を失っていないようだった。
だが朱慈煥が通された屋敷は、その喧騒からひとつ外れた一角にあった。城壁の内側、市街の縁。石榴の木が一本立つ中庭は静まり返っており、風が運んでくる潮の匂いだけが、ここが港町であることを思い出させた。
「しばらくここにお住まいください」
案内役の男——名を告げなかった——はそれだけ言って、屋敷の入り口近くに腰を落ち着けた。護衛なのか、見張りなのか。おそらく両方だろう。
朱慈煥は部屋に入り、窓から外を眺めた。
遠く、海が見えた。その手前には清浄寺の石造りの門楼が、周囲の漢人建築とは明らかに異なる様式で立っていた。アラビアの商人たちが持ち込んだという礼拝所が、今もこの町に残っている。海のシルクロードの名残だ。風が潮の匂いを運んでくる。南京の、あの澱んだ宮廷の空気とは違った。
——生き延びた。
そう思った瞬間、奇妙な脱力感が全身に広がった。海賊に追われ、鄭芝龍という食えない男と渡り合って——ここまで来た。転生してから今日まで、常に何かに追われるように動き続けてきた。
だが安堵は長く続かなかった。
——ここを離れるな。
鄭芝龍の言葉が、静かに耳の奥に蘇った。庇護と拘束は、紙一重だ。史可法の件が調べ上げられるまで、自分の価値は担保されない。もし情報が外れていれば——あの男が自分をどう扱うか、想像するのも気が滅入った。
朱慈煥は窓から離れ、部屋の中央に置かれた椅子に腰を下ろした。
とりあえず、今夜は眠れる。それだけは確かだった。




