命懸けの交渉 後編
鄭芝龍はしばらく黙っていた。
「孟達、侯景か」
低く繰り返した。嘲るでも否定するでもなく、ただ言葉の重さを確かめるように。
「随分と大きく出たものだ。その三人が清に叛くと、そう申されるか」
「叛くとは申しておりません」
朱慈煥は静かに返した。
「清が彼らを飼い続けるには、あまりにも大きくなりすぎる——私はそう見ております。呉三桂は李自成の軍を山海関の戦いで破り、耿仲明と尚可喜らは南京に向けて進軍している。清にとって彼らは今は便利な刃ですが、刃は使い手を選びません」
「それも南京で耳にした話か」
「断片を繋ぎ合わせた、私の見解です」
鄭芝龍の目が細くなった。
「見解、か」
男は立ち上がり、窓の外に目をやった。潮の匂いが、薄く室内に漂っていた。しばらく沈黙が続いた。
「殿下は賢い」
振り返らずに言った。
「言動は正に海千山千の老獪な政治家そのものだ。外れれば子どもの見当違い、当たれば慧眼——どちらに転んでも損はない」
朱慈煥は何も言わなかった。
鄭芝龍がゆっくりと振り返った。今度はその顔に、値踏みとは違う何かがあった。
「だが」
男は再び卓の前に戻り、腰を下ろした。
「史可法が清軍に書を送ったというのは——本当のことか」
核心を突いてきた。朱慈煥は息を整えた。ここが、この謁見の分かれ目だと分かっていた。
「私が直接見たわけではありません」
慎重に、しかし明確に答えた。
「ただ、揚州を囲まれた時機と、その後の清軍の動きには説明のつかない緩さがあった。包囲が長引くほど清軍は有利なはずが、妙に焦っていない。史可法が踏み止まったのか、それとも別の思惑があったのか——私にはそう映りました」
鄭芝龍は表情を変えなかった。しかし指先が、静かに卓を一度だけ叩いた。
「……調べさせる」
それだけだった。庇護の言葉も、拒絶の言葉も、どちらもなかった。ただ男は茶を一口含み、卓に置いた。
「それまでは、ここを離れるな」




